銀行マンに「ワクチンについてはテレビ等で勉強したけど、あれ本当に大丈夫なのだろうか?」と聞くと、「ワクチンと言う言葉だけが走って居るような気もするが。そう言えば富裕層の方々は人工呼吸器が家にあるらしい。やっぱり本当のお金持ちはレベルが違うわ。ところで年末はバイトするの?」と、最後に変な切り返しを頂いた。
私は「湯治もキャンセルしたし、デイは29日から休みに入るし、家族でまったりかな」と。
そんな話をしていたせいなのか、今朝は夢の中でこんな言葉を聞いた。
「死んで花実が咲くものか」「命あっての物種」「辛抱する木に金が生る」
時の流れ、ふとそんな事を思いながらこちらの記事が目に止まった。
瀬戸内寂聴「天国も地獄もない気がする」…秘書“代筆”で死生観の変化を告白
2020/10/27 17:00 AERA dot.
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dot/life/dot-2020102300031
(前略)
「でも人間の想念は生前の思想や性格やクセを魂の中に内蔵したままあの世に行くとしたら、生前に自由の問題を解決した人は問題ないと思いますが、まだカルマの解消が不充分な人にとっては、必ずしも、あの世は自由でないと思います。仏教が業(カルマ)の解脱をやかましく言うのはそこの点ではないでしょうか。だから生前にこの問題を解決しとけと仏教は修行を通して説教しますよね。
またセトウチさんは向こうには垣根や段階はないとおっしゃいますが、死後の世界は自然の理法や宇宙の摂理にのっとった法則に従った世界だと思います。だとすると、類は類を持って集まるという親和の法則が働くはずです。つまり波動の世界ですから、同じ波動のもの同士共鳴し合いますよね。波動を共有できない場合は反発し合うので、どうしてもそこに偏差値ができて、自然に垣根や段階が形成されることになるんじゃないでしょうか。その方が同じタイプの人間同士が集まるので、対立はないですよね。だから、平和で極楽だと錯覚を起こします。
セトウチさんは、そんな反親和性の世界は「退屈という苦だけがのさばっている」とおっしゃいますが、確かに目的を持たない人にとっては退屈でしょうが、退屈を美徳にしている人間にとっては退屈は天国でしょう。しかし、この場合の天国は限定された天国で、やがて、退屈に飽きてくるでしょう。魂の向上を目指す人間なら別の階層を求める努力をするはずですが、そうでない人間は転生を希望するのじゃないでしょうか。
(以下略)
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