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アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

長い長いブランクの間にも

2018年04月13日 | ピアノ
シューマン「子供の情景」を譜読み始めてみて思うことは、まーとにかく、見た目よりずっと弾きにくい、難しいということだけど、

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なんかさっと譜読みできる、弾きやすいと思う曲があって、それが「1. 見知らぬ国々と人々」と「11. こわがらせ」(^^;;

なぜこれかというと、思い当たるふしがあって、それは(たぶん)高校生くらいのときに遊び弾きをした曲なのです。

ピアノは、三歳半くらいのときに習い始めて(ピアノ教室の娘なので当然)、小学校三年生でやめちゃったんだけど(ピアノ教室の娘なのに早すぎ)、そこからピアノ再開(ヤマハ)までって、ふつうに引き算したら…30年とか…空いちゃってるわけですが、その間、別に音楽がキライになってたのではなくて、音楽は好きだけど、ただ「ピアノの練習がめんどくさい」といってやめちゃってただけなんです。

真面目にやらないならやっててもしょうがない、やってるのはよくないという気持ちだったと思います。

だから、家に誰もいないときとか(いるとちょっと気恥ずかしくて触りにくい)遊びでなら弾くことがあって、それはほんと「たまに」だし「練習」というほど真面目に弾くわけじゃないけど、なんか気になった曲をちょっと「弾いてみた」。

その中に、「1. 見知らぬ国々と人々」と「11. こわがらせ」があったと思うんです。

「1. 見知らぬ国々と人々」はともかく、なんで「11. こわがらせ」なのか自分でもわからないけど。なんか変な感じや怖い感じが好きだったんですかね、若いころでも。

そんなふうに、長い長いブランクの間にも、ちょっと触ってみた曲がある。

それがほんとに「触った」程度ではあっても、さすがに若いころだっただけあって、その効き具合というのか、定着具合が、年取ってからとは違うような気がします。

ブランク中に触った曲は、そのほかにも、中田喜直とか、湯山昭とか、チャイコフスキー四季の一月とか、何曲かあって、あと珍しく連弾で「マ・メール・ロア」と、たった一回の二台ピアノ「ベートーベン ピアノ協奏曲第一番三楽章(のオケパート)」があります。

「マ・メール・ロア」も、近年になって改めて触ったときに、(難易度の割には)すごく弾きやすく感じました。

そうやって、若いころ(中学生~大学生)くらいで触ったものって、たいして熱心に練習したのでもないのによく残っていて、コスパ良いと感じます。そのころやったことって、ほんとに「財産」なんですね。

ちょびっとしかピアノ弾かなかったのは、もったいなかった(ずっとピアノはそこにあったのに)。

でも、ゼロではなかったのは、よかったなと思います。


ほんとのところ、真面目に練習したくないんだったらやめちまえとかいう考え方って、ヨクナイと思います。せっかく若かったんだから。オールオアナッシングじゃなくって、ただ気が向くだけ触っておくのって、きっとお得だよと過去の自分にいってあげたい。

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東大女子なぜ増えないの

2018年04月12日 | 大学生活
昔々、確か東大女子率は一割かそこらだったと思うので、30年経った今、増えてはいる。しかし、2003年には18%まできているのに、そこからずっと伸び悩みで二割の壁が超えられない。

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大学側は「2020年までに3割」を掲げてがんばって(?)いるらしいのだがぜんぜんこのペースでは達成の見込みはない。家賃補助云々という話もあったけど、そういうことでどうかなるものでもないようだ。

そもそも、増やさなきゃいけないのか?(増えたほうがいいのか?)という話もあるがとりあえず脇において、まず言えることは、東京大学は男子にとってお得感があり是非行きたい大学であるのに比べて、女子にとってはあまりお得感がないと思われているということだ。


東大でも女子でもないおおたとしまささんがわざわざ「ルポ東大女子」を書くに至ったのは
「ルポ父親たちの葛藤」で扱ったような仕事と家庭の板ばさみになる男性の問題(「働き方改革」関連)と
「ルポ塾歴社会」で扱ったような学歴や偏差値にとらわれる社会の歪み(「大学入試改革」関連)
の「二冊の延長線が交わるところ」に発想が浮かんだからだそうで、

学歴社会の頂点にあり、かつ、専業主婦からバリキャリまでの選択肢がある「東大女子」たちが、にもかかわらず葛藤や生きづらさを抱えているなら、それはそのまま世の中の矛盾の象徴なのではないか、という問題意識らしい。なるほど。

そもそも、なぜ男子にとってはお得感があるかといえば、大学で何を学べるかということ(これは男女で大きな差はないはず)を除くと、
「モテる」「結婚市場でも人気」「就職にも有利」
ということだと思うが、女子にとってはあまり効かない(むしろ逆?)、就職はだいたい大丈夫だろうけど入ったあとはいろんな偏見にさらされるとか。

「東大卒の女だって? お高くとまってるんじゃないの」
「東大卒の女だって? つまらない雑用は頼みにくいなあ」
「東大卒の女性ですって? 私たちとは違う世界の人よね」

あるいは
「東大出身者なら誰しも、大学名ゆえに場をシラけさせてしまったり、相手との間にガラスの壁を作ってしまった経験があるものだ。その中で、「東大卒という学歴は、無防備に口にしないほうがいい」ということを学んでいく。これが、東大卒の「学歴がありすぎるコンプレックス」である。」(「東大卒でスミマセン」中本千晶

なるほどたいへんそうだ…けど、でも私はただの一度も、そういう意味で嫌な思いしたり、避けられたり、あるいはむやみな期待と失望をされたりとか、そういう経験がない。つまり東大卒がマイナスだと感じたことがない。逆にプラスと思うこともたいしてない(*)が少なくとも就職には役立った(当時バブルなので別にどこの大学でもたいして問題なかったとは思うが)。

どうなのかなぁ?? 人による、もしくは環境によるんだろうか。

「早稲田、慶應あたりのひとたちに対しては、勝手にこっちが気を遣っちゃうことはあります。もしかしてこの中に東大を不合格になっていまでもそれを引きずっているひとがいたらどうしようと。完全に余計なお世話だとは思うんですけど」(「ルポ東大女子」p.65)

…ここまでくるとほんとに余計なお世話(というか失礼)、自意識過剰としかいいようがない。自分から壁を作ってるだけ。

この本の中にも
「インタビューに際して多くの東大女子たちが、開口一番「東大女子だからって葛藤や生きづらさを感じたことはないんですけれど…」と言った。」(「ルポ東大女子」p.170)
とある。結局のところ、自分から壁を作るような意識の持ち方をしなけりゃどうってことはないんじゃないのかなぁ…生きづらいと感じる人は一部。でもそれが必要以上に喧伝されている(「ルポ東大女子」の本自体、そういう面がある)。

意識の持ちようで解決できない問題としては、仕事と子育ての両立という部分があって、それはもちろん東大女子に限ったことではないんだけど、より問題が先鋭化しやすいという意味では、おおたさんの意図どおり「働き方改革」「大学入試改革」を解く鍵となるモデルケースがあるように思う(その点については先日の記事「東大卒女性の夫が幸せになる方法」を参照)。


ただ、東大女子たちが自意識過剰になりがちなのは別に本人たちのせいだけでなく、「東大女子」がむやみにキャッチーな言葉になっているという現実がいけないのであって、そのへんの説明については「ルポ東大女子」にかなり上手にまとめられている。そしてなんでそうなっちゃうのかといえばやはり東大女子が少数派だからいけないんで、なんで少数派なのかっていえば自縄自縛的生きづらさを感じる人がそこそこいるからだろうね…

じゃ、その鶏と卵はどう解けばいいのかといえば、案外その鍵はこれまた先日書いた記事「東大卒女性が幸せになる方法」あたりにあるんじゃないかと思う。東大卒って結局、ただちょっと情報処理能力が高いってだけの話なんで、背伸びも卑下もしないでたんたんとそこを生かして幸せになっちゃえばいいっていうこと。これは女性に限ったことじゃないですけどね。



(*)肩書きとしてはという意味。大学で得たことがあるという意味ではたくさんプラスがあった

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標題のある曲(子供の情景)

2018年04月11日 | ピアノ
というわけで「子供の情景」の譜読みを始めました。本番は8月ですからずいぶん先ですが、とりあえず5月5日の「子供の情景」イベントまでにひととおり弾いておきたいという計画です。

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そのほうが聞いたことも理解しやすいと思うので…

まぁ私がみんなの前で弾くのは5番だけで、あとは自分のためにどんな感じか弾いてみたいってだけなので楽勝よね。

…… (弾いてみている) ……

前言撤回、楽勝ではアリマセン(-_-;;

どれもこれも見た目より難しい。ひっからまってるというか…まぁシューマンだから…(ユーゲントアルバムも、見た目よりずっと難しかったのでした)

けど弾いてて楽しい曲だよね(^^) それこそ「情景」がありありと思い浮かぶというか。このところ「歌詞のある曲」「詩のある曲」とかあったけど、これの場合は「標題のある曲」。「見知らぬ国と人々」でワンダーランドに入っていって、「珍しいお話」に心躍らせる…

私が担当する5番「みちたりた幸福」は、みちたりた、ゆったりというよりはもっと動きがあってイキイキした感じなので標題とちょっと違うような?? でもこれは翻訳のせいかもしれないしなんともいえない。

いずれにせよ、標題がついていることで、想像のとっかかりができて、楽しみが増えると思うんですよね。

ただ、当時は標題がついていることで(?)批判があったようで

「ほんとうのところ、この作曲家がまじめなのか冗談なのかわれわれには測りかねるのだ。まじめな面については、たとえばこの小品集の、勤勉さ、清廉な正確さ、多くの手際のよさ、ここちよい響き、機転、美的な局面などが物語っている。しかし一方で、構想全体の無意味さ、楽曲が標題付きで存在する矛盾などが不真面目な面を語っている」(1839年、レルシュターブによる批評)

標題付きだとどう矛盾してどう不真面目なのか、この先を読んでもやっぱりよくわからないんだけど、標題が付いてるなんてずいぶん子供っぽいのにこの曲が子供っぽい子供に弾けるほど簡単じゃないということなのだろうか?? 標題がつけられた音楽というのは「ほんものの」音楽よりレベルが下で、音楽だけで語れない半端な曲だとか、あるいは標題で理解の助けをしてやらねばならない子供を相手にしているという意味だろうか。

(もっとも、「子供の情景」について「構想全体の無意味さ」なんていってるくらいだから、この批評家が単なるウマシカであるという可能性も大いに考えられる)

シューマン自身がこの批評について書いた手紙には
「たぶんかれは考えたのでしょう、ぼくがあそこにわめきちらす子供を設定し、そのあとでそれにしたがって音を探したと。これは逆なのです。作曲するとき何人か子供の顔が浮かんできたことは否定しませんが。しかし標題はもちろん後から生まれたのですし、そもそもそれらは演奏と理解のためのちょっとした指標以上のものではないのです」
とある。

まさに「演奏と理解のためのちょっとした指標」として、子供の情景の標題は生きていると思うし、評論家のいうことなんてほっておけばいいよね。

まぁ、シューマンのもとにはクララから熱烈なベタ褒め手紙が届いたようなので、プラマイ大きくプラスだったことでしょう。

クララの手紙:
「あぁ、なんて言葉にならないくらい素敵なのでしょう、あなたのこどもの情景は。あなたにキスできればいいのに!
昨日も思い、そしてますますそう思えるのです。あそこで話している詩人はわたしのあの方に違いないと。でもあの幸福は大きすぎはしないでしょうか? ああわたしにはわからない! 弾くたびにますます魅了されてゆきます。あなたの音たちの中にどれほど多くのことが横たわっていても、わたしにはあなたのお考えがすっかりわかります。そしてあなたとあなたの音の中に入ってゆきたい。これらの情景のひとつひとつにあなたの内面がすっかり現れています」

以下、それぞれの曲の標題と、その曲を弾いてみて浮かぶ情景について熱をこめてほとばしるように書かれている。あんまりアツアツで、読んでてこそばゆくなるくらい(^^;;

クララ19歳、ふたりの婚約時代のことでした。出版時、子供の情景は特に献呈の記述がないけれど、実質的にはクララに捧げられたもののようです。「ときどきまるでこどものようにみえる」大人になりかかったクララ。一方、ユーゲントアルバムはリアル子供ができてからの作曲なので、そりゃ雰囲気違うはずです。

(以上、引用は「シューマン 子供の情景(ウイーン原典版、音楽之友社)」より)

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おまえんちのピアノは部屋の中にあるんだってな

2018年04月10日 | ピアノ
…っつか、ふつー屋内にあるんだよ!! などとツッコミながら、昨日ようやく録画しておいた「ピアノの森」第一話を見ました(^^;;

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この話は、森の中に放置されたピアノ(グランド)があって、それをよく弾いて遊んでる子がピアノ習ったこともないのに超天才で、いろいろあって結局ショパコンで優勝するってことらしいが(←乱暴すぎるまとめ)、どうも入り込めないで困っている。ピアノファンとしては気になるので二話以降も見ると思うが。

ひっかかるのは、ピアノ習ったことない野生児がめっちゃピアノうまいって設定に無理があるからでは別になくて(漫画だからいいよねそれくらい…)、森の中にピアノが放置されているというシチュエーション。

なにそれ不法投棄? ってのはともかく、雨ざらしになって何年も放置されたピアノがピアノとして機能するってのも激しく無理な話で。

というか、この話における設定でいうと、このピアノは一般的な見方でいえば「壊れている」、つまりふつうの人がふつうに弾くとまったく音が鳴らないのだが、主人公(カイ)が弾くとちゃんと美しく鳴る。

鍵盤がものすごく重い(?)らしいのだが、風雨でガタがきて鍵盤が動きにくいのはまぁ当然として、アニメでは、鍵盤をふつうに弾いたとき押し下げはされていて、カタカタという音がするのだが、まったく弦のほうは鳴らない。そしてカイが弾くとちゃんと鳴って、しかも音程はまったく狂っていない(笑)

こんな状態のピアノというのが想定できるだろうか??

…と、そんなところに突っかかっているとどうも素直に見ることができない(o_o)

強いていえば、
鍵盤を押し下げていってかなり底に近いあたりにひっかかりがあり、ふつうの打鍵ではそこで跳ね返されて戻ってきてしまう(カタカタ音だけする)。
怪力(カイだけにw)で弾いていくと、そこを突き抜けてちょうどよいスピードで打弦することができる(!)

ということならありうるでしょうか…

もちろん風雨による経年変化でちょうどそうなるってのは難しいとは思うが。
というか、そのときに音程は狂ってないってのはそりゃ無理な相談だとは思うが。

まぁそれはそれとして。

カイはこのピアノをマイピアノとして弾いてるので、ふつうのピアノ(室内飼いのピアノ-笑)を弾くとめちゃめちゃ鍵盤軽く感じて、爆音で鳴らしてしまう。

それで、私はまだ見てないから知らないけどウィキペによればこの先、「小さな音で弾くために」ハノンのアルペジオを練習したりするらしい。

常識をはるかに超えた重い鍵盤のピアノで鍛えられた天才児が、そののち弱音も手にいれて、という話になるんですかね。
まず筋トレから入るというか、鉄下駄はいてうさぎ飛びする感じかしらね。よいこは真似してはイケマセン

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ピアノ生活・終わりの始まり

2018年04月09日 | ピアノ
昨日の会で、artomrさんが、Ladislav Vycpalek(←なんて読むんだったか…)という作曲家の、本邦初演(たぶん)という曲を弾いていたのですが、

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ちいさ~くコピーしてびろびろびろ~と楽譜広げてたのね。
したら、shigさんが「若さを見せ付けてやがるw」とか言ってたんですけど(shigさんは老眼始まってる)(^^;;

まぁshigさんだって私よりかなり若いんだけどね。artomrさんはさらに若い。とはいえまぁそのうち「こちらの世界へようこそ」ですわよ(笑)

加齢による変化のあれこれ…たとえば老眼だって、そりゃあ老眼じゃないほうが便利だけど、ピアノ弾くのに決定的な悪影響があるわけではない。もっともっと年を取って、たとえば歩けなくなった場合、練習会とかに気軽に出かけていくことはできないけど、もしかしたらピアノを弾く楽しみは残ってるかもしれない(その他の健康状況によるが)。

とはいえ、どこかで限界は来るわけです。

昨日、ピアソラ「ル・グランタンゴ」の素晴らしい演奏を聞かせてくれたマイミクのともやんさんが言うには、「チェロ寿命」の残りを考えて「やりたいことを選んで、取り組んで、心残りがあれば、来世でがんばるということでw 区切りをつける」、グランタンゴはその区切りの始まりとして取り組んだ曲だったそうです。

チェロにとって相当な難曲なので、ともやんさん的には不満な部分も残っているようですが、私からすれば、とても魅力的な演奏で、わくわくしました。昨日が三度目の本番で、いちおうの区切りだそうですが、その貴重な演奏シーンを生で味わうことができてほんとによかったです。

「チェロ寿命」、私の場合は「ピアノ寿命」ですが、その時間が限られているということについては老いも若きも関係ありません。とはいえ、年齢を重ねてくると、あらためてそのことを意識せざるを得ないのですが、私は「限りがある」ということについてマイナスには考えていません。

「限りがある」のは当たり前です。にんげんだもの。でもそれを意識してるというのは(年齢がかなり高くなった)オトナの強みであって、自分がほんとうにやりたいことは何かを考えたり、ピアノが弾ける日々に感謝をしたり、知りたいことを貪欲に吸収したりと、案外若いころにはなかった密度で取り組むことができるものです。

実のところ、私も今年は「終わりの始まり」を明確に意識しはじめた年のように感じています(ともやんさんよりちょっと若いけどな)。譜読みのスピードアップを図ったり、ショパン舟歌に挑戦したり、暗譜に挑戦したり(あるいはしなかったり-笑)、それらいろんな「意識」がそれぞれ何かしら新しいものを生み出していき…

その結果、ピアノの楽しみが深まったり、あるいは演奏のほうも微妙に「いい感じ」に成長したり、ということがあるように思うんです。ビバ加齢!! ピアノ人生、いよいよおいしい実りのときが始まったという気持ちです。

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