学歴や金ではない、人気と愛情の格差
■ダメでウザいけど人気があるやつって?
とある東大卒の上場企業経営者にこんなことを聞かれました。
「ニートたちの中にも、うまくいく人と、いかない人の、格差ってあるの?」
僕は、全員がニートの「NEET株式会社」や、就活を辞めた既卒者向けの「就活アウトロー採用」など、多数派の枠からはみ出したマニアックでひねくれた人たちの集まるコミュニティをいくつかつくっています。
そんな、一見「社会的にダメなやつ」の烙印を押された者同士のコミュニティの中でも、みんなから受けいれられて人気のあるやつと、受けいれられずに不人気なやつがいます。
面白いことに、人気のあるやつはその「ダメなやつコミュニティ」の外に出ても、やはり人気者なのです。自分の考えたサービスを使ってくれる人が増えたり、ちゃんと企業から内定をもらえたり、人気の効力はコミュニティの枠を超えていきます。
人気か不人気か。その違いを考察してみると、学歴や経歴、家柄なんかではありませんでした。そして、持っているお金や知識量の差でもありませんでした。ケチで、ズレたことばっかり言うのに人気なやつもいれば、言動はすごくまともなのに不人気なやつもいます。
それはなぜなのか。ちょっと極端な例ですが、僕たちが運営しているコミュニティの中にいる、J君の話をしようと思います。J君は、相手の話はすぐに遮り、大声で自分の話ばっかりしています。みんなで議論しようという時も、自分の話はとまりません。はっきり言って、かなり「ウザいやつ」です。しかしJ君は、不思議とコミュニティに受けいれられていて、彼なりの役割を担っています。
(中略)
■人気の格差の正体は……
僕は、人気の格差は「愛情の格差」でもあると思っています。
学校での成績や習い事の成果が優秀だったとしても、「また100点、あなたはずごい」「一等賞で、誇らしい」といってその点数や順位、結果ばかりを評価されていると、自分は「優秀という条件付き」だから価値がある、と思うようになってしまって、自己肯定感を持ちにくいようです。もちろん、その家族に愛情がなかったわけではないのでしょう。でも、どうしても成績優秀だとその結果ばかりを評価してしまいがちです。
そうやって「条件付き」で育つと、進学や就職もうまくいって一見順調な人生を歩んでいるようにみえても、無条件には自分の存在を肯定できず、自分の存在意義や立ち位置を守ることに必死になり、勉強や仕事のライバルを攻撃したり、ひどく妬んだり、時には傷つけたりしてしまう人が多いようです。こうなると、なにかピンチに陥った時や、うまくいかなかった時、もしくは何かにチャレンジしようとする時に、それこそ“人気”がなくて、同僚や仲間から応援してもらったり助けてもらったりすることができなくなってしまいます。
学校や会社、ありとあらゆる社会生活において、評価や価値の「条件」はついてまわります。それでも、僕たちはどこか未熟で不完全な存在であり、思わぬ激変に巻き込まれ「なにものでもない」ちっぽけな存在に立ち戻ってしまった時にも、それを受けいれてもらうことができる人気と愛情を持った人間でいたいものです。
(若新雄純=文)