前回、「過度の愛国者は日本に滅国の危機をもたらす」
と述べた。最近の動向を伺うにつけ、これをまた取り上げておこう。
日本が、アジア人種であることは疑いようのない事実であろう。
その日本が、アメリカと一緒になって、憲法より抜け出て、専守防衛から世界各地の紛争解決に積極的に介入していく先制攻撃も有り得る政策に方向転換しようとしている。はっきりとこれは憲法からの「日本の変質」と申せよう。世界にその憲法からの「変質」を宣言したようなものだ。多分日本の技術力とアメリカの総合力が合体すれば、「鬼に金棒」と言う、捉え方をトップの方々は理論付けしているのであろう?
いよいよ、武力での「傲慢、横柄」へ船出したのだ。
北朝鮮も、中国も、ロシアも、大砲の筒先は危険極まりない、危なっかしい東京を目指しているであろう?
韓国もこれからはそうなる?
日本は、アメリカと手分けしてこれらの国々に大砲の筒先を向けねばならない。
何でこのようになってしまうのか?悲しいことである、寂しいことである。
日本の過度の愛国右傾化への「変質」が、各国のデモを誘発し、境界でのイザコザに発展し、更に過度の愛国化への階段を上る。そしてドンドン亀裂が深まる。
アメリカvsアジアの図式に日本が乗る。
アメリカは共産主義の台頭に恐れをなし、イスラム原理主義に恐れ、今また、アジアの台頭に恐れを抱く怖がりの集団なのだ。
日本はそのアメリカと結託して、アジアの同胞に刃を向けようとしている。
やはりアジアのリードオフマンになれなかった悔しさか?それとも
お世話になりっぱなしで、日本の成長に貢献してくれ、今日の幸せをもたらしてくれた感謝の気持ちからか?
それとも、どうしようもないアメリカの強引とも取れる圧力によるものか?
アメリカの考える野望、戦略に、お金もないのに、苦しくなることが分かっているのに追随する日本。引くに引けない過度な愛国心であるがために、不幸をもたらす一因の一つになるであろう。
何事かがある可能性の下に、アメリカの総合戦略があるのだ。
今、日本からの積極的追い出しではなく、アメリカの、韓国からの移動そして、日本の普天間からの海兵隊のグァム移転は、アメリカ自身による何か?を示唆しているのだ。
アジア台頭「特に北朝鮮の背後にいる中国」の砦、前線基地として日本に働いてもらうため? 敵の先制核攻撃を受動したる後、アメリカが反転攻勢に出る時間的余力のためかも知れない?
アメリカにとっての日本は、日本が思いたくとも盟友でもなんでもないのだ。
何かあったときのスケープゴートでしかないのだ。
核攻撃を一番に恐れるのは、実は日本人民ではなく、アメリカ高官たちなのだ、と言う事実も知っておくがよろしいだろう。
原子炉に突き刺さる核攻撃分裂は、想像の世界で彷徨っているしかないのだ。おそらく淡路神戸大震災の十数倍、数十倍の威力と被害であろう?
本来は日本海で百パーセントのミサイル防衛をするのだが、失敗も考え得る予測を立てる、それは最初に受けてもらうしかない、しかる後アメリカ本体が駆けつける、そんなシナリオなのであろうと思われる。想像の域を出ないが、私だったらそうするであろう・・・・?
私たちの日本と言う国は、7乃至8分でミサイルが到達する地点にあるのだ。
これは、とても車でも逃げ果せる時間ではない。
そんな国同士でプライドを掛けて戦うほどバカなことはない。
アメリカはアジア同士で戦ってそれぞれ自滅してくれれば、アジアの台頭が防げて良いのである。
愛国心を過度に持つことが、他国の反発を生み、お互いに引くに引けない状況を生じてしまう、ということを、必要を越えた愛国者のみならず、国民大衆も、簡単な理論であるにも拘わらず理解ができなくなっていく、それは何故?
それは、もうすでに心の中が患っているからに他ならない。
この患いは急性ではなく、徐々に慢性化してくるから始末が悪いのだ。まさに自民党政府の昔からの手法の成果ではないか。
結果、あらゆるところで憲法を踏みにじってしまい、調整する必要に迫られているようにアピールしてしまう。それが「憲法の逸脱」「心の変質」「崇高な理念の目的の変質」につながるのである。必要以上の武力を持って擁しながらの、崇高な理念の達成は断じてありえないのだ。
折角の崇高な理念も、持ち続けることのできない反面教師であって、尊敬に値はしない国の正体が明らかになってきたのだ。残念だが日本はそう言う国だったのだ。
崇高な理念を追求する姿勢がないからこそ、愛国を強要すること、されることに疑問を呈することがないのだ。
「愛は要求するものではなく、自然発生的に愛しいと感じるものなのです」
愛の要求、愛の強要は、己れを見失った自分勝手の行状であって、そこには利己主義の形、全体主義の形があるだけで、本当の愛の形ではないのである。
それを知らない人が、愛を求める。愛する心の無い人、愛される喜びを知らぬ人の
得手勝手の押し付けに過ぎない。
と述べた。最近の動向を伺うにつけ、これをまた取り上げておこう。
日本が、アジア人種であることは疑いようのない事実であろう。
その日本が、アメリカと一緒になって、憲法より抜け出て、専守防衛から世界各地の紛争解決に積極的に介入していく先制攻撃も有り得る政策に方向転換しようとしている。はっきりとこれは憲法からの「日本の変質」と申せよう。世界にその憲法からの「変質」を宣言したようなものだ。多分日本の技術力とアメリカの総合力が合体すれば、「鬼に金棒」と言う、捉え方をトップの方々は理論付けしているのであろう?
いよいよ、武力での「傲慢、横柄」へ船出したのだ。
北朝鮮も、中国も、ロシアも、大砲の筒先は危険極まりない、危なっかしい東京を目指しているであろう?
韓国もこれからはそうなる?
日本は、アメリカと手分けしてこれらの国々に大砲の筒先を向けねばならない。
何でこのようになってしまうのか?悲しいことである、寂しいことである。
日本の過度の愛国右傾化への「変質」が、各国のデモを誘発し、境界でのイザコザに発展し、更に過度の愛国化への階段を上る。そしてドンドン亀裂が深まる。
アメリカvsアジアの図式に日本が乗る。
アメリカは共産主義の台頭に恐れをなし、イスラム原理主義に恐れ、今また、アジアの台頭に恐れを抱く怖がりの集団なのだ。
日本はそのアメリカと結託して、アジアの同胞に刃を向けようとしている。
やはりアジアのリードオフマンになれなかった悔しさか?それとも
お世話になりっぱなしで、日本の成長に貢献してくれ、今日の幸せをもたらしてくれた感謝の気持ちからか?
それとも、どうしようもないアメリカの強引とも取れる圧力によるものか?
アメリカの考える野望、戦略に、お金もないのに、苦しくなることが分かっているのに追随する日本。引くに引けない過度な愛国心であるがために、不幸をもたらす一因の一つになるであろう。
何事かがある可能性の下に、アメリカの総合戦略があるのだ。
今、日本からの積極的追い出しではなく、アメリカの、韓国からの移動そして、日本の普天間からの海兵隊のグァム移転は、アメリカ自身による何か?を示唆しているのだ。
アジア台頭「特に北朝鮮の背後にいる中国」の砦、前線基地として日本に働いてもらうため? 敵の先制核攻撃を受動したる後、アメリカが反転攻勢に出る時間的余力のためかも知れない?
アメリカにとっての日本は、日本が思いたくとも盟友でもなんでもないのだ。
何かあったときのスケープゴートでしかないのだ。
核攻撃を一番に恐れるのは、実は日本人民ではなく、アメリカ高官たちなのだ、と言う事実も知っておくがよろしいだろう。
原子炉に突き刺さる核攻撃分裂は、想像の世界で彷徨っているしかないのだ。おそらく淡路神戸大震災の十数倍、数十倍の威力と被害であろう?
本来は日本海で百パーセントのミサイル防衛をするのだが、失敗も考え得る予測を立てる、それは最初に受けてもらうしかない、しかる後アメリカ本体が駆けつける、そんなシナリオなのであろうと思われる。想像の域を出ないが、私だったらそうするであろう・・・・?
私たちの日本と言う国は、7乃至8分でミサイルが到達する地点にあるのだ。
これは、とても車でも逃げ果せる時間ではない。
そんな国同士でプライドを掛けて戦うほどバカなことはない。
アメリカはアジア同士で戦ってそれぞれ自滅してくれれば、アジアの台頭が防げて良いのである。
愛国心を過度に持つことが、他国の反発を生み、お互いに引くに引けない状況を生じてしまう、ということを、必要を越えた愛国者のみならず、国民大衆も、簡単な理論であるにも拘わらず理解ができなくなっていく、それは何故?
それは、もうすでに心の中が患っているからに他ならない。
この患いは急性ではなく、徐々に慢性化してくるから始末が悪いのだ。まさに自民党政府の昔からの手法の成果ではないか。
結果、あらゆるところで憲法を踏みにじってしまい、調整する必要に迫られているようにアピールしてしまう。それが「憲法の逸脱」「心の変質」「崇高な理念の目的の変質」につながるのである。必要以上の武力を持って擁しながらの、崇高な理念の達成は断じてありえないのだ。
折角の崇高な理念も、持ち続けることのできない反面教師であって、尊敬に値はしない国の正体が明らかになってきたのだ。残念だが日本はそう言う国だったのだ。
崇高な理念を追求する姿勢がないからこそ、愛国を強要すること、されることに疑問を呈することがないのだ。
「愛は要求するものではなく、自然発生的に愛しいと感じるものなのです」
愛の要求、愛の強要は、己れを見失った自分勝手の行状であって、そこには利己主義の形、全体主義の形があるだけで、本当の愛の形ではないのである。
それを知らない人が、愛を求める。愛する心の無い人、愛される喜びを知らぬ人の
得手勝手の押し付けに過ぎない。
若き人達の考え方の変化があったと言われる耳よりなニュース。嬉しい現象ですね。
尤もそれが本来の若者達のあるべき、持っているべき「考え方」であろうと思わずにはいられないのですが、それは兎も角、少しでもその傾向の見えてきた・・・というお話は喜ばしいことです。
おっしゃられるように時間の流れの中で与え続けられる「誘導的情報」に、いつしか馴らされ受け入れ、それが当然だと思うようになって行く・・・というコントロール手法に陥ってはならない危険への皆さんのご
指摘に、私も同感です。
頑張って下さいませ。有難うございました。
その時、日本だけで北朝鮮軍事政権と対峙するのは経験の浅さからも不安一杯だったのではないでしょうか?
「自衛隊には実戦の経験も積んできて欲しい!」と言う思いだったのでしょう。
そうじゃないとイザ!鎌倉のとき、役に立ちませんからね。
すでに北朝鮮との外交が頓挫していましたから・・・・