この記事はチョッと長いのですが、考えさせられたイイ記事だと思うのですが、どうでしょう。
さて、マジでそろそろ寝なくては昼からのスケジュールがダメになってしまうので、今日のネットはこれでおしまい。
インターネットは我々に何を与え、奪うのか ~ クレイ・シャーキーとニコラス・G・カーの新刊(WIRED VISION) - goo ニュース
インターネットでは「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が問われると言われ、ワタシも基本的にそれに賛成なのですが、そういうワタシにしても特に注意してその言説を追う識者がいるのも確かで、今回はワタシにとってそういう存在であるクレイ・シャーキーとニコラス・G・カーの新刊を取り上げます。
この二人を並べると、アカデミックなバックグラウンドを持ち、昔からインターネット技術が与える人間への社会的影響を語ってきたシャーキーと、ITにはもはや戦略的価値はないと断じる論文で一躍その(悪)名を轟かせ急浮上したカーでは共通点が少なさそうですが、インターネットを主舞台とする論者としてお互いの仕事に言及することも多く、前作、新作とも刊行時期がほぼ同じこともあり、実はお互いをかなり意識しているのではないかと勝手に想像しています。
(中略)
今回この文章を書くために NPR に『The Shallows』からの抜粋 "The Very Image Of A Book" を読んだのですが、この文章自体「最近よく本というフォーマットが終わりとか言う人がいるけど、19世紀から新しい媒体が生まれるたびに本は死んだとか言われてきた歴史があるんだよね。でも、本は生き延びたよ」というカー先生らしい文章なのですが、その中にシャーキーが Britannica Blog に書いていた「カーは熟読する能力がなくなったと嘆いているが、現代人は時間を無駄にしなくなっただけ。トルストイの『戦争と平和』とかプルーストの『失われた時を求めて』みたいなクソ長くて退屈な代物は今じゃ割に合わないの」という主張がそのまま引用されていて、カー先生の意地の悪さに大笑いしてしまいました(注記:この段落の二人の文章の要約はかなり乱暴なので鵜呑みにしないように)。(以下略)