私は昨日、新幹線に乗っていたので、安倍さんの国葬の様子は結構端から端まで観た。
観ただけで聴いては居ないが。
それで思ったこと。
先ずは無事に終わって良かったと。葬儀自体もさることながら、外国の要人たちも多く
その警備警護が大変だったろうと思う。事故や事件などがあっては一大事。それこそ
国の沽券に関わる。自衛隊や警察や、皆お疲れ様という気持ち。
私は何度も言っているが、安倍さんの政治家としての功罪は別として、最初から国民葬や
党葬で良いのでは?という考えだった。反対する人居るのは最初から解っていたので。
心から安倍さんの死を悼むという気持ちが大事なのであって、極端に言えば形なんか
どうでも良いことなのだから。
それにしても岸田さんの話は長かった。長過ぎ。何も覚えてないし心に響いてない。
それに比べて、菅さんの弔辞は良かったと思う。本当に、友人としての心の中からの
声だったと思う。思わず拍手が起こったのは、そこに居た人たちの心に染み入った
証拠だと思う。朴訥とした語り口が菅さんらしかった。
今も寂しいんだろうな悲しいんだろうなと思う。
今回のことでつくづく思った。”政治家の葬儀に国葬は有り得ないのじゃない?”と。
何故なら、日本は民主主義国家だから。思想も信条も信仰も政策も言論も、何だって
自由なはず。社会主義国家ではないのだから。誰かが勝手気ままに振る舞う独裁国家では
ないのだから。
となると当然、特に政治に関しては右派も左派も当たり前に居るのであって、彼らはよく
反対の為の反対をするではないか。片方のやることなすこと、何だって気に入らないに
決まってる。反対するに決まってる。
そんな中、”国葬”だなんて・・・。無理があるに決まってる。
日を追うごとに反対が増えて行ったことは、安倍さんに対しては気の毒だったとしか
言いようがない。最初はそれほどではなかったんだから。
主義主張政策が全く違う人たちに、政治家の国葬が受け入れられるはずがない。
吉田茂は別よ。何故なら、あの戦後のと言うより敗戦後の日本の混乱を極めた時代を
治めた人なんだから、それはそれで又安倍さんとは、今回とは違った意味があったと
思う。私の意見ね。
だから、結局行き着くところは岸田さんよね。一体何を思っての国葬だったのかと。
何で国葬でなければいけなかったのかと。閣議にかける訳でも説明する訳でもなく
突然一方的に国葬だと。
考えの浅い軽い人だ。何もしない人だ。要らん決断だけしてさ。やることちぐはぐ。
自分の格好付けの為だけですかい?反対押し切ってまでやることだったか?と。
国葬には定義や決まりがないらしいが、少なくとも今後一切、政治家には要らんよと。
諸外国から日本分断だの分割だの2分されだの書かれてさ。一体誰のせいだと思ってるの。
岸田の軽さが招いた結果よ。反省して下さい。