ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

秋の諏訪旅④高島城と近代建築

2023年11月23日 | たびたび旅
四社巡りを終えて駅前の蕎麦屋で昼食を済ませたら、Rさんと別れて一人で高島城に向かいます。
城下町と諏訪盆地の田園地帯を潤していたであろういくつかの用水を越えて、町並みを見ながらぶらぶらと10分少々で高島城に到着しました。

3重5階の望楼型天守は明治8年に破却。現在の天守は1970年に建てられた鉄筋コンクリートの復興天守です。明治初期の写真を元にある程度似せてはいます。

城が建てられた16世紀前後にはこの辺りまで諏訪湖が続いていて、高島城は湖に突き出した湖畔に建ち、「諏訪の浮城」と称される水城でした。
その後城の周辺の低湿地帯が灌漑で埋め立てられ城は湖から遠ざかりました。現在は諏訪湖まで約600mほど距離があります。

えらい立派な「冠木門」と冠木橋。

湿地帯の軟弱な地盤の上に大木で組んだ筏の上に石垣を積んでいます。それでも沈下は避けられず、頻繁に石垣の修復が必要だったそうです。

冠木門から入って天守下。天守台に上がる階段は1970年の復元工事で作られた物。それ以前の城への侵入経路はよく分かりません。

内部は資料館になっています。今回は中までは入りませんでした。

16世紀から残っている石垣と復興時に積み直された石垣と色や風合いがまったく違います。

本丸の中で天守と向かい合わせにある諏訪護国神社。明治33年建立。

建造物の破却の翌年(明治9年)から本丸は高島公園として公開されていました。

石垣の上端から道を挟んだ諏訪市役所に向かって直接歩道橋が掛けられています。堀は道路を作る際に埋め立てられて半分程度の幅になりました。

この辺りは一番古い石垣がよく残っています。

最初の冠木門の方に戻って来ました。角櫓は公園の茶室として建てられたなんちゃって櫓。


上諏訪駅までの帰りは城下町や甲州街道沿いに残る古い建物を見ながら。狭い範囲に5軒の酒蔵が集まっている一帯もあります。写真が多いのでまとめてしまいます。

上諏訪駅で休憩していたRさんと合流。駅に到着して10分もしないうちに空に厚い雲がかかっていきなり強い風と雪。
Twitterを見ていたら「お土産屋さんで犬を見てたらものすごい雪が降ってきたりした」というコメントと共に猛吹雪の写真を投稿した人が。
写真は上社本宮の御柱前です。午前中にはそこにおりました。危なかったなー。
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