日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

フォイヤーシュタインIE-Ⅰの教材。

2015-12-26 16:58:57 | フォイヤーシュタイン
 少し、寒い気もしますが、
窓開けても、すぐには閉めない12月って、やっぱり暖かいですね。

 さて、昨日の続きでフォイヤーシュタインの教材の紹介です。
教材を紹介したからといって、教材が買えるわけではありません。

 前にもブログで書いたように、
フォイヤーシュタインの教材はワークショップを受けた人のみ、購入可能です。

 私が教材を紹介しようと思ったのは、
フォイヤーシュタインの中身がどんなだか、知りたいという人がいらっしゃるからです。

 では、今日はフォイヤーシュタインIE-Ⅰです。
 点群の組織化
 空間定位Ⅰ
 比較
 分析的知覚


 点群の組織化
この教材はベーシックにもありましたが、点の数が増え、形も複雑になります。
この教材では、モノに名前があることの意味を考えたり、
物事を戦略的に考える方法を学ぶことができます。
また、形を把握する力や衝動性を押さえる力、よく見る力なども育むことができると思います。

 空間定位 Ⅰ
事物の変化と恒常性について学ぶことができます。
また、自分のまわりの空間と自分の関係性についても学べます。

 比較
複数の物を比べる力を養います。
比べるという行為を言語化することで語彙力も育むことができると思います。

 分析的知覚
物事を分析する力をつける教材です。。
また、全体をよく見たり、部分的なところを見たり、必要に応じて視点を変える行為も育みます。

 さて、自分がフォイヤーシュタインの教材を使いながら言うのもなんですが、
市販の教材でも、保護者の方や教える人が、
子どもに、何をつかんで欲しいのか、ちゃんと意図を持って教えれば、
IEの教材と同等のことができると思っています。

 もっというならば、市販の教材がなくても、
子どもさんに「これを伝える!」という意図を明確にしていれば、
教育分野でも生活分野でも身近なもので伝えることは可能です。
それをしたのが、こよりさんです。



 子どもさんは、何ができたら、より自立して生活できますか?
生活が豊かで、彩りのあるものになりますか?
毎日をより楽しく過ごせますか?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォイヤーシュタインIEベーシック教材。

2015-12-25 17:50:32 | フォイヤーシュタイン
 今日はクリスマス落ちの骨付き鶏モモ肉を買いに近所のスーパーへ。

 普段は骨付きは売っていないので、
今日は多めに買っておいて、タンドリーチキンにしたり、
出汁とってスープカレーにしようと思って、いそいそ買い出し。

 が、しかーし!
2本しかありませんでした
2本以外は、「山賊焼き用」として、なんかべっちょりタレ付きに。

 味、ついてなかったら色々使えるのに。
味ついてたほうが売れるのかな。

 当てが外れると、買い物ってちょっとさびしいですね。

 自分でもときどき、
「あれっ。この教材は…?」と思ってしまうフォイヤーシュタインの教材。

 メジャーではない、フォイヤーシュタインのIEについてブログで書いているからか、
時々、お問い合せをいただくことは数日前に書きました。

 いったい、どんな教材があるのかなぁ、と思われる方もいらっしゃると思います。

 私自身の備忘録(それじゃ、いかんがな、私)の意味も含めて、2,3日でざっとまとめてみますね。

 まず、IEのベーシック。

 点群の組織化
 空間定位
 どんなきもち?
 ひとつからグループへ
 トライチャンネル
 くらべてみよう Ⅰ,Ⅱ
 けんかになるまえに
 絵をみてこたえてみよう
 分けよう!


 こんなところです。
英語の原題そのままのものもあり、私の印象で勝手に名前をつけたものもあります。

 点群の組織化
これは、まっすぐってどんな線か、点だけの用紙からどんな線を引くか予想する力、
形の概念、等々一見すると遊びのような課題ですが、向きや方向、
自分の位置など色々な概念の形成に役立つ教材だと思います。

 空間定位
教材の絵を見ながら、絵について説明したり、質問して、
自分ではないものの位置の把握や具体的なものの説明など、
空間の把握はもちろんですが、相手にわかりやすく説明する力や言葉の力も漬けることができる教材です。

 どんなきもち?
絵や写真を見て、相手の気持ちを考えます。
でも、ちゃんと相手の気持ちがわかったかよりも、
自分がそう感じたのはどうしてかを説明することが大事な教材なのではないかな、と私は感じています。

 ひとつからグループへ
数を数えたり、指示に従ってグループに分けたりする中で、
数の概念や効率的なグループ分けなど算数や段取りにつながることを学べます。

 トライチャンネル
目に頼らず、手、指を使った形の把握。
どうやったら正確な形が把握できるかの工夫や
目以外の機能を有効に使う練習、注意力などをつちかうことができます。

 くらべてみようⅠ,Ⅱ
一見するとかわいらしい絵に潜む、なにかへんてこな感じ。
それを感じて言葉にしたり、気がつけなくても質問しながらじっくり絵を見て観察する力をつけます。

 けんかになるまえに
絵を見て、絵の中の登場人物の置かれた状況を説明したり、
絵の状況の人がその後どうなるかを予想したりします。
絵を言葉におこしていくことで言語化する力をつけます。

 絵を見てこたえてみよう
絵を見て、お話を考えます。
簡単な質問にそって、絵の何を見たらいいのか視点を持つことや
文章力をつけたりすることができます。

 わけよう
絵にされているものに名前を付けたり、
質問にあたるものはどれかを考えたりします。
身の回りのものを観察する力をつけたり、ものにはどんな機能があるか考えたり、
物を分類する力をつけることができます。

 あくまで、私が教材を使った場合、
そういう風に使っていくかな、という視点で教材の説明をしてみました。

 同じ教材でも扱う人によって、視点も違えばやり方も違います。
その点を頭に入れた上で、教材のイメージをつかんでいただければと思います。

 一緒に学ぶ子どもさんによって、内容は変化しますし、
もっと難しいことをするかもしれませんし、もっと易しいことからはいるかもしれません。
教材というのはそういう生き物のようなものです。

 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

繰り返しの掃除好き。

2015-12-24 18:27:50 | 日記
 世の中、クリスマス一色っぽいですね。
クリスマスの恩恵は、普段は注文しないとないローストビーフ用の肉の塊が並んでいたり、
骨付きのモモ肉が売っていたりすることですかね。

 明日になれば、クリスマスに売れ残ったそれらは安くなるであろう
狙いはそこの私のクリスマスです。

 Facebookやらなにやら、
様々な講座の案内やら招待やらきます。

 こんな講座もあるんだぁ、と感心したり、不思議に思ったり。
私も色々な講座に参加して、色々なことを教えていただいたなぁと思います。

 たぶん、自分が好きなこと、嫌いではないことだからでしょうか。
お掃除とか片付けの講座にはまったく心が動きません。

 かといって、我が家が片付いているかと言えば、
どちらかというと、とっ散らかっています。
散らかしていると、猫の梅ちゃんが散らかった場所に尿テロ決行したりして、
更なる悲劇を生んだりします。

 でも、まぁ、家のことだから仕事から帰って、片付けたり、
尿テロの処理をしたりを淡々としていきます。

 そして、きれいになると、
「ああ、すっきりしたなぁ~」とお茶飲んで、別のことをします。

 そして、また、散らかったりするので、
そしたら、また片付けて~~~です。

 その、何度も散らかり、片付けるのが不毛だから、
色々な講座があるのでしょうね。

 私は生活って、そんなもんだよね、と思うので、
片付けて、また散らかって、また片付けるというのが、
自分の精神上、大きく占めて苦しくなるってことがありません。

 今は自分が生きているうちに、子どもの迷惑にならないようにと、
親の世代が自分のものを片付けたり、捨てたりするというのも、
テレビで見たり、話に聞いたりします。

 私の母も亡くなった父の本がたくさんの家で、
「困るよね、整理しようか?でもねぇ…」と言っています。
父が居たままになっている部屋を見ると、母がそのままにしておきたいと思う気持ちが伝わってきます。

 年を重ねた人が、自分の亡くなったときのことまで心配している姿は、
私には胸が痛む光景です。

 「お母さんが亡くなってから、ゆっくり、私のいいようにするから。
まぁ、そんなことより、毎日、楽しくね。」というと、
母は、ほっとしたような顔になります。

 もしかしたら、年を取った私はそのことを後悔しているかもしれないけれど、
そんな先のことは、先にならないとわからないから、いいや!と思ってしまいます。

 先のことよりも、今、現在、が優先されるのが、私の性格なんだろうな。

 さて、まだ、旦那どんも帰って来ないので夕飯にできないので、
台所の掃除でもしましょ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォイヤーシュタインについて。

2015-12-23 22:05:41 | フォイヤーシュタイン
 一昨日煮た、1kgちょっとの金柑漬けがもうなくなりかけています。
実家の母にお裾分けしたし、今日は早朝の仕事のおやつに持っていったけれど、
早すぎやしないか、私。

 はりはり漬けももうない。
自分で作ると、自分好みの味だからか台所に立つたびにつまみ食いしているしなぁ。

 とりあえず、お正月用に再度金柑注文せねばですわ。

 フォイヤーシュタインの教材について、
「どこで買えますか?」とのお問い合せがあります。

 結論からいうと、教材のみの購入はできません。

 フォイヤーシュタイン教授の作ったIE-Ⅰ、Ⅱ、Ⅲのワークショップと
IEのベーシックⅠ、Ⅱのワークショップがあり、受けたワークショップの分だけ教材を購入できます。

 また、教室で子どもがやった教材も持ち帰ることはできません。
これは、フォイヤーシュタインの本部からのお達しらしく、
コピーなどして、教材のみがトレーニングペーパー化することを避けるためのようです。

 そして、色々な幼児教育花盛りの日本で、
フォイヤーシュタインの教材を使う教室は数えるほどしかありません。

 九州では、保護者の方が自分のお子さんにしていらっしゃる方が2人ほどいらっしゃるようですが、
教室でフォイヤーシュタインをしているのは、私だけです。

 関西では、ワークショップを主催される先生のところ、
一緒にワークショップに参加した方と何人かは教室を開いていらっしゃいます。

 神戸の垂水のフォイヤーシュタインラーニングセンター
ワークショップを主催される芦塚英子先生の教室。

http://www.hopedu.com

 大阪の教室 ななつ星
一緒にワークショップを受けた高橋さんの教室。
料理教室のお手伝いをされている裏の顔も魅力的です。
nanatsuboshi-kids.com/index.html
 
 関東については、以前のブログで紹介しましたので省略しますね。
他にも教室をされていらっしゃるかもしれません。
私がお会いして、親しくさせていただいているおもろい方々のご紹介にしておきますね。

 さて、こんなに教室の数が少ないと、
まぼろしのつちのこか、カッパのような、…いや、それよりは目にする確立は高いですが、
希少生物のようではありますね。

 「このままでいいなんて言わないで」というフォイヤーシュタイン教授の本を読むと、
本部では教材を集中的に学校のような感じで取組んでいるのかな、という感じです。
それと同様のことをするには、家庭で保護者の方が毎日取組むのが良いから、
日本では保護者の方が学んで、自分のお子さんにされる場合が多いようです。

 でも、ワークショップが開催されるのを待つのももどかしいことと思います。

 私はフォイヤーシュタインと出会う前は、本屋さんでよく見る、
有名どころの点つなぎをするワークシートや絵を見て答える問題などを使っていました。
幼稚園や小学校のお受験ものの教材もよく使いました。

 ただ、次々とやるものの、
子どもの何かが成長した、変化した、という手応えがありませんでした。

 当時は、教材の不手際のように考えていましたが、フォイヤーシュタインを学んでからは、
それらの教材を使っていた私に、教材を通してそれで子どもにどんなことを教えたいのか、
その教材が子どもの今とどう繋がり、できないのであれば何を補えば良いのか、など
という視点が欠けていたのだと思います。

 そういうことを考えると、
お子さんとフォイヤーシュタインを!と思いながらもワークショップはいつ!?と考える保護者の方々も、
市販の教材を使って、その教材ができた、できないに一喜一憂するのではなく、
教材を用いて、その子が生きていくために必要なことを媒介することに着目して、すすめていけば、
フォイヤーシュタインのワークショップを待つまでもないことになるかもしれません。

 私は今は、市販の教材でもフォイヤーシュタインのように媒介ができるな、と思っています。
そういう視点を学び、自分のものにできたことがフォイヤーシュタインを学んだ、
私の一番の収穫だったかもしれません。


 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良い天気。

2015-12-22 15:54:07 | 日記
冬至ですね。
今日は、早朝仕事はお休みの日で、朝から柚子湯にどぶんと浸かりました。朝風呂は気持ちがいいですね。

今日は父の七回忌でした。
ほー早いなぁと思いながら、母の待つ実家に向かいました。

よく食べる、病気もしない父で本人は「150歳まで生きて世の中を見る」と言っていたのですが、それには73年ほど足りずに旅立ってしまいました。

父は鹿児島の田舎の生まれで、小さい頃は「ものが言えない子どもが生まれた」と言われていたそうです。本人曰く、「頭の中でたくさん喋っていたから、周りの大人は何言ってんだろうと思ってた」そうで、今となっては凸凹ちゃんだったのね(´・_・`)と思うエピソード満載の人でした。

そんな父は、田舎の小学校で勉強ができようで、鹿児島市内の高等中学校に進学することとなったそうです。しかし、世の中は昭和19年とか20年の頃。早朝に田舎から汽車に乗って行っても着くのは午後。やっと学校に着いたと思ったら、授業は進んでいるし、もう、帰りの汽車の時間で下宿をすることになったそうです。

下宿先には田舎の親が米を持たせるものの、自分の口に入ることは一度もなく、嫌な人間がいるということを14、15歳でひっしと感じたようでした。そして、しばらくすると、鹿児島大空襲で逃げ回ったそうで、中学生の頃「あなたの年に、僕はひとりで空襲の中を逃げ回っていたからね~~。」と言っていました。

そして、戦争が済むとそれまでと全く違う教育をその同じ口で教える教員に嫌気がさしたそうです。また、大勢の人が賛成すること、良いということは疑うという癖もつき、とにかく、自分で考えなくてはダメなんだ、ということが染み付いたようでした。

一見、穏やかでにこにこした父でしたが、家族でも何か立ち入ることのできないものを秘めた人でした。一方で、面白い人でそんな人を父に持てて私も良かったと思うことです。

母は「七回忌まではがんばる」と言っていましたが、まぁ、そう言わず三十三回忌くらいまでは元気でいて欲しいものだと思うことです。

さて、あとは南瓜を食べて冬至の今日を締めようと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする