雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

タイタンの事故

2023-06-25 23:20:32 | 社会

今週(というか昨日までのこと)は月水金土と4日も出社してしまった。勿論行かなければならない

用事があったのだから仕方ないが、往復3時間を週4日はもうしんどい。

昨日は工程会議の後、草むしりまでした。よく働いたこと。

そして今日は今日で、実はクラス会だったんだよね。超楽しかったので、それはそれで別に書こうと思う。

 

で先ずは、今回の『タイタン』の事故のこと。

ニュースで事故のことを知り最初に思ったのは、”そんなツアーがあるんだ・・・”ってこと。

そして、何で?探索や調査ではなく、”観光ツアー?見学ツアー?”なの?だった。

こういうコトが行われているということ自体、多分今回の事故がなければ知らなかったこと。

3800mの深海。太陽の光なんか到底届かない静寂で漆黒の世界。何も見えない。怖い。

ホント、多くの人が言うように、海の底には宇宙とは又別の怖さってものがある。

宇宙にはある種”希望”みたいなものがあるが、深海にはそれは感じない。

 

深い深い海の底に戦時の戦艦や戦闘機、それ以外にも民間の事故や様々な事情による機体や船体。

そういったものが海の底には眠っている。遺体も一緒だったことも多かっただろう。

そういう意味では鎮魂の世界だと感じる。

そういうところに興味半分で(見学ツアーなんてその最たるものだろう)見に行くという神経が、私には

解らないが、世の中何でもありなのね。なんでもビジネスにしてしまうのね。

そんなリスキーなことに、それも大枚はたいてと。不安・心配、無いのだろうか?恐ろしくないのだろうか?

一言でいうと、”触らないほうが良い”のでは?と思うのだ。

 

もう40年以上も前に四国で、戦時中の戦闘機『紫電改』が海から引揚げられたことを知っている人は少ないかも。

太平洋戦争末期の戦闘機紫電改が南予の海に沈んでいる、海底に眠っているとして、引き揚げが試みられたのだが、

水深は40~50m位のものではなかったか?

私はその時の状況をライブというかリアルタイムというか、テレビで観ていたのだが・・・。

引き揚げの状況を各局が取材している中、あろうことか某局のセスナ?が近付き過ぎてバランスを失い、

真っ逆さまに海へ墜落してしまったのだ。操縦士とカメラマンは亡くなった。

何ということ・・・。カメラマンは、子どもたちと同じ幼稚園に通う子のお父さんだったのだ。

なのでその時のことは今でもよく覚えている。忘れたりはしない。

なんだか海の中から呼ばれたと言うか引っ張り込まれたと言うか、そんな気がしたりした。

私が感じだただけかも知れないが。

引き揚げられた紫電改は修復されきれいになって、南予の方に展示されている。子どもたちと見に行ったりもした。

しかし、あれだけ大騒ぎして引き揚げた紫電改だが、実物を見てそれほどの感動も感慨もなかった。

一体何で?あんな犠牲者を出してまで引き揚げたのだろう。何か得るものが有った?零戦に匹敵すると言われた

大日本帝国海軍の優秀な戦闘機を、引き揚げて分析する必要があった?飾りたかった?

海底に眠っていたかったんじゃないの?そんなこと色々考えたりもした。

人生にタラレバは無いけれど、紫電改を引き揚げさえしなければ、◯◯くんのお父さんは亡くならずに

済んだんだろうな・・・と、そんなことを思ったりもした。

 

静かに放置することは出来ないの?海底に眠っているそれらの怒りは買わないの?

冒険家とは危険と背中合わせ、”観光”なんかではないそうだ。

しかし確率の問題かも知れないけれど、命を投げ出す覚悟がなければ冒険なんかしてはいけないってこと。

今回犠牲になったパキスタン?の富豪の19歳の息子さんは、怖がっていたと何かで読んだ。気の毒に。

”爆縮”という状況が一瞬のことで、彼らが恐怖も痛みも感じず苦しむこともなかったのだとしたら、

まだそれだけが救いだけれど。

日常の生活に追われている一般人には縁のない話ではあるけれど、なんだかなぁ・・と感じる話。

原因究明だとか確認だとか調査だとか必要不可欠の理由以外、触らずそっと静かに眠らせておいてあげてと

思うけれどね。