有田芳生の『酔醒漫録』

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 敗戦記(4)

2009-11-23 10:37:20 | 政談

 11月22日(日)寒さが本格化してきた。安藤優一郎さんから送っていただいた『大江戸 お寺繁昌記』(平凡社新書)を読む。江戸時代の浅草寺や寛永寺などの風景が想像できる面白さ。当時は金融機関としてだけでなく、娯楽の提供なども行っていたお寺が、全国に約96万(現在は7万)もあったことを知る。「大奥」への工作など、映画やテレビドラマにもなる内容だ。

                         敗戦記
       小沢一郎流「どぶいた選挙」を闘って(4) 
                                                           有田芳生

 選挙結果について書き忘れたことがある。投票所に行った何人もの民主党支持者から区議に不満が寄せられた。掲示された立候補者の名簿を見ても「民主」という言葉がなかったというのだ。私は新党日本の公認だから、名簿には「日本」と書かれている。とくに高齢者のなかには、投票所で戸惑う方たちがいたようだ。その人たちが誰に入れたかは不明である。

 もうひとつは共産党の主張である。「自公政権をここでやめさせましょう」と言いながら、「東京11区には民主党の候補者がいません。だから共産党に入れてください」といった趣旨の主張を候補者が地元紙などで繰り返していた。たしかに民主党の候補者はいなかった。でもなあと思った。こういう戦術を何と評すればいいのだろうか。

 小沢流選挙戦術に従って「辻説法」を繰り返してきたが、さらに地元に入り込もうと2009年はじめから戸別訪問を活動の中心に据えることにした。無差別に地域を決めて一件一軒ご挨拶に伺うことにしたのだ。なぜスタイルを変えたのか。それは2008年末に田中康夫代表と板橋を歩いたときの効果を実感したからである。

 チャイムを鳴らす。「長野県知事をしていた田中康夫です」と言えば、なかには悪戯だろうと思って確かめにくるひともいた。そこにワイドショーでも見たことのある私がいる。多くのみなさんがいささかならずびっくりしたことも印象的だった。まだ選挙まで時間がありそうだ。ならば後援会拡大を目的としたこのスタイルでやってみようと判断した。「小沢スタイル」と「田中スタイル」の融合だ。

 組織のない予定候補者だったが、スタッフがポスターの掲示をお願いするよりも、本人が頼んだ方がずっと効率よく引き受けてくれる。組織政党ならば、都議や区議あるいは支部にポスターを降ろして掲示を指示すればいい。いちばん驚いたのは公明党だった。練馬でのことだが、ある朝いっきょに新しいポスターが貼り巡らされていた。

 戸別訪問を続けて数か月で問題が生じた。左膝が痛み出したのだ。整形外科に行くと「水が溜まっています」という。歩きすぎだった。注射器で抜いてもらった水量は10きない」ことになるのは、待合室でさまざまな方から声をかけられたからだ。左膝にサポーターをはめての行動は続いた。

 このサポーターの購入では行政の驚くべき対応を経験もした。居住している練馬区役所に病院でもらった書類を提出に行った。7000円ほど補助してくれるからだ。その場でもらえるものと思っていたが、そうではなかった。書類を審査して指定銀行に振り込まれるのは3か月ほどになるという。「何を審査するのですか」と聞いたところ、「本当に必要かどうか」などという。年金も少ないお年よりなどには、補助金を受け取るまでに3か月とは長すぎる。効率的行政はさまざまな分野で必要だ。

 戸別訪問は意外な出会いも多かった。ある路地からさらに奥に入っていこうとしたときのこと。どちらの道を選ぶかも自由。任意に歩いてチャイムを押していく連続。ある家庭から赤ちゃんを抱いた若いお母さんが出てきた。

 私を見てあわてている。彼女は障害を持っていて語ることができなかった。筆談で伝えてくれた言葉を見て驚いた。八戸のペンションで会ったことがあったのだ。もう7年ほど前だっただろうか。私の一家は夏休みを利用して列車で北海道に行く計画を立てた。その一泊目がネットで探した八戸の宿だった。

 翌朝も食堂で食事をとった。宿泊客は私たちと聾唖者の家族だけ。そこにいた少女が結婚して板橋に暮らしていたのである。まさに意外な偶然。ある団地では出版社時代の同僚の奥様の高校時代の同級生だと告げられたこともある。現実の面白さとはこんな経験がいくつも生まれるところにある。

 朝の駅頭での訴えもスタイルを変更した。それまでは私がマイクを持って短い話を繰り返し、スタッフが宣伝物を配布するという、どこの政党でもやっている方法を取っていた。しかし、「これは違うかな」と思うようになったのは、相手の立場に立って考えてみたときのこと。

 うるさいだろうーーそう判断したのは、私が会社員時代の通勤と違って、圧倒的にイヤホンをしている人たちが多いからだ。ラジオを聴いている人もいるが、多くは音楽だろう。しかも不景気な御時世にうつむき加減で駅に向う人も少なくはない。

 そこでマイクを持たず、私も宣伝物をひたすら配ることにした。そこで何と声をかければいいのか。最初は「新党日本の有田です」。しかし現実には悲しいことに「新党日本」の知名度は「田中康夫」や「有田芳生」よりもない。ならばどうするか。

 試行錯誤の結果「オウムと闘った有田です」に収斂された。朝の忙しい時間だ。それでもこのフレーズを聞いて、通り過ぎた人がわざわざ宣伝物を取りに来てくれることもしばしばだった。オウム事件は1995年。それから14年も経過しているにもかかわらず、私の世間に与えた印象は「オウム」なのだ。それは選挙が終わったいまも変わらない。

 こうして駅頭に立っているとさまざまな人間模様が見えていた。わざわざ握手を求めてくれる通勤客も多かったが、なかにはあからさまな対応を取る人たちもいた。汚いものでも避けるようにわざと手で振り払いながら「シッシッ」と言う男性。「ジャマだ」とわざとぶつかってくる男性。耳をふさぎながらこれみよがしに近寄ってくる女性。「三流ジャーナリスト!」と叫んで行く若い男性もいた。

 宣伝を終えたときだったので、このときばかりは後を追って「どういうこと」と聞いてみた。すると「テレビでつまらないコメントばかりして」というので、具体的にはどんなことかと聞いてみたが、何も答えられない。「どうしてそんな捨てゼリフをいうの」とさらに問うたところ、32歳だという男の顔がぐにゃりと歪み「Hさんが危ないじゃないか」と現職候補の名前を語った。(続く)