夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

ユーニスのフェイスブック

2024-04-10 07:02:52 | プリンスエドワード島(PEI)

今朝何気なくスマホを見たら、Facebookアプリに何やら私達に関する投稿がアップされているマークが付いていたのでチェックして見ました。

それは時々私達のことを思い出して書いてくれるプリンスエドワード島(PEI)時代のお隣さんで友人だったユーニスのものでした。投稿された写真は多分2016年のクリスマス前にシーズンズグリーティングとして彼らの家を訪ねた時のものだと思います。

なぜ今私達のことを思い出したのかなと思って考えてみると、今から7年まえの今日(2017年4月10日)PEIを去る前に彼らにお別れを告げるために訪問していたからでした。この年の4月15日に私達はPEIからバンクーバーへ向かって1万㎞の引っ越しドライブに臨みました。

2008年5月に初めてシャーロットタウン市郊外の彼らのお隣の家に住み始め、翌年の夏にはダウンタウンに引っ越したのでお隣さんだった時間は1年ちょっとでしたが、彼らとはその後もずっとお付き合いが続いていてクリスマスのような時にはいつも彼らを訪ねていました。

私達よりちょっと年上のユーニスとダグは優しくて気遣いが出来る人たちで、知り合ったカナダ人達の中でもトップクラスの好きな人々です。あれから7年が経ったのかと懐かしく思いました。

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流氷

2024-01-23 07:39:56 | プリンスエドワード島(PEI)

一昨日、富良野やすらぎの刻(とき)で「北の国から2002遺言」を見て、その一つの主役が知床の流氷だったと書きました。すると昨日、オホーツク海沿岸に流氷が流れ着き昨年より19日早い流氷初日となったと報道されていました。そういう季節ですね。

フリー写真から

ドラマを見た後この冬流氷を見に出かけようかなと思い始め、2月末頃の日程で流氷が見られる場所で比較的出かけ易いのは網走かなと情報収集を始めたところでした。オーロラ号という観光船があるそうです。昨日もラッキーなことに冬の網走観光に来た人たちが流氷を見て感激している様子が写っていました。

シャーロトタウンハーバーその1

流氷は文字通りシベリアから凍った海水が風で流されて来るものでしょうが、私達が2008年から2017年まで住んだプリンスエドワード島ではセントローレンス湾に浮かぶ島だったので大きな海水の動きがないからでしょうか冬の間海自体が凍ってしまいます。

シャーロットタウンハーバーその2

特に私達が住んでいたシャーロットタウン市のハーバーはセントローロレンス湾の中に更に湾があるような地形なので早い年は12月後半から遅い年は3月まで凍っていて、私はやったことはありませんが海の氷の上をスノーモービルで走ったり散歩している人も見かけました。

シャーロットタウンハーバーその3

流氷は昔から知っていましたが実際に見たことはなく、実は心の奥底に「流れ着く氷より海が凍る方が凄いんじゃない」感があるので、果たしてどちらが凄いか自分の中で決着をつけるためにも一度流氷を見てみたいものです。

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Winter Wonderland

2023-12-08 07:36:31 | プリンスエドワード島(PEI)

私達が初めてプリンスエドワード島に住んだのは2008年5月のことでしたが、その時は愛犬がいたためシャーロットタウン市内のアパートや一軒家は借りられず(ペット不可が多かった。)、何とか郊外の一軒家を借りることが出来ました。その時のお隣さんがユーニスとダグで、彼らはアイランダーの典型のような優しく人を思いやることが出来る人たちで直ぐに友達になりました。

ユーニスはFacebookに記事を書くことがマメなので、今でも毎日のようにFacebookをチェックすると彼女の記事が見られます。今朝はWinter Wonderland!と称して一昨日降った雪とその後の青空の写真が数枚アップされていました。今、北海道の家にいながらにして15年前の「我が家」の様子が見られて懐かしく思いましたが、その中でお向かいのトレントがいつも雪が降ると彼の大型除雪機を動かして彼らの家のドライブウェイの除雪をしてくれることに感謝をしていました。

これも私達が15年前に経験したことで、出会って直ぐだったのにトレントは私達の家のドライブウェイもきれいに除雪してくれたものでした。ある時ユーニスに「どうしてトレントは我が家の除雪もしてくれるのだろう?」と聞いたところ、我が家から200mくらい先に住んでいる我が家の大家のジムがトレントの従妹だから頼んでいるのじゃない?ということで、てっきり私達はジムがトレントにお金を払って頼んでいるのだと思っていました。

しかし、大家のジムと妻のパムともその後もずっと友人になって良く家に遊びに行きましたが一度もそういう話は聞いたことがなく、またユーニスもトレントにお金を払っている話もないようで、結局今になって思えば単にトレントの人の良さから来ているものだと思っています。

人が皆暖かくて助け合う、しかし言われるように田舎の深過ぎる人間関係などには陥らず心地良い関係を保っている、そういうプリンスエドワード島ノースウィンズロー地区の人たちが懐かしいです。

もうカードを送ることはありませんが、近々いつものようにメールに写真を添えてクリスマスメッセージをユーニスとダグに送ることにします。

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永住権

2023-12-04 07:59:14 | プリンスエドワード島(PEI)

気が付けば11月23日でカナダの永住権が切れていました。

写真はPRカード(Permanent Resident Card)と呼ばれる永住権保持者であることを証明したカードですが、これを5年毎に更新するのがルールでした。過去5年間に2年以上カナダに居住していたことを証明すれば更新が可能だったので、私達は申請すれば更新できたのですが、わざわざ日本から書類をそろえて申請する手間を考えるとこれから永住権が必要になるとも思えず自然消滅も止む無しとは思っていました。

しかし、取得するまでに渡航から7年もかかっており、それを取得した時の感動を考えるとちょっとあっけない幕切れではありました。私達の場合、申請してから審査を経て1年後に永住権を発行するからカナダへ再入国することと言う手紙をカナダの移民局からもらったわけですが、この後のことは手続き的なことであって、この手紙をもらった瞬間が最も感動的なことでした。

永住権を取得した頃

手続きとしては、その頃住んでいたシャーロットタウンから最も近いカナダとアメリカの国境はニューブランズウィック州のセント・スティーブンという町でそこにカナダ、アメリカそれぞれに国境管理事務所があったので、そこまで車で3時間ほどかけて出かけ、まずはアメリカ側の事務所に出向いてカナダの永住ビザを取得するためにアメリカに入国したい旨を告げました。

これは正式なアメリカ入国ではなくスルーしてすぐさまカナダへ戻る手続きであることを国境管理官も知っているのでさっと通され直ちにカナダ側へ戻りました。カナダに入る時に管理官にパスポートと共に移民局から届いた手紙を示すと、コンピュータ処理をして戻って来た管理官から「Congratulations!」と言われてパスポートに永住ビザのスタンプを押したものを返されました。後は2か月ほど過ぎるとPRカードが郵送されるよと言われて手続き終了でした。

永住権を取得した頃

実際にPRカードが郵送されたのは3か月後でしたが、途中で不安になって移民局に電話すると、「間にクリスマス休暇が入ったからね」と遅れていることなど意に介さぬカナダ流の対応に苦笑したことを覚えています。

去らば永住権でしたが、昨日は来年PEIへの移住を考えているカップルとブログのつながりからLINE電話で移住に関することをしばらく話していました。永住権は私達の時よりもずっと難しくなっています。良い方向に向かうことを願わずにはいられません。

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プリンスエドワード島からのメール

2023-07-15 08:14:06 | プリンスエドワード島(PEI)

昨日、今日と今プリンスエドワード島に滞在している友人からメールが届いています。長井さんというノースバンクーバーにパートナーと住んでいる方ですが、御年80を超えても超元気で、昔から本格的な登山をして来たからでしょうか、私などは恐れをなしてしまうような過酷な山にも単独で夏でも冬でも登ってしまうというスーパーマンです。

去年の夏ウィスラーを一緒にトレッキング(右端が長井さん

その彼とパートナーのウェンディに数年前お会いしたばかりの頃、キャンピングトレーラーをけん引してカナダ横断旅行をするというのでプリンスエドワード島の見どころを教示したことがありました。その彼らが今2回目のカナダ横断旅行をしていて、現在島に滞在中ということで私達を思い出してメールをくれています。

バンクーバーからニューファンドランド島まで単純に地図上で測っても片道6000キロ、往復12000キロを各地をキャンプしながら2,3カ月かけて旅行しているわけです。プリンスエドワード島には数日前に入り25日まで滞在するということなので2週間くらい滞在しているようです。こういうスタイルはいかにも北米人が好む夏の過ごし方だと思いますが、かといって誰にでも出来ることではなく、特に体力がモノを言うことでしょう。

私達も6年前にプリンスエドワード島からBC州まで3週間かけてアメリカ横断1万キロの引っ越し旅行をしたことがあり、またやってみたい気はありますが、もうそういう舞台に立つ機会はないとも思っています。

壁に貼ってあるアメリカ横断の軌跡

彼のメールに添付されていたのは、ビーチと「Richards」という小さな港にあるシーフードレストランの写真でした。ここは私達も大好きだった店で、ロブスターロールやフィッシュアンドチップスは最高でした。

メールと写真でついその味まで思い出してしまって、ひと時プリンスエドワード島の日々を懐かしんでしまいました。

私達が訪れた時

Richardsのものではないけどよだれが出そう

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