ANNAN(ふれでぃ・えとう)の気まぐれ日記

シンガーソングライター、そしてQUEENトリビュートバンドQUEENESSのボーカルでもあるANNANの日記

スティーブ・ジョブスさん、安らかに

2011-10-07 00:37:40 | Weblog
今日はちょっといつもと方向性が違う記事である。
ちょっと仕事歴の話が出てくる。

大学在学中、某英会話学校で講師として仕事してたワシ。

そして大学を卒業し、最初に入ったのが富士通という会社。そこの海外事業部でアメリカやアイルランド、そして英国を相手に仕事してた。その頃仕事で使ってたのは、もちろん富士通の9460とかいうパソコン。今で言うワードやエクセルのようなソフトとしては、エポカルクとかエポエース?とかいう名前のソフトだった。今のパソコンのようにマウスなどない。記憶媒体はハードディスクではなく8インチとか5インチのフロッピーなんかLPレコードぐらいのサイズだったと思う。

そして、次に仕事したのは日本オラクルという会社。今でこそ1500人以上いる大企業だけど、ワシは3人目の社員だった。他社のオフィスの中に机一つのスペースを借りて、東芝のJ3100というラップトップPC使って仕事してた。まだMS-DOSの時代である。ややあって、会社が10人程度になった頃、会社のPCとしてマッキントッシュを入れた。確かClassicとかそんな機種だったと思う。Windowsが存在しない時代。マウスを使って操作するのも新鮮だったし、WYSWYG(What you see is what you get)という、画面に見えるものと印刷されるものが同じというのが、当時としては驚愕だった。その後、アップグレードしたマッキントッシュを導入。ワシのマシンはメモリーが4Mb、ディスクが160Mb(いずれもGbではない!)という、それはそれは当時としては驚愕のハイスペックマシンだった。

その次の会社はおいといて、1997年~2006年ぐらいまで仕事してたグローバルナレッジネットワークという会社で、致し方なくWindowsに魂を売ったワシ。

オラクル在職時代、CEOのLarry Ellison氏と話をする機会は何度かあった。Bill Gates氏には会ったことないけど、マイクロソフト社の全世界のエデュケーション・プログラムに関するアドバイザーをしてたので、マイクロソフトの本社には何度も出向いたものである。また、ネットワークのシスコ社のCEO、John Chambersとも何度か話をすることがあった。

でも、一度も会えなかった人で、一度は会いたかったなーって人、Apple社のSteve Jobs氏が亡くなったというニュースを今朝聞いてびっくり!

彼が戻ってきてからのApple社は、次々と面白いモノを世の中に出してきたと思う。完全独自OSから、GUIを維持しつつUNIXベースに代わったマックだけど、安定性も増し、音楽や映像編集の世界では、やはり無くてはならない位置をきっちり確立。その後iPhoneやらiPADやらを次々と出して、スマートフォンやタブレットの世界をリードしてるのはご存知の通り。
数ヶ月前にCEOを降りるとの発表があった。癌を患っていることも知っていた。しかし、iPhone 4Sの発表直後の他界とは!びっくりである。これからのAppleが、彼なしでどう進むのだろうか?Apple社のHPに「Appleは先見と創造性に満ちた天才を失いました」とあるが、まさしくその通りだと思う。

彼がスタンフォード大学で行ったスピーチの中に;

「自分がいつかは死ぬということを覚えておくこと=落とし穴を避けるための最善の方法」
「もし、明日が人生最後の日だとしたら、予定などはどうでもよく、自分の心のままに行動するだろう」
「自分の思いのままに進む勇気が必要」
「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」

という趣旨の言葉があった。

考えさせられる言葉だと思う。明日自分が死ぬということは考えにくい。が、起きうることだということは言える。何事にも「絶対」はない。今さらではあるが・・・彼はそのスピーチの時点で自分の「死」がある程度現実に近いことを認識していただろう。Freddie Mercuryは自分の死期を悟っていただろう時期に(楽曲としてはBrian Mayの作品であるが)The Show Must Go Onという曲を鬼気迫るほどの迫力のボーカルで残している。

ワシに何が残せるのだろう?そんなことを考えさせられた一日だった。
R.I.P (Rest in peace), Steve!

ところで、Steve Jobs氏って仏教徒だったんだね。これは知らんかった。
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裏目とは --- (ライブ告知あり)

2011-09-25 00:21:32 | Queeness
新ベーシストが正式決定して初のライブが決定!してたんだけど、ここではアナウンスするのを忘れてた
今日の写真は、最近行ったフォトセッションのメイキングなのだけど、ボヘミアン・ラプソディーやゴッド・セイヴ・ザ・クイーンのQueeness版のレコーディングも終わり、新曲の仕込みも進み、ますますこれで前に進めそうな感じである。

10月2日(日)大船Honey Bee
鎌倉市大船1-22-19第2三友ビル3F
Open 18:30 Start 19:30
Charge 3,000 yen
予約受付中!
お問い合わせ 0467-46-5576



なお、詳細は後日発表するが、来年2月4日(土):大阪 ViCode、2月5日(日):名古屋 ell.SIZE、3月3日(土):東京 Shibuya REXの日程が決まった。まずはカレンダーをチェックしておいてねー

さてさて、9月21日、日帰りの予定で関西方面へ出張してたワシ。
そう、台風15号が来てた日である。
まず、10:15分羽田発・関空行きのANA(スターフライヤー運行)便を予約してたのだが、朝ニュースを見てたら、9時過ぎころに紀伊半島あたりに台風がいるようである。

「こりゃ飛ばないな」

と思ったワシは、新幹線に予定変更。8:50分東京発の新幹線で新大阪へ。そこで特急くろしおに乗り換える予定だったのだが、台風の影響でこの特急くろしおが運休
仕方なく快速電車に乗って目的地へ到着。飛行機に乗った場合と比べて、30分ほど遅れての到着ではあったが、問題なくお客さんとのミーティングに間に合った

で、そこで;
お客さん「新幹線止まっちゃいましたねー
ワシ「えっ!?帰りも新幹線に変更したんだけど
お客さん「今日はもう動かないでしょう

そう、ワシは朝に新幹線に戦略変更した段階で、飛行機を復路についてもキャンセルしてたのである。あわててネットで飛行機を予約しようとするのだが、できない

まあこれは飛ばないってことだなと考えたワシは、腹をくくって大阪で一泊。
夜、何気なくANAの運行状況を見て二度びっくり!ワシが当初予定してたANA150便は、なんと予定通りに飛んでいたのだ

仕方あるまい。不可抗力である。しかし、今年は旅に関しては「ハズレ年」だなぁ。パスポート失くした事件、カンタス航空遅延のお陰で空港ターミナル宿泊事件そして今回。うーん、まあこういうところで不運を被ってれば、他にでっかい運がやってくるだろう・・・と信じたいワシである。
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滝ともはるさん+堀内孝雄さん=南回帰線

2011-09-13 01:13:01 | Weblog
9月10日(土)の夜、ワシは久しぶりに横浜にいた。



妻のブリちゃんの誕生日が9月11日。それを、ワシの音楽の、そして大分時代の先輩でもある滝ともはるさんのお店「パラダイスカフェ」でお祝いしようということで横浜へ。

中華街で食事して(とは言ってもいわゆる高級中華ではなく、おかゆで有名なお店)、小籠包立ち食いして・・・そして、滝さんのお店に到着したのは午後10時。店では、この日のゲスト敬愛さん熱唱中。実は、敬愛さんとはステージで一度ご一緒してたらしい。そう、滝ともはるさんのデビュー30周年イベントに出演させていただいたときに、彼女はコーラスで参加してたらしいんだけど、すっかり忘れてて「はじめまして」モードなワシ。妻から「あの時一緒にステージで歌ってたでしょ!」と言われて初めて気づいた失礼なワシであった。

そんなこんなで、いつものようにちょこっと歌わせてもらったり、滝さんのバックでギター弾いたり、ドラム!叩いたり・・・わりとやりたい放題なワシ。相鉄線のヤマト、小田急江ノ島線(急行)のヤマト、そしてBette MidlerのRoseを歌うワシ。バックはピアノの岡ポンが弾いてくれて、ワシもギターを弾く。




そんなこんなで夜は更けて・・・ワシも久々に酒が回り・・・
滝さんが歌ってくれるHappy Birthday to マイ奥さん!
お店からはシャンパンだしてもらって・・・ゴキゲン!な夜だった。

そしてさらにゴキゲンなニュースが!
9月29日にNHK BSで放送される「J-POP青春の'80」で、あのデュエットが30年ぶりに帰ってくる!


滝ともはる

堀内孝雄


と言えば「南回帰線」。ワシの結婚式披露宴でも、滝さんとワシのデュエットで歌わせてもらい、この日も一緒に歌ってたけど、やっぱり見たいこの二人のデュエット!皆さんお見逃し無く!!!

さて、次の記事ではお待たせしました!Queenessの今後のスケジュールを発表予定!!!
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超久しぶりのソロライブ

2011-08-31 00:00:01 | ANNAN
8月28日、約1年半ぶりとなるソロライブを行ったワシ。場所は、Queenessでもお世話になっているパウロ鈴木さんの経営するライブハウス『Rubber Soul』(http://www.beatle-japan.com/livehouse/)。突然決まったのと、このところ海外出張とかで忙しくて、スケジュール告知があまりできていなかったのだけど、それにも関わらず来て頂いた皆様、まずはありがとうございました!

今回は、洋楽のアコースティックカバー中心で、2ステージやらせて頂いた。しかし本当に久々だったこと、それにも関わらず、慣れないミディアム弦を張ったりしたため(昔はいつもミディアムだったけど、最近は寄る年波に勝てず、普段は日和ってライトを張ってるワシ)もあり、Fのコードで苦戦・・・って、素人か>ワシ
声は好調だったんだけどなぁ・・・




今回、実に知り合いが多く集まってくれたため、さながら某企業とか某企業、そしてさらに某企業の同窓会と化した観客席。ある意味やりにくいが、客席をいじる楽しみは倍増である。なぜか離婚寸前?の夫婦が二人揃ってやってきたのをいじったり、ワシと同じく髪の毛の不自由なお客さんをいじったり、久々にネタを連発したり・・・やりたい放題とはこういうことを言う。



途中までは何を演奏したのか覚えてるけど、全部は覚えてないといういつものパターンで、鶴見の夜は更けて行きましたとさ。
お店の主?パウロ鈴木さんとの突然のコラボもやって、それにしても楽しい夜であった。
皆さん、ご来場本当にありがとうございました!
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今度は飛行機大幅遅延~カンタスのバカヤロー(その2)

2011-08-25 00:00:01 | Weblog
まずは宣伝から・・・
1年以上ぶりになるソロライブが今週末に行われることになった。発表遅くなってすみません。

いろいろあって、なんと1年半も休んでたソロライブ。久々にやります。
是非遊びに来てくださいねー!


場所: 鶴見 ラバーソウル
横浜市鶴見区鶴見中央1-14-2-2F
http://www.beatle-japan.com/livehouse/
日時: 8/28(日)18:00開場・19:00開演
チャージ: 2,200円
予約・お問合せ: 045-505-9617


さて、なにはともあれシドニーに到着。乗り継ぎ先のシンガポール航空のカウンターまで移動して事情を説明。

係員:「カンタスが遅れたから、お客様が予定便に乗れないという情報、すでに入ってますよ。なんとかしますのでご安心ください。
ワシ:「ありがとう
係員:「困ったなぁ
ワシ:「なにが?
係員:「今日(8月21日)シンガポールまでは飛んで頂けるんですが、そこから日本までのフライトが23日まで空いてないんですよ。」
ワシ:「うーん、アライアンスの航空会社(ANAとかUnitedとか)でもダメなの?」
係員:「全部満席ですね。大阪とか名古屋とかじゃだめですか?」
ワシ:「最悪それでもいいよ。」
係員:「あっ!全部満席だ・・・
ワシ:「・・・
係員:「シンガポールまで飛んで、あとはキャンセル待ちではいかがでしょう?」
ワシ:「困るのよ~。月曜日にお客さんのとこに行かなきゃならないから、何が何でも日曜日には日本に帰りたいんだよ~。最悪の場合は、復路をキャンセルして、他のエアラインのチケットを買うという選択肢しかないかも・・・

きっと、この「他のエアラインの・・・」で係員に火がついたんだと思うけど・・・

係員:「わかりました。なんとかします。
ワシ:「なんとかするって言っても満席でしょ?
係員:「裏技使います
ワシ:「えっ?」・・・待つこと5分
係員:「できた!!!シンガポールの空港で一晩過ごすことになりますが、いいですか?」
ワシ:「日曜に帰国できるんだったら何でもいいよ!」
係員:「はい!旅程表

どういう裏技を使ったのかは定かではない。おそらく既に予約入っているお客さんの中で、マイレージプログラムとかのステータスの高い人を、エコノミーからビジネスにアップして、ワシ達のスペースを無理やり作ったんだろうとしか思えない。それにしても素晴らしい対応である。ついでにカンタスのことを聞いてみる。

ワシ:「シンガポールで一泊だけど、その分(例えば空港ロビー内のホテルとか)の料金とか今までの電話代とかカンタスに請求できるかな?」
係員:「できます。できなきゃおかしいです。だって遅れたのはカンタスなんだから。シンガポール航空でこの事態が起きたとすれば、ホテル代含めシンガポール航空が保証します。それが普通だと思います。」

さすがサービスで定評のシンガポール航空。心強いコメントである。

ただし、交渉するのはワシ。まあ別にこれくらいのことを交渉するのは全然難しくない。ただ、時間がないのである。ここで手配してくれたフライトの出発まで、もう1時間少ししかないのだ。カンタスのバカヤロー!と叫ぶぐらいしかできんワシ。

結局、18時のフライトにのってシンガポールへ。シンガポール到着は午前1時。そこから日本への乗り継ぎ便は翌日22日の9時25分発。ということは、空港ターミナルで一泊(というのも、シンガポールのエアポートビル内のホテルは満室だったのだ)である。空港ロビーのソファで眠るワシとブリちゃん。バックパッカーじゃないんだからさぁ。ってか、トムハンクスの映画「The Terminal」みたいだな。

というわけで、バカンタス航空のお陰でシンガポール空港ロビー一泊という、貴重な体験?をしたワシら夫婦であった。

もう一度言おう。
カンタス航空・・・最低です。二度と乗りたくない・・・
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今度は飛行機大幅遅延~カンタスのバカヤロー(その1)

2011-08-23 00:00:01 | Weblog

カンタス航空・・・最低です

8月15日~21日の1週間、ワシは仕事でオーストラリアはタスマニア島、ホバートという町に行っておった。毎年恒例の、顧客向けの教育プログラムに参加するのがその目的である。8月15日、日本を出てシンガポール経由で目的地へ。なーんも問題なくスムーズに8月16日に到着。そんでもって、そこから8月19日まではワシは原則ホテルに缶詰めになり、いろんなトレーニングメニューをこなしたり、お客さんと話したり・・・

で、今回は「こんなことでもなければ、タスマニア島に行くことなんてないだろう」ということで、ワシの奥さん、ブリちゃんも同行した。彼女はもちろん会議に出るわけではないので、自由行動。ホバートの繁華街、サラマンカプレースやら、動物園やら、リバークルーズやらで楽しんだらしい。一人にしておいても、なんとか英語使ってチケット買ってあちこち行けるってのは、ワシにとっては助かる。だってワシは会議で行っているので、基本的に彼女の観光を手伝うことはできないからね。

ブリちゃんによるタスマニア島の写真。


タスマニアンデビル

ウォンバット

コアラ

カンガルー

リバークルーズ

ホテルからの光景(ジオラマ風)

20日に会議は終わり、ほとんどの参加者はその日の夜のフライトで帰途に就くのだが、ワシは1泊延ばして21日の朝に出発するスケジュール。なので、最後の夜だけは二人で食事に行く。ブリちゃんはタスマニアの豊かなシーフードがいっぱい入ったパスタ。ワシはカンガルーのステーキ!


カンガルーのステーキ

パスタ

ここまではゴキゲンだったのだが・・・

21日の朝、ホバートの空港に行ってみたら・・・

あれ!?ワシの乗るはずのフライト、カンタス航空(QF)1020便が「遅延」になってるよ
しかも、1時間30分も遅れているらしい

大丈夫かなぁ?と思いながらも、その便に乗ってシドニーまで行かなきゃならんのは事実なので、チェックイン。
ワシ:「乗り換え時間がシドニーで1時間ちょっとしかなくなるけど大丈夫?
係員:「大丈夫!

まあいいか・・・で、セキュリティーゲートを通り過ぎて、中に入って二度びっくり!

同じフライトがなんと2時間遅れになってるってことは、シドニーへの到着はその次の便の出発30分前。国際便のチェックインのカウンターが閉まるのはフライト40分前。

大丈夫じゃないじゃん!

こういう場合、日本の航空会社であれば(いかにワシの嫌いなJALであっても)、顧客がいちいち聞かなくても、一度状況を説明すればゲートの係員がそのお客さんのケア(乗り継ぎ便の手配や連絡業務など)を行うのが常識だと思う。しかしここはオーストラリア。そんなきめ細かなサポートなど期待できるはずもない。

切羽詰まったので、一度チェックインカウンターに戻って文句を言うワシ。

ワシ:「これじゃ絶対乗り継ぎ便に間に合わないんですけど・・・
係員:「乗り継ぎ側の航空会社と交渉してみて
ワシ:「はぁ?遅れたのはカンタスでしょ?そのくらい連絡しろよ!
まあこの後ひと悶着あるのだけど、それは省略。

カンタスの係員の対応に呆れるやら怒りを感じるやら。結局乗り継ぎ先のシンガポール航空のサービスカウンターに国際電話をかけて、とにかく予定の便に乗れないこと、便の変更をお願いしたいなど、ひとしきり伝える。それらの内容は全てシンガポール航空のコンピュータに即座に登録され、後にシドニー到着した際には、全て話が通じていたのには感心したが。

とにかく、最終的に2時間以上大きく遅れたそのカンタス1020便は14時40分にシドニー着陸。ゲート到着は14時55分。その時点ですでに次のフライトのチェックインカウンターはクローズしている。日本だったら、ここで地上係員が案内してくれたりするんだけど、ここはオーストラリア。そんなクオリティーの高いサービスは、オーストラリアには存在しない。

結局、乗り継ぎ先のシンガポール航空のカウンターに到着した頃には、ワシが乗るはずだった飛行機は既に離陸していたのだ。

さて、ワシとブリちゃんはどうなるのか?

以降は次の記事で。

それにしても、カンタス航空の対応はひどいものであった。二度と乗りたくない最悪な経験であった。少なくともサービスのクオリティー(というか、トラブル対策と顧客のケア)が全くできてないエアライン。以前、このブログでJALとAir Doの批判記事を書いたことがあるが、ある意味それを超えるレベルでQantas = one of the worst and most helpless/irresponsible airlines in the worldとしてワシの頭に登録された。
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海外でパスポートを失くすと・・・(その2)

2011-08-08 00:00:01 | Weblog
そんなこんなで、7月30日はほぼ丸一日をサンフランシスコ空港で使い切り、ホテルのシャトルに乗ってホリデーインに移動するワシ。パスポートのことが気が気ではないのだけど、気にしたところで戻ってくるのが早くなるわけでもない。仕方ないのでホテルの部屋で仕事するワシ。

結局、その日は何の連絡もないまま。旅程が延びちゃったのでパンツが足りないことに気付いたワシは、パンツを石鹸で手洗いして、その日は寝ることにしたのだった。



ホテルの外から取った写真
これを見るとサンフランシスコに来たな!と思う

7月31日。朝起きてまずはコンピュータを立ち上げる。航空会社からの連絡は・・・ない。そして警察からの連絡も・・・ない。やっぱり領事館に行かなきゃだめか!と思ってたら、10時ちょっと過ぎた頃に部屋の電話が鳴る。

相手:「ミスターエトウですか?」
ワシ:「そうですが・・・」
相手:「ユナイテッド航空の逸失物係ですが・・・見つかったよーん!
ワシ:「えっ?何が???」
相手:「パスポート」

やったー!
小躍りするワシ。

ワシ:「ありがとう!で、どうすればいいの?」
相手:「空港の逸失物デスクに取りに来て」

さて、その時点で10時30分ちょっと前。その日のフライトの出発時刻まで1時間。残念ながら既に間に合う時間ではない。そもそもワシのフライトは最悪の事態を考慮して、8月2日に変更されちゃってるし。というわけで、まずは落ち着いて予約センターに電話する。そんでもって、翌日(8月1日)のフライトに予約変更してもらう。

安心すると腹が減るのであるな。今日は日曜日だし・・・ゆっくりブランチでも食おうということで、まずはホテルのレストランに行ってエッグベネディクトを食べるワシ。



そしてチェックアウトして、シャトルで空港へ。無事にパスポートをゲット!

さて、そこで考えた。
今日はサンフランシスコ市内のヒルトン予約したけど、考えたらそこに行く必要ないじゃん。ただ、キャンセルがすでに効かない時間になってるので、仕方ないか。キャンセルしても料金既に100%取られるしなぁ。ということでタクシーで市内へ移動。ヒルトンにチェックインしてとりあえずちょっと散歩する。考えたら1か月前にもこの辺りにいたんだな~なんて思いつつ。散歩ついでに寄ったチャイナタウンで遅い昼飯というか早い夕飯を食べてホテルへ。




その日は夜に電話会議が二つあったので、結局なんだかんだ仕事したのだった。
それにしても、このチョンボによりワシが払った金銭的代償は、そこそこ大きかった。さすがにパスポート失くして延泊になっちゃった分まで会社に請求はできん。なので全部自腹である。ホテル2泊分、タクシー代、食事代・・・総額5万円以上の損失だったかな。まあ、仕方あるまい。高い授業料ではあるが。

8月1日

パスポートを手にタウンカーで空港に向かうワシ。あほかいな!というぐらい早い時間に空港着いて、わずか5分でチェックイン終了。チェックイン後、日本食のebisuというレストランで少しメシを食べるが、結構まずい!


ただここで「サンガリア」を見つけたのは収穫?

今回はマイル使ったアップグレードにも成功し、フルフラットなシートでゆっくり休みながら優雅に日本へ。しかし、ここでもおかしなハプニングが。出発直前の英語のアナウンス。




機長:「トイレの水が流れないので、それを直してから出発します」
ワシと隣に座ってたアメリカ人のおっちゃん大爆笑。だって400人近く乗ってる飛行機で、トイレが流れなきゃ、着く頃には機内がうん△の匂いで充満してしまうもんね。そしたら、日本人のCAが通訳アナウンス。
「当機、出発前の最終調整に時間がかかっております。」

おい!

そりゃ最終調整には違いないけど、そこまではしょらずにちゃんと訳そうよ。それを隣のおっちゃんと話しながらまたも大爆笑。なんだかんだで飛行機はサンフランシスコを出発。寝る。

約9時間後、成田着陸して、あー着いたぞー!と思ってたら、またまたなにやら変なアナウンスが・・・

機長:「ゲートに到着して、シートベルトサインが消えても立ち上がらないでそのまま着席してて下さい、空港当局係員が入ってくる妨げになるので。なお、エコノミークラスにおいては騒ぎがあったこと、お詫びします」

なんじゃそりゃ?ワシが想定したのは、以下の3つ。
(1)誰かがタバコをトイレで吸った・・・警察に身柄拘束された上で何十万円もの罰金!
(2)誰かがCAにハラスメント(セクハラかパワハラか)した
(3)誰かが酔っ払って迷惑な騒ぎ方をした

正解は・・・
(3)でした。
その後ワシがゲートを出ようとすると、10人ぐらいの警官に囲まれながら、ろれつ回らずにうにゃうにゃ言ってるアメリカ人が・・・はぁこいつか!

というわけで、予定から遅れること2日。ようやく帰国できたワシであった。
それにしてもパスポートはホント大事だわ。皆さんも落としたり、失くしたりしないよう、海外ではくれぐれもご注意くださいませ。
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海外でパスポートを失くすと・・・(その1)

2011-08-06 00:00:01 | Weblog
ちょうど2年ぐらい前、ワシがアイスランドのレイキャビックというところに行った記事を書いた。ワシの昼の仕事の関係で、全世界の営業スタッフが集まるミーティングであったのだが、その2年後の先日、今度はアメリカ(というか正確に言えば、英国領バージン諸島)に出張しておった。

普通に会議をしたり、半日だけどちょっとリゾートしたりという感じではあった。行った先のスクラブ・アイランドというところは、ここ10年ぐらいでリゾート開発されてきた島で、それはそれは美しいところ。例によって仕事中の写真は載せずに、少しその島の写真を載せてみよう。




そして、ミーティングの合間に半日リゾートで、近隣の島へ行ったのだが、そこの写真も少し。




カリブ海にあるバージン諸島。そこに行くには、日本から米国経由でプエルトリコに入り、そこから飛ぶのが一般的。今回は航空券の値段とかも考え、一番安い料金だった東京→サンフランシスコ→ワシントンDC→サンファン(プエルトリコ)→トートラ(ビーフ)アイランドのルート。途中で1泊入るパターンを選んだ。
無事にミーティングも終わり、帰りはサンフランシスコで1泊して、翌日に東京行きの飛行機に乗る・・・はずだったのだが・・・
ワシントンDCからの便がサンフランシスコに到着したのは7月30日(土)の午前1:30。そこからタクシー乗ってホテルへ。チェックインしようとしたら・・・

無い!
パスポートが見当たらない!

記憶をたどってみるが、どうやらサンフランシスコ便の自分の座席の前のポケット、そうエアラインの情報誌とか安全のしおりとかが入ってるところに入れたまま、飛行機降りちゃったみたいなのだ。とにかくIDないままなんとかホテルにはチェックインさせてもらい、部屋についてからあちこち電話かけるワシ。

【ユナイテッド航空】
最近はチェックインですらWEBで出来るのはよいのだが、逆に電話番号を探すのに一苦労。各空港のLost & Found(落し物)の担当デスクの電話番号などどこにも出ていない。仕方ないのでカスタマーサービスに電話

ワシ:「この電話番号でいいのかどうかわかんないんだけど、パスポートを飛行機に置き忘れたんですけど・・・」
係員:「便名と場所など詳細を教えて下さい」
ワシ:「ワシントンDCからサンフランシスコ行きのUA225便です」
係員:「席の番号わかります?」
ワシ:「23Dだと思います」
係員:「わかりました。それではこの番号がサンフランシスコの空港の落し物担当の番号なので、そちらに電話して下さい。この時間は係員がいないので、メッセージを残して下さい」
ワシ:「はーい」
そんでもって教えてもらった電話番号に電話。留守電になってたので、詳細なメッセージを残す。

【在サンフランシスコ日本総領事館】
こちらは、WEBで調べると「受付は17時まで」とかって書いてある。けど、領事館なら緊急電話受付があるはず!と思い、電話する。そしたらちゃんと緊急受付があったので、そこにつなぐ。

ワシ:「パスポート紛失したんですけど、日本に帰れますかねぇ?
係官:「ムリです。飛行機に乗せてもらえません。
ワシ:「やっぱり?
係官:「帰国のための渡航書という書類を領事館でお出ししますので、それがあれば帰れます」
ワシ:「なるほど、どうやればいいんですか?」
係官:「これらの資料を揃えて、月曜日に領事館に来て下さい」
ワシ:「えっ???月曜日
係官:「ええ。領事館は土日は休みですので・・・」
ワシ:「わかりました」

眠れぬ夜を過ごすワシ。翌朝(7月30日の朝)にとりあえず空港に出向く。落し物担当のところに行くが、パスポートは見つかってないとのこと。この時点で、見つからないことを前提とした行動を考えるワシ。

あっ!

今日のフライト変更しないと、今度は飛行機の切符を買い直す羽目になる!

あわてて今度は国際ターミナルへ移動。カウンターで交渉に。
詳細割愛するが、ここの係員の人の対応が素晴らしく、最悪の事態(つまり月曜日に領事館に行き、書類を交付してもらったとして、最短で乗れるのは火曜日のフライト)を考慮して火曜日のフライトに変更してくれた。さらにワシの荷物を出発間近のフライトから取り出してくれる。さらにさらに、ワシが乗って来た飛行機は既にサンフランシスコから出発してたのだけど、その機体を特定して、到着先の空港に連絡を取ってくれる。素晴らしい対応である。

でも残念ながらパスポートはその段階では見つかっていない

今度は警察へ移動。いわゆる逸失物届を出して、書類をもらう。これがないと領事館で「帰国のための渡航書」を出してもらえないからである。ちなみに、サンフランシスコ空港で警察に逸失物届を出すと、こういうカードをもらえる。ここに書いている数字が「事件登録番号=Case Number」。



さてと、ここで我に返るワシ。今日、日本行きの飛行機に乗れなかったということは、当然今日泊る場所が必要なのである。しかも最悪の事態を想定すると、火曜日までサンフランシスコにいなきゃいかんわけ。ところが、その土曜日にマラソン大会があったとかで、サンフランシスコ市内のホテルは予約ができない。どこも満杯である。仕方ないので、一泊だけ空港近辺のホテルを予約。しかもID(つまりパスポート)がないと、通常泊めてもらえないのだけど、そこをなんとか交渉して空港近くのHoliday Innに宿泊。さらに、その後の2泊分はサンフランシスコ市内のHiltonを予約するワシ・・・

とりあえず、再度落し物担当のデスクに行って、宿泊先の電話番号を伝えるワシだった。しかし、この日は朝8時から15時過ぎまで、空港の中を歩き回ったワシだった。国際ターミナルとターミナル3については、ワシはすでにエキスパートと言えるかも知れん。

それにしても、ワシはこの後どうなるんだろう?
続く・・・
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ピースフルラブ・ロックフェスティバルその2

2011-07-23 18:00:01 | Queeness
さて、翌日である

朝、会場に向かいサウンドチェックをするのだが、ホテルの部屋で準備してたら、現地スタッフさんから電話がかかってくる。

スタッフ:「すみません、Queenessのマネージャーさんの電話ですか?」
ワシ:「(うーん、マネージャではないんだけど・・・まっ仕方ないか)はい」
スタッフ:「会場入りはリハーサルの1時間前でお願いしてたんですけど、今どちらですか?」
ワシ:「???」

そっか、1時間前の会場入りって確かに読んだ記憶はあったんだけど、本番だけのことかと思ってた。で、リハーサルの30分前に会場入り(すみませんでした・・・)

Tamazoは朝早くに会場入りして、現地スタッフさんと打ち合わせや準備をしてたので、すでに現場で待ってた。サウンドチェックは快調に終わる。いつも思うが、このピースフルのスタッフさんたちは本当に凄い!何も注文する前から、モニターバランスはほぼ完ぺきに出来上がっているし・・・こちらはモニターバランスを軽くチェックし、楽曲で確認しておきたい部分を軽くチェックするだけで終わってしまう。本当に20分もあれば完璧なセッティングになってしまうのだ。




そしてマイクロバスでホテルに戻ってからは、いつものステーキハウス「四季」で肉を食う。スパイクヨコチンとちゃ~り~は1ポンド(約450g)ステーキワシは200gのサーロイン。ステーキで腹いっぱいになってから部屋で少し休んで、そして夕方にまたまたマイクロバスで会場入りするメンバー。





司会はいつものマスミ・ロドリゲスではなくて、スティービーさん



マスミは演奏後に楽屋に遊びに来てくれた。

で、いつもと同じように、スナックJのママさんやその仲間たちが用意してくれてた、沖縄風のいなりずしやら、フライドチキンやら、凍らせてあったフルーツなどを頂きながらしばしライブ観戦し、本番前に楽屋へ向かう。



そして本番!

この日のために新調した衣装でステージに上がるワシ。






今年のセットはこんな感じだった。

SE: Procession
1. I Was Born To Love You
2. Another One Bites The Dust
3. Fat Bottomed Girls
4. Teo Torriatte
5. Seven Seas Of Rhye/Keep Yourself Alive
6. Bohemian Rhapsody
7. Radio GAGA
8. We Will Rock You
9. We Are The Champions
SE: God Save The Queen

東日本地震のあと、海外のアーティストのオムニバスアルバムがリリースされたが、その中に入っている「Teo Torriatte」を演奏したのは、今回のQueenessからのメインメッセージだった。クイーンの楽曲を演奏するわけだから、この曲は絶対にやらなきゃと思ってセットリストに入れた。フェスティバル向きの曲ではないことは百も承知の上である。そして、

♪手を取り合ってこのまま行こう、愛する人よ
♪静かな宵に光をともし、愛しき教えを抱き

を、途中からウチナーぐち(沖縄の方言)にして

♪てぃとぅてぃにじてぃうぬままでぃっか、かなさんどやや
♪よんなーゆるにあかりてぃらち、かなさゆしぐとぅちむにいだち

と歌ったのだけど、この静かなバラードがある意味Queenessのこの日の演奏ではハイライトだったと思う。沢山の人から「感動した」という、有難い言葉を頂いた。

ステージ終われば「自由の身」である。大トリである「紫」の演奏を聞きながら、いろんな人と写真撮ったりお話したり、かっちゃん(元コンディショングリーンのボーカル)のキャラクターグッズ買ったり


かっちゃんTシャツと、かっちゃんタオル

それにしても、ホントに多くの皆さんから、「去年までよりも、またずいぶんパワーアップしたねぇ!」と言われる。ホンモノのロックを生で感じて来ている沖縄の皆さんからの評価。本当にうれしかった。

ライブ終われば打ち上げである。コザ市内某所の沖縄料理の店「風車(かじまや)」で、まずはお世話になっている主催者サイドの徳さんや、JETのターキーさんとカズフミさん達と、チャンプルー、クブイリチーなどを頂きながら打ち上げ。そして、それが終わってから、ワシは8 BallのRay君(ジョージ紫さんの息子さん)がやっている7th Heavenに顔を出して、紫のDouble Dealing Womanなどでセッション。ホテルに戻ったのは2時を大きく回った頃だった。

毎年行ってる沖縄。

でも、いつまで呼んでもらえるか?ということについては不安も感じる。今年呼んでもらえたから来年も・・・という受け身の姿勢では、いけないと思う。

常にベストなものを持っていけてるだろうか?お客さんに満足してもらえているだろうか?イベントを盛り上げることができているだろうか?そんな自問自答をいつもしている自分がいるわけである。このピースフルラブ・ロックフェスティバル。来年はなんと30周年記念であるこれは何をおいても出演したい、出演させて頂きたいと思う。

コマーシャライズされることなく、コザ(沖縄市)に根差したロックフェス。何度も呼んでもらって、多くの先輩の音楽を聞かせてもらい、そして若手の音楽にパワーをもらえる。こんな素敵な空間に自分がいること、そしてそのようなチャンスを与えてもらえてることに感謝し感動する。だからこそ、もっといいものをお返ししていかなきゃいけない。そして、30周年記念の来年には、今までで最高の演奏と演出をもって、お礼したい。

沖縄・・・コザ・・・

大好きである。いつもお世話になっているスタッフの皆さん、いつも遊んで頂くミュージシャンの皆さん、そして観客席で大騒ぎをしてくれるお客さん、そんな全ての皆さんに感謝!

にふぇ~で~びる!!!

ちなみに、本日現在で見つけたブログ
Mr.スティービー

Luv Pop TYO (Pop U NYC跡地)

永遠の愛の帆をあげて

コザ日和
Comments (3)
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ピースフルラブ・ロックフェスティバルその1

2011-07-21 00:00:01 | Queeness
7月第二週末、ワシは沖縄におった。

そう、毎年恒例の沖縄「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」に出演するためである。1999年にKWEENとして初出演たのだが、今年で10年連続・11回目の出演となる。

それにしても、こうして継続して呼んで頂けるのは、本当にありがたい話である。また、応援して下さるファンの皆さんがいなければ、ここまで継続することはできなかったのは事実で、ファンの皆さんにも深く感謝しているワシである。

さてさて、今年のピースフル。ベースは、サポート頂いているパウロ鈴木さんに参加して頂いた。そして、我々のサウンドブレインであるTamazoにも同行してもらい、ある意味過去最強のメンバーでの沖縄行きとなった。演奏とは全く関係ないのだが、記録用ハードの面では、昨年導入したHDデジタルビデオカメラ、そして2台のサブビデオカメラ、さらに一眼レフも加わり、さらにさらに高音質のデジタルレコーダーも装備。映像・画像・音声の記録もバッチリな体制である。


飛行機の中でご機嫌なちゃ~り~と松ちゃん

沖縄入りしてまず感じたのは・・・

涼しい!!!


その日の東京の気温は36℃。そして沖縄はなんと32℃。しかもいい感じに風が吹いてるので、日陰に入ると心地よい感じである。那覇空港ではいつものホテルのバス、そしていつもの運転手の伊波(イハ)さんに迎えられ一路コザ(沖縄市)へ。その日はピースフル1日目で、HYとかD51とかオレンジレンジとかが演奏している「若者の日」。見に行きたいという思いはあるのだが、午後6時からラジオ出演もあるので、それもかなわず。とりあえず軽く腹ごしらえに、今年はいつもの「上間天ぷら店」ではなく、「チャーリータコス」に向かう。うちのギタリストのちゃ~り~は、チャーリータコスの前で喜んで写真を撮りまくる。そして、ここのタコスは美味い!



その後一旦自由行動になって、6時前にFMコザに集合するメンバー。メンバーの一部は、チャーリータコスを食べたあと、やっぱり上間天ぷら店にも行ったらしい。って、どんだけ食うねん、こいつら
さて、ラジオではいつものDJモーリー君とトークで絡み、騒ぎ、いつもの通り予定時間大幅オーバーでとっても自由な(自由すぎる)Queenessご一行様であった。




そして、いつものSidewaysへ。
ここのパパ、豊田益市さんにはホントにお世話になりっぱなしである。音楽でコザを復興したい!という強い意志を持たれていて、自らも60の手習いでギターを始めてバンド活動する一方、県内・県外のミュージシャンをいろんな形でサポートしていらっしゃる。この日も、ご自分のお店Sidewaysで、イーグルスやドゥビーを中心とした演奏を披露してくれて、美味いメシを食わせてもらい、美味い酒を頂き・・・



そして少しだが、演奏させて頂き・・・



超いい気分でSidewaysを後にして、これまた恒例のJETに向かう。
夜11時過ぎのステージで、我々もステージに上がり少し演奏させてもらう。そんでもってJETとも共演させてもらう。毎年、半ば判で押したように繰り返される光景(ほとんど金太郎飴ではあるが)それが本当に楽しい。故郷に帰省してるような感覚にさえなってるワシである。




そして深夜前に、遅い便で到着したスパイク・ヨコタも合流。夜は更けるが沖縄の夜は深いのだ。1時過ぎにJETを出てホテルに戻るのだが、その後、ちゃ~り~と松ちゃん、そしてヨコチンは部屋飲みを敢行し、Queenのビデオを見ながら翌日のステージをシミュレート。寝たのは朝方だったそうな。

というわけで、翌日に続く(笑)

photo (c) by ANNAN, Brie & Tamazo
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