(*先週末、沖縄ピースフルラブ・ロックフェスティバルで演奏してきた。が、そのレポートはこの記事のあとで)
タルサという町、オクラホマではオクラホマシティーに次ぐ第2の町であり、米国で47番目の大きさだそうである。本日のTOP写真は、そのタルサのダウンタウン(Photo © Caleb Long)である。
さて、30年前にこの町で高校時代を過ごしたワシだが、日本のように中心となる「駅」が存在して、そこを中心に商店街とかいわゆる繁華街ができてはいないのがアメリカの地方都市。かなり昔はそういう形だったのかもしれないが。そもそも旅客用のバスすらほとんど走っていない。ないわけではないが、車で動くのが基本である。ちなみに人口はタルサ市単独で40万人弱、いわゆる郡(county)含めて約100万人弱。
ワシが住んでいたのはここからざっと15kmぐらい離れたところなのだけど、高校時代も数えるほどしか行ったことがない。そんなわけでレンタカーのナビに頼りながら、郊外のBroken Arrowという街からハイウェイを飛ばすこと20分。ダウンタウンにたどりついたまではよいのだが、どこの駐車場に車止めればいいかも、どこがクラス会の会場かもわかんない。とりあえず近場と思われる駐車場に車を入れて、会場の付近と思われるあたりをぶらぶらしてたら、後ろから「Yohei!」と呼ばれる。
東京から約6000マイル離れたタルサで、ワシに声かけるのは誰やねん!?と思ったら、その前日に会った1級下の友人が。もちろんその友人はタルサ出身である。
友人「どこに車止めればいいの?」
ワシ(心の声)「ワシに聞くな!ワシに・・・この辺りなんてマジ30年ぶりなんだから」
とはいえ、自分が止めた駐車場を教える。
友人「クラス会の場所、どこかわかる?」
ワシ(心の声)「ワシに聞くな!ワシに・・・この辺りなんてマジ30年ぶりなんだから」
友人「どうもあのあたり(一つ先の交差点)みたいなんだけどねぇ」
ワシ「んじゃ行ってみるわ」
そんな感じでなんとか会場を見つけて入るワシと妻。
日本でクラス会を大掛かりにやろうとすると、まずは発起人とかの挨拶があって、乾杯の音頭があって、なんかスピーチする人がいて・・・って感じなのかな?ワシ、ほとんど日本でのクラス会行ったことないんでよくわからんが。で、ここはアメリカ。まずはバイキング形式の食事を皆思い思いにして、勝手に集まった人たち同志で話が始まり、そんでお酒とかも飲み始め、テキトーなタイミングでバンドが出てきて演奏を始め・・・一体いつ始まっていつ終わるのか?全く分からないわけである。なので、誰か思い出せない人がいたとしても、こちらから話して行かないと、最後まで誰かわからない
それにしてもこのバンド、もう少し演奏なんとかならんか!?という話を妻としながら、そんでもってこちらに気づいてくれた友達がテーブルにやってきて、写真撮ったり撮られたり。やはり「日本=地震+津波+原発」に彼らの頭の中ではなってるみたい。だんだんその質問に対する答えが、ぞんざいになってくるワシ
一緒にジャズバンドやってたSteve
そしてバンドが休憩。その休憩の間に、友達の一人が「日本でクイーンやってるプロのボーカルが同級生で、今日日本から来てるから、彼に飛び入りで歌わせて!」という交渉をしてたらしい。その後バンドが再び演奏を始めて数曲が終わった頃、ステージに呼ばれるワシ。まあ、御座敷かかれば上がるのが芸者ですわな。違うか?
というわけでステージに上がったはよいが、このバンドがクイーンの何を演奏できるのか?ワシは全く知らん。で、話を聞くとどうやらAnother One Bites The Dustしか演奏できんらしい。まあ、あの曲は1980年の夏にアメリカでヒットした曲。ちょうど、この場にいる皆がリアルタイムで聞いていた曲なので、ある意味都合がよい。もっと言えば、皆の席を回りながら話さなくても、こういう形で一斉に紹介されちゃえば後が楽。というわけで、ぶちかましてきました
当時チアリーダーだったDenise(中央)
さすがに今もかなり行けている
当時仲良かったDenise(左)とConnie(右)
ワシが来ると聞いてテキサスから来てくれた
ほとんど原型がわからん友人達
昔もきれいで今もきれいなTeresaと
州議会議員になったMark
踊るクラスメイト達
あとは、記念撮影したり、益々酔っ払う人が出てきたり。いつ始まったかも、いつ終わるかも、他になにか企画があるのかも、何もわからんまま、ワシと妻は夜11時頃に会場を後にした。というのもその翌日、朝9時のフライトに乗らなければならんのだ。後ろ髪引かれる思いではあったが、まあ引かれる後ろ髪もあまりないのだが・・・
記念撮影!
しかしワシは妻の顔に半分隠れておる
というわけで、ワシの30年目のクラス会はこういう形で幕を閉じた。
言ってみれば、この夜7時~11時の4時間のために、わざわざタルサまで行ったということになる。そりゃそれなりにお金かかるし、そんなに頻繁に出来ることではない。でも、今回こういう機会がなければ、もしかしたら先日のブログに掲載した御年80歳ぐらいの昔からの知り合いには、次に会えることはないかも知れない(もちろん元気でいてほしいけど)。そして5年以上かかってようやく両親の墓参りもできた。木曜の夕方にタルサに到着して日曜日の朝にタルサを出るまで、実質2日。だがとても濃い旅だった。
余談としては、帰りにデンバーからシアトルに向かう飛行機の中で、出発前にワシが飲み物をシートにこぼしたために、シートベルト交換。その為にフライトが遅れるという事件があったり、シアトル→成田便で出てきた食事が、あまりに得体の知れないもので、どんなに我慢しても食べられるレベルではなかったり、なーんてこともあったが。
右の機内食が問題の機内食
この味・・・ムリ!
また行こう。しかしその前に九州の両親にも会いに行かねば。考えたら結婚式以来、直接に会っていないし
タルサという町、オクラホマではオクラホマシティーに次ぐ第2の町であり、米国で47番目の大きさだそうである。本日のTOP写真は、そのタルサのダウンタウン(Photo © Caleb Long)である。
さて、30年前にこの町で高校時代を過ごしたワシだが、日本のように中心となる「駅」が存在して、そこを中心に商店街とかいわゆる繁華街ができてはいないのがアメリカの地方都市。かなり昔はそういう形だったのかもしれないが。そもそも旅客用のバスすらほとんど走っていない。ないわけではないが、車で動くのが基本である。ちなみに人口はタルサ市単独で40万人弱、いわゆる郡(county)含めて約100万人弱。
ワシが住んでいたのはここからざっと15kmぐらい離れたところなのだけど、高校時代も数えるほどしか行ったことがない。そんなわけでレンタカーのナビに頼りながら、郊外のBroken Arrowという街からハイウェイを飛ばすこと20分。ダウンタウンにたどりついたまではよいのだが、どこの駐車場に車止めればいいかも、どこがクラス会の会場かもわかんない。とりあえず近場と思われる駐車場に車を入れて、会場の付近と思われるあたりをぶらぶらしてたら、後ろから「Yohei!」と呼ばれる。
東京から約6000マイル離れたタルサで、ワシに声かけるのは誰やねん!?と思ったら、その前日に会った1級下の友人が。もちろんその友人はタルサ出身である。
友人「どこに車止めればいいの?」
ワシ(心の声)「ワシに聞くな!ワシに・・・この辺りなんてマジ30年ぶりなんだから」
とはいえ、自分が止めた駐車場を教える。
友人「クラス会の場所、どこかわかる?」
ワシ(心の声)「ワシに聞くな!ワシに・・・この辺りなんてマジ30年ぶりなんだから」
友人「どうもあのあたり(一つ先の交差点)みたいなんだけどねぇ」
ワシ「んじゃ行ってみるわ」
そんな感じでなんとか会場を見つけて入るワシと妻。
日本でクラス会を大掛かりにやろうとすると、まずは発起人とかの挨拶があって、乾杯の音頭があって、なんかスピーチする人がいて・・・って感じなのかな?ワシ、ほとんど日本でのクラス会行ったことないんでよくわからんが。で、ここはアメリカ。まずはバイキング形式の食事を皆思い思いにして、勝手に集まった人たち同志で話が始まり、そんでお酒とかも飲み始め、テキトーなタイミングでバンドが出てきて演奏を始め・・・一体いつ始まっていつ終わるのか?全く分からないわけである。なので、誰か思い出せない人がいたとしても、こちらから話して行かないと、最後まで誰かわからない
それにしてもこのバンド、もう少し演奏なんとかならんか!?という話を妻としながら、そんでもってこちらに気づいてくれた友達がテーブルにやってきて、写真撮ったり撮られたり。やはり「日本=地震+津波+原発」に彼らの頭の中ではなってるみたい。だんだんその質問に対する答えが、ぞんざいになってくるワシ
一緒にジャズバンドやってたSteve
そしてバンドが休憩。その休憩の間に、友達の一人が「日本でクイーンやってるプロのボーカルが同級生で、今日日本から来てるから、彼に飛び入りで歌わせて!」という交渉をしてたらしい。その後バンドが再び演奏を始めて数曲が終わった頃、ステージに呼ばれるワシ。まあ、御座敷かかれば上がるのが芸者ですわな。違うか?
というわけでステージに上がったはよいが、このバンドがクイーンの何を演奏できるのか?ワシは全く知らん。で、話を聞くとどうやらAnother One Bites The Dustしか演奏できんらしい。まあ、あの曲は1980年の夏にアメリカでヒットした曲。ちょうど、この場にいる皆がリアルタイムで聞いていた曲なので、ある意味都合がよい。もっと言えば、皆の席を回りながら話さなくても、こういう形で一斉に紹介されちゃえば後が楽。というわけで、ぶちかましてきました
当時チアリーダーだったDenise(中央)
さすがに今もかなり行けている
当時仲良かったDenise(左)とConnie(右)
ワシが来ると聞いてテキサスから来てくれた
ほとんど原型がわからん友人達
昔もきれいで今もきれいなTeresaと
州議会議員になったMark
踊るクラスメイト達
あとは、記念撮影したり、益々酔っ払う人が出てきたり。いつ始まったかも、いつ終わるかも、他になにか企画があるのかも、何もわからんまま、ワシと妻は夜11時頃に会場を後にした。というのもその翌日、朝9時のフライトに乗らなければならんのだ。後ろ髪引かれる思いではあったが、まあ引かれる後ろ髪もあまりないのだが・・・
記念撮影!
しかしワシは妻の顔に半分隠れておる
というわけで、ワシの30年目のクラス会はこういう形で幕を閉じた。
言ってみれば、この夜7時~11時の4時間のために、わざわざタルサまで行ったということになる。そりゃそれなりにお金かかるし、そんなに頻繁に出来ることではない。でも、今回こういう機会がなければ、もしかしたら先日のブログに掲載した御年80歳ぐらいの昔からの知り合いには、次に会えることはないかも知れない(もちろん元気でいてほしいけど)。そして5年以上かかってようやく両親の墓参りもできた。木曜の夕方にタルサに到着して日曜日の朝にタルサを出るまで、実質2日。だがとても濃い旅だった。
余談としては、帰りにデンバーからシアトルに向かう飛行機の中で、出発前にワシが飲み物をシートにこぼしたために、シートベルト交換。その為にフライトが遅れるという事件があったり、シアトル→成田便で出てきた食事が、あまりに得体の知れないもので、どんなに我慢しても食べられるレベルではなかったり、なーんてこともあったが。
右の機内食が問題の機内食
この味・・・ムリ!
また行こう。しかしその前に九州の両親にも会いに行かねば。考えたら結婚式以来、直接に会っていないし