夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

利尻富士登頂~稚内・利尻・礼文3日目

2024-06-30 17:33:39 | 旅行

今日は、敦子は宿泊しているペンションや利尻島の街中をぶらつく予定で、他の3人は利尻山(利尻富士)登山の日でした。

朝の宿から見た利尻山

利尻山は日本の百名山にも名を連ねる山ですが、標高は1721mとそれほど高くはありません。しかし、利尻島自体が利尻山がでんと真ん中に居座っているので、登山は海抜ゼロメートルから1721mまで登らなければならないのかと思ってしまうほど大変きつい山です。実際には登山口は標高200mほどのキャンプ場に設定されているので、登らなければならない標高差は1500mほどです。これがきついです。

登山口となっているキャンプ場前で

大雪山系の旭岳ならば標高1600mのロープウェイ駅から2291mの頂上まで691mを登るものだし、十勝岳ならば標高930mの望岳台から2077mの頂上まで1100mを登るもので、これがきついのですから1500mを登るきつさはお分かりいただけるでしょう。

登山を開始して直ぐにある甘露泉水の湧水地

それに加えてこの山は暴風と言っても良い強烈な風が天気に関係なく吹きまくっていて、昨日のように珍しいくらいの晴天でも強風だったそうですが、今日などは朝から曇りで登山を開始後すぐに雨交じりになってからというもの、暴風雨が吹き荒れていてそれは怖いほどでした。

9合目からは登山のきつさに暴風雨が加算

多くの登山客がこの天候では山に登る意味がないからと途中で引き返していた中、私達3人は8合目までは歩を進めましたが、そこで篠崎夫妻は下山を決めました。山はいつでも引き返す勇気が必要だと言われており、その点では私は無謀でしたが「もう少し先まで登ってみる」とお二人と分かれて単独で、ほとんど遭難に近いような悪天候の中を登って行きました。

崖崩れを補修した登山道の筒状階段

すると、鎌倉から来たという年金生活者も一人で登っていては心が折れそうだからと同行することになり、二人で何とか登った結果、遂に頂上までたどり着いてしまいました。しかし、頂上についても周囲は真っ白で何も見えず、立っていることも大変なくらいの強風のため直ぐに下山を開始。

利尻山頂上

この山は森林限界の上はハイ松と笹が茂っていますが、その上は昔の火山の名残で火山岩の瓦礫だらけで滑り易く、とにかく慎重に降りて、スタート地点のキャンプ場に戻った時には両足がパンパンになっており、しばらくはまともに歩くことも出来ませんでした。それでも、敦子と篠崎夫妻が温泉の用意をして待ってくれていたので、帰りがけに町営の日帰り温泉でゆっくりし、今は何とか生き延びています。

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あぁ!利尻富士~稚内・利尻・礼文2日目

2024-06-29 19:42:49 | 旅行

稚内・利尻島・礼文島5泊6日の旅の2日目の今日は、強風を除けば最高の天気で最高の利尻山(利尻富士)を見た日でした。

昨夜は稚内で宿泊し、朝11時15分発のフェリーで利尻島へ向かうため2時間ほど稚内で観光をする余裕があり、出かけたのは高台にある稚内公園でした。

ここからは市内が一望出来き、更には利尻島や運が良ければ樺太も見えるということで出かけたのですが、話には聞いていた樺太島民慰霊碑の「氷雪の門」や悲劇の電話交換士達の「9人の乙女の像」などがあり胸を打たれるものがありました。更に「開基百年記念塔」に上ると遠くに利尻山も見え、1階の展示スペースでは昨日に続いて樺太と稚内の歴史的展示物も多く見られ勉強になりました。

利尻島往きフェリーは、ものすごい強風の中でもさほど揺れることもなく海を渡り、船からは利尻富士がはっきりと見えていました。

島に着いてからは、今日は半日かけて島を一周するドライブの日と決めていたので、時計回りにまずは「姫沼」に向かいました。ここは高台にあって少し窪んだ地形のため強風の影響がなく、まるで「ここは天国か」と思うくらいに周囲800mの小さな沼とバックに利尻富士が聳えていて、そこを木道を歩いて一周する気持ちの良い時間を持てました。

次いでネット情報で得た「寺島菓子店」の「利尻プリン」を食べに寄ってから、「白い恋人の丘」と呼ばれる北海道を代表する石田製菓「白い恋人」のパッケージ写真の撮影場所に立ち寄りました。多くの観光客がいてお互いに写真を取り合っていたので、私達も4人で写真に納まりました。

次は仙法師御崎公園でした。ここは島の真南にあたる荒々しい海辺で、ここから後ろを振り返った時に見える利尻富士が絵になりました。利尻昆布やウニの専門店が1軒あって、そこの話好きのお兄さんのうんちくを聞きながらお土産も購入しました。

ここからは島の時計回りの左半分を利尻富士を右手に見ながらドライブして、スタート地点のフェリーターミナルに戻りました。今日のドライブの最後の目的地としてフェリー港近くの標高90mくらいの小高い山であるペシ岬に登りました。下から見るとかなりきつそうでしたが、登ってみるとそれほどでもなく、ただ風が強過ぎて吹き飛ばされそうになりながら登り、上からの港と利尻富士の景色を堪能し今日の旅程を終えました。

この後、今日、明日の宿となる「ペンション・レラモシリ」にチェックインし、いよいよ明日の利尻富士登山に備えています。

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日本最北の地~稚内・利尻・礼文1日目

2024-06-28 19:29:48 | 旅行

今日からカナダから訪問中の篠崎夫妻と一緒に5泊6日の稚内、利尻島、礼文島の旅行を始めました。1日目の今日は美瑛町の我が家を朝8時過ぎに出発し、真っすぐに北上、途中の音威子府村からオホーツク海を目指しました。

最初の目的地は日本最北の地、宗谷岬でしたが、オホーツク海を右に見ながら北上すると途中で猿払村を通過します。ここはホタテの水揚げ地であることから昨年度の村民平均所得が732万円という超金持ち村であることで有名な所なので、走りながらホタテ御殿はないか、村民が乗っているポルシェやランボルギーニはないかと探してしまいました。しかし残念ながらそういうものは見当たらず、ランチに道の駅で名物のホタテ焼きをいただいたのでしたが、風の凄さは日本一と言っても良いかというくらい強烈でした。

そこから30分ほどで日本最北の地、宗谷岬に着きました。さすがに観光客も多かったです。晴れていれば樺太が見られるのでしょうが、今日は天気は良かったものの海上には雲があって沖合は全く見えず、樺太らしきものは見えませんでした。

この後は稚内市のもう一つの岬であるノシャップ岬を目指しました。宗谷岬からは海岸沿いではなく内側の高台を走って行くと、今結構話題となっているホタテの貝殻を敷き詰めた道路「白い道」を通ることになりました。確かに白い道が3㎞くらい続いていました。

ノシャップ岬では明日から訪れる利尻島の利尻富士の雄姿が見えるかと期待したのですが、ここも沖合は雲が漂っていて叶わず写真を撮って稚内市内に戻りました。

市内では是非見て見たかった戦前の稚内と樺太を結んだ鉄道連絡船の港の防波堤ドームに立ち寄りました。多分1945年の8月、私がまだ生まれる前のことですが、私の母親は樺太から引き揚げてこの地に降り立ったのだと思うと少しジンと来るものがありました。

その後もう一つ見たかった副港市場内にある樺太記念館に入って見て、防波堤ドームも含めた日本と樺太の歴史を様々な展示から知ることが出来き、思った以上に学ぶものがありました。

今日の旅程はここまででした。明日は利尻山の待つ利尻島へフェリーで向かいます。こんなに強風が吹き荒れていてフェリーは欠航しないか、少し心配になっています。

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アヌーク・エメ

2024-06-27 07:43:20 | 日記

6月14日のブログに「美瑛で生まれた映画」という記事を書きました。その中で手法は違うが美瑛で撮られた「Neighbor’s」という映画は1966年公開のクロード・ルルーシュ監督の出世作「男と女」を思い出させると書いていました。それから4日後の6月18日、「男と女」で主演したフランス人女優アヌーク・エメさんが亡くなったというニュースが流れました。92歳だったそうです。

掲載した写真は、全てネット上にあった著作権フリーのサイトからの借用

何かの縁を感じてしばらくネットで彼女の記事を見ていて、5年前に53年前の映画と同じ監督、キャストで「男と女 人生最良の日」が制作されていたことを思い出しました。2020年の正月にカナダから日本に一時帰省していた時、寅さん亡き後に制作された「男はつらいよ お帰り寅さん」を見に出かけ、その時に映画館でもらったパンフにこの映画の話もあり、「これは見なければならない」と思いながらその機会はなく忘れていました。

今この映画を見ることは出来ないかと探して見たら、灯台下暗しで我が家が加入しているアマゾンのプライムビデオで見られるのでした。ということで、昨日早速見て見ました。

音楽を担当したフランシス・レイは2018年に亡くなっているのでこの映画にどの程度関われたかは不明ですが、あの「ダバダバダ~」と流れる主題歌を初め使われる曲は皆オリジナルのもので、開始早々から懐かしさでワクワクしてしまいます。映像もオリジナル画面が随所に使われています。

それもそのはずで、この時クロード・ルルーシュ監督は83歳、アヌーク・エメは87歳、ジャンルイ・トラティニャンは89歳で、映画は回想シーンと会話で構成するしかなかったのだと思います。「撮影に長い時間は取れなかった」と後から監督は語っています。

認知症で記憶が曖昧なジャンルイが入居している施設に訪ねて来たアヌーク・エメと話しても彼女を’認識できない(あるいは認識できないふりをしている?)まま、ただ53年前の恋愛が人生最良の日だったことを二人で語り合っていました。

高校1年の頃に見た当時は大人び過ぎたこの映画のオリジナルになぜ未だに惹かれるのか、私の場合はストーリーもさることながらやはり音楽と映像美だったように思います。ストーリーとは何の関係もなく老人と犬が海辺を散歩するシーンに「Love is stronger far than we」という曲が重なります。この曲は、映画の中では男女のデュエットで多く使われるけど、このシーンでは確かトランペットで演奏されその切ない音色が忘れられません。

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6月下旬の家庭菜園

2024-06-26 07:37:22 | 家庭菜園

5月末に苗や種を購入して小さな畑に植え、今年の我が家の家庭菜園がスタートしました。それから1か月が過ぎましたので現状を書き記しておきたいと思います。

この1か月で味わったことは、5月から6月中旬まで北海道は去年と比べてかなり寒い日が続いたことで、家庭菜園のスタートには早すぎたことでした。6月が収穫最盛期のアスパラ農家さんが悲鳴をあげていたことが良く分かります。我が家でも以前に遊び心で買って見たと書いたメロンとスイカの苗が寒さで完全に死んでしまい、もう一度買い直したことがありました。しかし、スイカは買い直したものも再び死んでしまいました。ビニールの風や寒さ除けをしたにもかかわらず、です。農業は天候次第だということを改めて知らされました。

その寒さを乗り越え、今は各野菜たちもまぁ育っているようです。

これは畑の全貌です。一番手前のカラス対策にトンネルで覆っているイチゴは順調です。昨日までにカラスに食べられた1個を含めちょうど100個の収穫をしています。まだしばらく収穫が続きそうです。それが終わったら来年のために子苗、孫苗の生育に入りたいと考えています。

これはナスとその先にシソ、ネギ、更にその先に葉物野菜の畝です。ナスは何の手立てもしておらず、ただ下葉を取り支柱で支えているだけのいわゆる放任栽培です。去年もこの方法でかなりの収穫があったので大丈夫かなと思っています。シソ、ネギは去年も放っておいてもかなり大きく育ちましたのでこれも生育を見守るだけです。葉物野菜は、春菊、レタス、20日大根、ホウレンソウと全部種から植えましたが、既に収穫して食卓に乗っています。生育が極めて速いし、採りたての新鮮な野菜の旨味を味わっています。

これは枝豆です。これも放任栽培ですが、去年もうまくいったので順調に育ってくれると思います。

カボチャは今年初めて2株植えて見ました。Youtubeで親蔓の摘心とか子蔓の2本仕立てとか学んだのですが、親蔓の摘心までは分かったものの、その後どの子蔓を育てていくか見極めがつかない間にどんどん成長してしまってわけが分からなくなってしまいました。なので、ここからは放任栽培です。どうなるのでしょう?

トウモロコシは順調です。

ミニトマトも基本は放任栽培です。昨日、だいぶ大きくなってきたので支柱を立ててそこに誘因しようと思っています。あちこちに伸びすぎて1株で4本も支柱を必要とするものがあったり、1本の支柱でバランス良く育っているものもあります。

一番奥のアスパラは、今年は2年目の株育成の年なので何もせず放っておきます。来年が3年目なのでお約束の収穫が出来るか、楽しみにしています。

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