有田芳生の『酔醒漫録』

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大江健三郎『水死』に思う

2009-12-27 12:30:38 | 読書

 12月26日(土)断食中に大江健三郎さんの『水死』を読んだ。これが大江さんの新作小説を読む最後かも知れないと思えば感慨深いものがあった。高校生時代から読んできた大江作品も、小説のなかでも明らかにされたように「最後の仕事」になるのだろう。かつての難解な文章もわかりやすいものになっているのは、おそらく若い世代にも読んでもらいたいからなのだ。最後のシーンには無理がある。しかし同時代の注目する作家として40年も愛読したことに区切りがやってきたことに深い余韻がある。ある年齢になれば執筆エネルギーが枯渇していく。恩師のひとりも「あと1冊書きたいんだ」と語りながら、果たせずして亡くなったことを思い出す。成増から赤坂見附へ。「意見広告7人の会」とスタッフの忘年会。この1年間に「ニューヨーク・タイムズ」、韓国3紙、「ル・モンド」に北朝鮮による拉致問題と人権問題で意見広告を出せたのも、全国の有志から寄せられた浄財のおかげだ。しかし問題解決への道のりはまだまだ。7年前に呼びかけて集まった「7人の会」は、いずれ機会をとらえて行動することになるだろう。


鶴見俊輔さんの『言い残しておくこと』

2009-12-24 08:43:10 | 読書

 12月23日(水)091219_134701 6日ぶりのパソコン。やはり眼の疲れが全然違う。朝は山から歩いて麓にある「OLD BOY」へ。先日散髪した店だ。ハサミさばきももちろんだが、ヒゲ剃りが何とも言えず絶妙だった。まさに「匠」の技。理髪店でこんな感想を持ったのははじめてのこと。よしと決めてヒゲだけ剃ってもらった。この6日間滞在した断食「修業」。渡部昇一さんも定期的に断食をなさっているが、この理髪店にも通っているそうだ。宿舎に戻り荷物を整理して伊東駅まで送ってもらった。ずり落ちるズボンをしばしば引き上げながら駅前商店街を歩く。久しぶりの珈琲が美味い。有楽町で降りて映画「2012」を見ようと思ったが、夜まで満席に近いという。「わしたショップ」で小浜島、西表島の黒糖砂糖を買って教文館。カバンのなかに読む本がないので鶴見俊輔さんの『言い残しておくこと』(作品社)、菅直人さんの『大臣 増補版』(岩波新書)を購入。「壹眞珈琲店」で読書。鶴見さんの「思想の芯」という言葉が印象に残る。誰にでも濃淡や意識しているかどうかは別にして思想がある。日常での行動や思考の形だ。そこに「芯」があるかどうか。言葉を代えれば「妥協の原則」でもある。内外の条件にズルズルと引きずられる妥協ではなく、そこに確固とした原則があること。あるいはそれを探ること。そうつぶやいてみる。


『龍馬を継いだ男 岩崎弥太郎』が面白い

2009-12-18 09:21:37 | 読書

12月17日(木)091217_134501 来夏の参議院選挙に向けての支援依頼いくつか。新宿で竹村文近さんに鍼を打ってもらい、桂花ラーメンで昼食。紀伊国屋書店に立ち寄ってから六本木。ディズニー映画の「ハンナ モンタナ」を見る。楽しい。「人生は登山だ。でもいろいろな景色がある」とは、16歳でスーパースター、しかし隠した日常生活では普通の高校生ハンナのセリフだったか。全米を熱狂させたテレビドラマの映画化だ。草野仁さん、裕さんに招かれ、六本木ヒルズのヒルズクラブで石井謙一郎さんとともに会食。草野さんにお会いするのは総選挙の開票日以来。来夏のこと、テレビ界のこと、松井秀喜選手のことなどなどの話題で楽しい時間を過ごした。石井さんとグランドハイアット東京の「MADURO」。黒人のピアノ演奏に女性シンガーのジャズを楽しむ。安藤優一郎さんの『龍馬を継いだ男 岩崎弥太郎』(アスキー新書)を読み終える。幕末の情景がイメージとして浮かんでくる面白さ。坂本龍馬を財政的に支えていたのが岩崎弥太郎だったとは知らなかった。長崎にはペリーの来航情報が1年前に入っていた。江戸時代後期の国内情報伝達の早さと正確さにも驚かされた。何よりも明治維新とは特定の英雄だけによるものではなく、多くの無名群像の生命をかけた志と行動によって成ったことがよくわかる。NHKの「龍馬伝」は、岩崎弥太郎を通じて龍馬を描いた作品だという。安藤さんの新書は年末の読書にお薦めだ。


「今年の3冊」

2009-12-10 07:08:29 | 読書

  12月9日(水)091209_181701 「海鼠の眼 微動もせずに 空にらむ」。「今年の3冊」原稿を完成させる。何を選んだかを書くぐらいは許されるだろう。安藤優一郎『幕末維新 消された歴史』(日本経済新聞出版社)、上田篤『西郷隆盛 ラストサムライ』(日本経済新聞出版社)、辺見庸『私とマリオ・ジャコメッティ』(NHK出版)。なぜこの3冊だったかは、紙面に掲載されてから再録する。家人、次女と新橋でインフルエンザの予防接種。浜松町で劇団四季の「ウエストサイド物語」。俳優陣の身のこなしにいつも感嘆。ツィッター2日目。まだまだよく理解できないことが多い。でもメールがはじまったころには「何でこんなものが」と思ったもの。その便利さと普及速度に驚いたものだ。ツィッターにもその可能性があるのだろう。2013年には10億人が利用するとの予測もある。しかし、ケータイでは使いにくい。池内ひろみさんはiーphoneだという。あれも使いにくいのではないか。慣れの問題なのだろうけど。


立川談志の「上手い」ということ

2009-12-05 09:37:20 | 読書

 12月4日(金)091204_141101 ある新聞から依頼された原稿を書く。2009年に読んで「よかった」と思う書籍を3冊選び、その理由を説明せよという。選択は簡単だった。第1稿をざっとまとめた。風邪で遠ざかっていたジムへ行き、泳ぐ。500メートルで息が切れたので少し休憩。銀座に出て「かづま珈琲」(「壹眞珈琲店」の姉妹店)で読書。立川談志さんのいう「上手い」ということを考える。必要なことは有権者に伝えることの「上手さ」なのだ。たとえ「いいこと」を主張していても伝わらなければ意味がない。徒労になることさえある。談志さんのいうことが少しわかったような気もするが、それを実行するとなると、また問題が生じてくるはず。中島みゆきの歌う「伝わりますか」という課題はとても深い。クリニックに寄って、教文館。来夏に向けての参考書として本間義人『居住の貧困』(岩波新書)、『加藤周一のこころを継ぐために』(岩波ブックレット)、そして『大竹聡の酔人伝』(双葉社)を購入。「てつ」でS弁護士、某会社社長のSさんと懇談。ひとり「Bar三石」へ。ドアを開けるとカウンターに大竹さんがいた。「酔人伝」周辺の話をあれこれ。地下鉄で帰宅。最近は車内でRHODIAのメモ用紙に俳句やこれからの戦術を記していることが多い。


『談志 最後の落語論』が面白い

2009-12-04 09:17:02 | 読書

 12月3日(木)091203_173401 組織なき立場としては、人と人のネットワークをつないでいくしかない。容易ではないなと思ったのは、神保町「萱」と「Jティップルバー」での会話だった。政治に関心ある知人たちから「来年はどうするの」と問われたからだ。参議院選挙で比例区から出る予定とは知られてはいない。ここからの出発。「組織内」ならぬ「組織外」からいかに意思を積み重ねていくのか。「J」のトイレにはいまだポスターを貼ってくれていたので、剥がしたところ、「新しいものができたら持ってきて」とYちゃん。「有田って書けなかったから新党日本に入れたよ」と数人。こういう知人たちに支えられている。六本木で「時をかける少女」を見る。かつては原田知世によって演じられた作品のリメイク版。2010年の少女がわけあって1974年にタイムトラベル。SFゆえにどうにでも描けるところがいい。原作は筒井康隆さんだ。いつかに戻れるとしたら1980年代だなと地下鉄で思う。『談志 最後の落語論』(梧桐書院)を読む。就寝時に談志さんの落語CDを聴きはじめたところまでは覚えている。


「労組天国」の呆れた実態

2009-12-03 10:06:21 | 読書

 12月2日(水)091201_231801 やしきたかじんの「TAKAJIN」を聴きながら書いている。バラード。そんな気分。大山の事務所へ。支援者のNさんと打ち合わせ。ハッピーロードを歩いていると「惜しかったね」の声をいまでもかけられる。新宿に出て竹村文近さんに鍼を打ってもらい、スッキリ。「週刊ダイヤモンド」の特集「民主党最大のアキレス腱 労働組合の腐敗」を読む。民主党議員417人のうち労組推薦が54人だという基礎資料などは便利だが、驚いたのは日本郵政(旧全逓)の「労組天国」の実態だった。とくに今年初めに発覚した新宿にある日本郵政グループ労働組合(JP労組)の使い込み事件はひどい。850万円の予算が300万円に減っていたのは、書記次長、組織部長、会計担当の3人がキャバクラなどでの遊興費に当てていたから。普通なら業務上横領だが、組合でも会社でもおとがめはなし。「労使協調」の事件もみ消しだ。闘争資金は積み上るばかりだが、ストライキなど行われない。だからNTT労組などはスト資金が548億円。年利回り1パーセントしても運用益だけで6億円近い収入となる。そこから推薦政治家への政治献金に回される。すごい世界だ。再び大山の事務所に立ち寄り、歩いて「多奈べ」。ご夫婦客が店を出るときに声をかけてくださった。総選挙の投票のためにわざわざタイから戻ってきたという。うれしくもあるが、期待に沿えなかったことが申し訳ない。


距離を取るか、接近するかの方法論

2009-11-30 09:34:15 | 読書

 11月29日(日)091129_173101 朝7時前の成増。南口から北口に向っていると、ある男性から「1票入れたんやけど、残念でした」と関西弁で声をかけられた。この場所で何度も何度も朝から訴えを行ってきたことが遠い昔のよう。民主党の長瀬達也区議世話人会の日帰り箱根旅行をお見送り。熊木美奈子都議とお会いしたのは選挙開票日以来。早朝宣伝を終えてスタッフと顔を出したことのある喫茶店で朝食。ホテルヒルトップでサウナに入り、短時間の睡眠。帰宅して何通かの手紙を書いて新宿。散髪をして紀伊国屋書店。無印商品でセーターを購入。喫茶「凡」で読書。日垣隆さん編著の『戦場取材では食えなかったけれど』(幻冬舎新書)は後半で意外にもエキサイティングな展開になり、とても面白かった。昨夜「おもろ」に立ち寄ったのは、ある方が沖縄の久米島はカンボジアのクメール・ルージュの「クメ」に由来すると語っていたのが気になったからだった。店主のヒデキさんに訊ねたところ「そういう噂はいくらもあって、そのひとつだね」と一言。何でも日本人のルーツがカンボジアだと主張する方もいるようだ。国際問題に詳しい高世仁さんには新宿から電話をしてみた。あるエピソードを聞いて「なるほど」と思った。かつて米軍がカンボジアのプノンペン空港を攻撃したときの話だ。あるジャーナリストは燃え盛る炎の方向へとどんどん接近していったので、フィルムに映っていたのは炎だけだったという。これでは攻撃の全体像がまったくわからない。取材対象に接近するのか遠ざかるのか。そこには方法論に留まらない問題がはらまれている。日垣さんの刺激的著書に続いて読みはじめたのは、綿貫民輔さん(国民新党顧問)の『八十一歳は人生これから』(幻冬舎新書)。政治家一家に生まれた綿貫さんが健康を維持しつつこれまで活動してきた秘訣が開陳されている。どんな仕事をするにもまずは健康だ。とても参考になる。池袋リブロで気になる書籍がいくつかあったが、「積ん読」を避けるためにしばし立ち読み。


『西郷隆盛 ラストサムライ』を読む

2009-11-26 09:23:17 | 読書

 11月25日(水)091119_164402 藤原新也さんお薦めの「人生に乾杯!」をYouTubeで聴き、会社員時代を思い出してしまった。そのあとで意外な体験をするとは予想もしなかった。京橋で「こつなぎ 山を巡る百年物語」を見る。そもそも自然の一部である土地とはいつから所有されることになったのか。「入会権」(一定地域の住民が、慣習的な権利により特定の山林や漁場などで薪材や魚貝を採取すること)裁判の貴重な記録は、土地とは何か、所有とは何かを根源的に問うている。すこしウトウトしたところで目が覚めた。「藤本正利」というクレジットが目に入ったからだ。出版社時代の上司だった。スクリーンでは20歳代の藤本さんが語り、行動している。映像に記録された藤本さんは、まさしくオールドボリシェビキ。大学院を卒業して岩手の農村に入り込み、そこで住民とともに暮らし、闘っていた。藤本さんが亡くなってからもう何年になるだろうか。銀座に出て鳩居堂。後援会および支援してくださった方々への書簡を書くための便箋を選ぶ。並木通りの「壹眞珈琲店」でこれからの思いを綴る。上田篤さんの『西郷隆盛 ラストサムライ』(日本経済新聞出版社)を読みはじめる。政権交代が「明治維新」以来の政治変革とよく言われるのは、そこから官僚支配がはじまったとの認識があるからだろう。システムだけでなく、人間も変わっていったはずだ。「明治維新が責任感のつよいサムライをなくしてしまった」というのが上田さんの問題意識。薩摩と長州が江戸文化(渡辺京二さんに言わせれば「江戸文明」)を破壊したのではないか。半藤一利さんが指摘するように「維新」などと正当性を強調する表現が行われるのは、幕府が倒れてから15年ほどあとのこと。ならば「明治維新」の再評価も必要だ。四ツ谷3丁目で降りて「酒楽」で知人たちと一献。


神保町を歩く

2009-11-06 09:44:17 | 読書

 11月5日(木)091105_22450001 滞米中の長女からメールが来た。部屋でヤンキースの優勝を見届けるパーティがあったという。優勝の瞬間には悲鳴のような歓声で、外に出て叫ぶ者、走る者など大変な盛り上がりだったという。そして松井秀喜選手のMVP。日本人の「匠」を世界中に発信した偉大さは、その謙虚さにおいてもすごい。北海道新聞から依頼されていた書評原稿を送る。いちど完成していたけれど「書評とは何か」を考え出しはじめたら「これでいいのか」の迷いが起り、締め切りを遅らせていただいた。書評とはその書籍を単に紹介するものではないだろう。長いものなら注文を書いてもいいが、短い字数なら、読者が「読みたい」というもの、あるいは読まなくとも内容の核心がわかるものでなければならない。ならばどんな筆致にすべきなのか。そんなことで迷っていたのは、いま文庫解説を書かなければならないから。書評と解説はどう違うのか。また思案している。2年前の参議院選挙で敗北したとき、精神を整えるために中村天風さんの『真理のひびき』(講談社)を読みはじめた。ところが前半部分で読まなくなってしまった。どうもしっくりこなかったからだと記憶している。あれから幾星霜。先日ふと手にしたところ精神に染み入るから驚いた。読書にも「読み時」があるのだろう。定例役員会。文藝春秋で資料収集。神保町に出て高岡書店、東京堂書店、金ペン堂。表参道のジムで泳ぎ、再び神保町。小幡利夫さんと「萱」そして「ボン ヴィヴァン」。帰宅途上で猫と会話したところ「ニャ~ン」と応えてくれた。