夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

最終回?富良野やすらぎの刻(とき)第66夜

2024-08-26 07:11:10 | 日記

一昨日の土曜日(8月24日)、毎月恒例となった「富良野やすらぎの刻」のために富良野の演劇工場へ出かけて来ました。脚本家倉本聰さんが書いた1000本を超える作品の中から彼自身が選んだものを鑑賞し、旧富良野塾の門下生達と作品のエピソードや裏話を語り合うトークショーです。

ポスターには来年までの日程が記載

この日の鑑賞作品は1977年に放送された「前略おふくろ様」シリーズ2の中から第17話と第19話でした。萩原健一(ショーケン)が朴訥な中にも粋な板前役で大人気だったテレビドラマです。「やすらぎの刻」で取り上げられたのは4度目だそうですが、私達は昨年7月から通い始めて今回が2回目の「前略」シリーズものでした。

以前も書きましたが、この前略シリーズの企画はショーケンが直接倉本さんに持ち込んで来たものだそうで、先輩たちに頭の上がらない主人公というそれまでにはないヒーローものにショーケンの意気を感じ、ショーケンと言えば長髪だったその髪をバッサリ切った板前役の作品を書くことで彼に応えたものだそうです。

この日の話は、前半はドラマで展開された安月給と上下関係といった板前修業の厳しさでしたが、私も学生時代に料理店で長くアルバイトをしていたことがあり、そこで知り合ったショーケンと同じような修行中の板前さんと仲良くなって彼のアパートを訪ねて話したりして彼らの封建的な師弟関係にはとてもなじめないと思ったことがあります。同じ店の中での師弟関係ではなく、その街の中で師弟関係が出来ていたりするのです。「前略」シリーズが始まる前のことでしたが、あのドラマを見て板前にあこがれた人も多いと聞くと、そういうことを言える人はつらい修行を乗り越え一流の料理人になったからこそ言えるのだろうと思っています。そんなことを思い出していました。

倉本さんの話は、その後ショーケンの従妹役、海を演じた桃井かおりの思い出になりました。会場に彼女の「前略」や倉本さんとの思い出を語る長文のインタビュー記事が掲載されていたことで聞き手役の一人が尋ねたものですが、インタビューの中で彼女は、「役者はいい話といいセリフがあるドラマに出たいので倉本さんにあこがれていた」と言い、映画「青春の蹉跌」で共演したショーケンから紹介された時は舞い上がってしまったそうで、倉本さんは彼女が会った瞬間「ワンワン」と吠えてなついて来たと言って笑わせました。

毎回終演後に見る新富良野プリンスホテルの夕景

こういったエピソードを時には笑い、時には感心して私達聴衆は一言一句聞き漏らすまいと彼の話を聞いているのですが、司会役が来月はどの作品を鑑賞しましょうかと尋ねると、彼は「この頃物忘れもひどく、また耳が聞こえずらくなっていることもあり、この企画を終わりにしたい」と言い出したのです。

89歳になろうとする彼に「いつまでも」を望むことが無理なことは、最近は車椅子で登場するようになったことでも薄々感じてはいましたが、突然の言葉に旧塾生たちも戸惑っていました。次回があるか否か、あるとすればどの作品になるかは追ってアナウンスすると言うことで終わりましたが、サービス精神旺盛でがんばってくれるか、痴ほうと言われたくないプライドが勝るか、どちらになるのかアナウンスを待たねばならなくなりました。

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