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アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

死者の館の扉を開けるスケルツォ二番

2018年02月13日 | ピアノ
YouTubeで次々関連動画かかる状態で放ってあったら、
カツァリスの趣味百科 No.6 ショパン スケルツォ二番というレトロな…これいつの?? (ぐぐる) あ、1994年だって。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←カツァリスさんは私のイケメン候補で

私わりと、スーパーピアノレッスンとかは録画してあるほうなんだけど、カツァリスは見た覚えがない。それもそのはず、またろうが一歳になるかならないかのころなんて、ピアノどころじゃなかったよなぁ~

カツァリスさんのショパンはなんどかYouTubeで見た(聞いた)ことがあってかなり好きなんだけど、レッスンがこれまた、ノリノリでね…かわいいわ(^^)

この曲って冒頭が鍵だというのはなんとなくわかるんだけど
「三連符は問いかけ」「死者の館のように弾くべき」から始まって

死んだばかりの人がいて…それで死語の世界へ行くんだけど…
死者は思う。

「ここはどこだろう?」 ←問いかけ(たーーたらららん、たらららん)

すると(目のくらむような勢いで)答えが。
死者の王国の前にいる衛兵がトランペットで「おまえは死者の国にいるのだ!」(ずん、ちゃーん、たんたたった)

死者は再び問いかけます。
「私はここで何をしているんだろう?」
(略)
「私はここから出られるだろうか?」

というと衛兵は答えます。「ノン ノン ノン ノン」

死者をつかまえる。(たーーーーー、だん!!)
(以下略)


えーー

ショパン先生がこうおっしゃったの?? カツァリス先生「盛って」ません??

手元の「弟子から見たショパン」の、この曲のところを見ると
「これは問いかけのように聞こえねばなりません」
「ここは死者の館のような雰囲気でなければいけません」
「これは曲全体の鍵になります」
とは言ったようなので、上記のコア部分は少なくとも合ってる、らしい。

(衛兵が出てくるあたりからはカツァリス先生の「盛った」部分なんだろうけども。)

でも、レッスンを聞いてると説得力があって楽しいわね。

それで死者を捕まえるところだけど。(たーーーーー、だん!!)
1 2 3 1 2 3 1「2」3
「だん」が無音の一拍目のあと二拍目で来るのがミソ。まぁほんとに捕まったなって感じになりますね。

このあとも、生徒の手の大きさに合わせて指使いをアドバイスしたり、
けっこう丁寧にやっていくの。

おもしろいからお奨めです。
(スケルツォ弾かないけどね!!)

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暗譜の努力が演奏の個性を作るという説

2018年02月12日 | ピアノ
三月の発表会で弾くバルトーク、楽譜10ページあるうちの8ページ(ルーマニア舞曲)は暗譜できてて2ページ(ハンガリー農民歌のバルトーク)はできてないという状況ですが、

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←バルトークのバラード、噛むほど味わい深く。

最後の2ページでやおら楽譜取り出すっていうね、この半端感が…
いや別にいいんですけど…

でもせっかくなのであと2ページ暗譜できるか足掻いてみる? と思ってやってみてました。
たった2ページ、どうにでもなりそうなんですけど、これが妙~に覚えにくい曲でね。たとえば1ページ目のこのカタマリ:


モーツァルトの「ドーミソシードレド」みたいなわけにはいかない。左手がドミソ・ドファラ・シレソなんて具合じゃなくて、なんといったらいいんでしょうかこういうのは??

右手は同じ旋律がひたすら出てくるので(へんな旋律だけど)さすがに覚えます。問題は左手。

まずは一段目…左手で各小節の頭に出てくる音を拾うと
「ソ・ファ・ミ・ミb」
と下降します。まずはこれをしっかり把握しておくと、続きは流れで思い出しやすいのですが、わからなくなりそうなのが各小節最後の二音(一拍分)。
ここ特徴的ですよね。

この一拍分を取り出して、右手といっしょにゆっくり弾いてみると、
それぞれの調和の具合というかぶつかり具合というか、
おもしろいですね。

さて、二段目ですが、こんどは最初の音から違う音へと保持する音が移っていきます。まずこの、長い音符だけ考えると
「シbシb」「ララ」「ソソ」「ソbシb」
最初の三つはオクターブで、四小節目はもっと離れます。

また、この段についても先ほどと同様、各小節最後の二音を取り出して響きをゆっくり確かめます。



そんな感じで、特徴点を取り出しては組み立てていくと、なんとかかんとか覚えられて(ゆーっくり思い出せるという意味ですが)、
その状態になってから、
まぁ実用レベル(見ないですらすら弾ける)じゃないんで結局譜面見ながら弾いていたのですが、

なんとなーく、さっきと違う。

暗譜しようとする前と、今との違いは、「ここがポイント」というのを自分で勝手に設定してしまったことで、だからなんとなく「ふつうに」弾いてみるときもそこんところを無意識にしっかり聴いて弾いてしまうわけですね。ここはぶつかる、ここは調和する、みたいに。

それで「おぉ!!」と思ったのですが、
ヤマハのときのピアノの先生が、「どう弾きたい」を自力で考えられない、そしてガンとして暗譜拒否の私に手を焼きつつ
「暗譜してみると違う展開が見えてくると思うんだけどねぇ」と嘆いていたのです。
先生がいうには、
「大人が暗譜しようとすると、子どもみたいに自動的には覚えられないのでいろいろ工夫をすることになる。その工夫が表現の個性になる」

これは一般的な説ではないらしく、おゆき先生にも聞いてみたところ、そんな話は聞いたことがないといっていました。


でも、実際のところありうる話かなという気もするんです。なんとなく。

ただ、自己流ポイント探しは、理にかなっているかどうか不明なので、その結果微妙に変わる演奏というのも、いい方向かどうかぜんぜんわかんないですけどね。どうなんだろう…


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ピアノ向け湿度問題、思い切って解決

2018年02月11日 | ピアノ
思い切って買ってしまいました~

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←お互い健康でめるちゃんと末永くピアノライフを。

高いのでだいぶ逡巡してたんですが。

ダイキン 除加湿空気清浄機(空清31畳まで/加湿18畳まで/除湿20畳まで ホワイト)DAIKIN 除加湿ストリーマ空気清浄機 クリアフォースZ MCZ70U-W

乾燥する日が続く中、もちろんまぁ風邪・インフルエンザ予防のためにも湿度が低すぎないようにしたいというのもともかく、
めるちゃんの健康問題
…というかね。

加湿器が、
アイリスオーヤマ 加熱式加湿器 SHM-120D
これだと非力で、つけっぱなしでも湿度が30を切ってしまったり(o_o)
二台体勢ならなんとかなるようだけど二台動かすのも面倒(それと邪魔)
しずかーに水が足りなくなってるのに気づかなかったり(^^;;
会社に行って帰ってきたらもうとっくに水がなかったり、
不在中に天気ががらりと変化して湿度が天然で上がっているところへさらに加湿を続けていたり、

…もちろん、二千円くらいの機械に何を求めてるんだって話で、このコだって分相応にはちゃんと働いてますし、使い勝手はいいんですけどね。

まぁなんだかんだで穏やかな湿度を保つことはできておらず。。

めるちゃんも、
湿気がすごい(湿度が高い)ときの明らかな不機嫌ほどではないにしても、
湿度が30を割り込むとさすがになんかお気に召さないらしくて、
戻りにくいキーがあったりとかあれこれ気になる。

そもそも湿度がそれくらいになると人間様の喉もなんだかカピカピしてくるんだけど。

それで、ちゃんと部屋に見合った能力のある「除加湿機」を買おう、と思い立ちまして
いろいろ調べてみますと、
まず、「除加湿機」というものはそもそも少ない。そして高い。

そして、センサーで湿度を「よしなに」してくれるというふれこみの機械であっても、
それは人にとってよさげな、という意味であって、ピアノ用に一定湿度を保つ趣旨ではなかったり。

結局、指定した湿度あたりを保ってくれるのがこれしかないようだったので、

だいぶ迷ったんですけど買いました。

そしたら、「湿度セレクト」で「標準(目安50%)」を選んで運転すると、
40を割らないように加湿して
60を超えないように除湿してくれる
ということで(もっとも買ってからまだ除湿側が実験できる湿度になったことがないが)こりゃ便利(^^)

水タンクも大きいので24時間くらい持つようです(湿度によると思うが)。朝早く出て夜遅く帰るくらいならぜんぜん問題ないと思います。

自分のずぼらさとうっかりと、
それからめるちゃんの末永い健康と、
音の狂いが大きくて頻繁に調律頼みたくなるのもそれはそれで不経済だし…
あれこれ考えてけっこう大きな買い物をしてしまいました。

ま、ともかく快適になりました(ピアノも人も)


* 加湿器二台あるうちの一台は不調だったので廃棄。もう一台は寝室で余生を過ごすことになりました。
* 除湿機はマイミクさんに聞いてみたら貰い手がみつかった!! まだ元気だったので捨てるのもったいなくて、でもでかいから二台置いとくわけにもいかなくて、よかった。


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収容所の中、人種と言葉の壁

2018年02月10日 | 生活
昨日(「強制収容所グーゼンの日記 ホロコーストから生還した画家の記録」)の続き。イタリア人画家、カルピの日記の中にはときどきバイオリンの話が出てくる。

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←芸と言葉は身を助ける。

「ポーランド人の友人たちは、いつも寛容な姿勢で私を助けてくれる。そのおかげで、私は心身ともに癒されている。例えば、晩になると誰かの弾くヴァイオリンの甘い音色が私の耳にも届き、長らく忘れ去っていた音楽を私に思い出させてくれることだ。このようにして私の心は目覚め、再び人間としての自覚を取り戻す。抑留されているという事実が私わ苦しめることなく、空の高見から自由の女神が舞い降りてくる。ごく限られた生活空間でも、芸術家として生きる自らの魂を取り戻すには十分なように思える。」

このバイオリンは、カルピをかくまってくれたポーランド人医師が弾いているもので、アマチュアだが上手だったらしい。あるときポーランド人音楽家が病人になって入ってきて、医師は彼からレッスンを受けるようになったという記述もある。その音楽家は素晴らしいバイオリンも携えてきていて

「品質の高いヴァイオリンはそんなにも情感ゆたかな音色を響かせ、聞くものの心を捉え、その胸を熱くしてくれるものだ。それは、ちょうど私たちが望んでいる福音を届けるために、美しい声を聴かせてくれる女性のように思える…(略)…しかし、本来それは人の心や魂を呼び覚ますような音楽であり、天界に何かを求め何かを信じ、音楽を生み出す芸術家が物理的に人間というより、むしろ天使に近いことを認めざるを得ないような音楽なのだ。」

収容所の中の音楽というと、ナチスの隊員のリクエストに応えるべくユダヤ人の楽隊が組織される…というイメージだが、ここではバイオリンを教えているのも教わっているのも聞いているのも抑留者だ。それだけに真実の音楽が心に染み入ったのだろう。

ところで、この風景はかなり牧歌的というか、アウシュビッツなどについて読んだことのある話とかなり違うと思う(*)。そもそも、カルピは採石場の労働で立てないほどになったとき、収容所内で全身麻酔ありの手術まで受けているが、それは別に人体実験というような意図ではなく、設備も薬も栄養も何もかも不十分だったにせよ、治療目的で行われたものである。彼に限らず、収容所内で病気になった人はいちおう「入院」のうえで治療を受けている。それでもよく死ぬのではあるけれど。

これはどういうことかというと、収容所に抑留されている中でも扱いがいろいろあるのだ。カルピがさせられていた仕事の中に識別バッジ作りというのもあった。カルピは政治犯(ユダヤ人を助けた罪)で赤い鈍角三角形。ユダヤ人は黄色の三角。ユダヤ人は何があっても医療室には入れてもらえなかったのだという。

ユダヤ人は消耗品扱いで、こき使われてそのうち死ぬ。もっと扱いがひどいのがロシア人で、拷問や銃殺もあり…拷問のあと自殺(電気の流れる有刺鉄線に突進する)する人もちょくちょくいたようだ。つまり、生還の可能性は

ポーランド人、フランス人、イタリア人など > ユダヤ人 > ロシア人

ということで、この間には越えられない壁がある。カルピはつまり抑留者の中では「まし(?)」なポジションにいるわけだが、一方彼は言葉の壁に悩んでいた。彼の母語はイタリア語、それとフランス語はそこそこしゃべれるらしいのだが、ドイツ語はまったくわからない。ところが収容所内で支配的な言語はドイツ語であるからこれがたいへん困るわけだ。

つっこんだ話がしにくいから孤独である。さらには、重要な情報をつかみそこねたらそれは収容所内では死の危険となる。

「連合軍がノルマンディー上陸を果たしたというニュースが届いたとき、とりわけスペイン人が居住するブロックでちょっとした動きがあった。つまり、ニュースを聞いた彼らが陽気に騒ぎ始めたのだ。その騒ぎはなかなか収まらず、夜になるまで続いたように思う。そのニュースは収容所内にすぐ伝わったようだが、フランス語とイタリア語しかわからない私には何のことか正確には理解できなかった。ただ、何か吉報であることはわかった。」(後日の回想)

収容所内での振る舞いについての心得(もちろんだがSS隊員の機嫌を損ねるようなことや、規律を乱すようなことをしてはいけないし、あと、逆にびくびくおどおどした態度も殴打を呼びやすい)や、何か救いになる情報は、ポーランド人やフランス人経由でカルピに伝えられることが多く…というのはつまりドイツ語からフランス語に変換されたということだろうか。いずれにせよ、イタリア語は通じない人が多いのでフランス語のほうがずっと使いでがあるわけだ。

そして、フランス語とドイツ語の両方を解する人は多いから、フランス語を手掛かりに、収容所内にいる間に徐々にドイツ語の端々を理解できるようになってくる。特に収容所生活の終盤の記録では、ドイツ語をある程度理解できたとしか思えないエピソードがいくつかあるが、本人の後日回想では「ドイツ語がわかったんだろうか」と不思議がっている(笑)命がかかってるからそのときはわかってたけど平和になったら忘れてしまったのかもしれない。

ともあれ、カルピがもしイタリア語しかわからなかったら生還は困難だっただろう。言葉ってだいじですよ…


(*)…少なくとも、この本で描写されている収容所は、「なるべく大量に効率よく殺す」ことを目的としてはいないらしい。労働不可能な重病者、あるいは赤痢など伝染病患者が集められる病棟があり、そこは定期的に消毒(? たぶんガス殺)されて「駅舎(バーンホフ。ここではあの世へ向かう出発駅ということか)」と呼ばれる小部屋経由で死体がまとめて運び出され、またその病棟に新しい重病者が詰め込まれる、という流れはあった。敗色濃厚になってドイツ軍が浮足立ってきたころにはその流れが強引になり頻繁になったため、とても働きにいけないような状態の人まで労働できるというポーズを取り無理に病棟から出ていくことが増え、それでかえって死者が増えたというような記述がある。


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強制収容所から生還した画家の日記

2018年02月09日 | 生活
今朝、電車の中で読んでいたのは「強制収容所グーゼンの日記 ホロコーストから生還した画家の記録」という、イタリア人画家が書いた本だ。

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←収容所内の言葉の壁に悩むイタリア人。

図書館でこの本を借りるときは、これまで収容所内での音楽家の様子とかが書かれた本はけっこうあるので、画家の話も読んでみよう、というふうに思ったのだが…

それだけじゃない、ものすごいレアものの本だった。

なにしろ、ここでいう「日記」というのは、ほんとうに収容所内で日々書いていたという意味なのだ(o_o) そんなことって!!

いろんな記録は、奇跡的に生還した人々の記憶から書かれているものだが、それは、収容所内ではほんとうに厳しく「書くこと」「書かれたものを持っていること」が禁じられていて、そんなことが発覚しようものなら(というか紙や筆記具だって入手できないわけだが)それは死に直結するからだった。

ところがこの画家は収容所内で「絵を描く仕事」についていて…表向きは、解剖の記録のための絵を描くということで、だから病理研究室が仕事場だったのだが、実際はそういう絵を描くことは少なくて、SS隊員のリクエストで肖像画を描いたりすることが多かった。

収容所で生き延びた音楽家も、演奏をすることでややましな待遇を得られることがプラスに働いたケースがあるけれど、それと似ている。食糧は常に不足していてその点については他の囚人と同じだが、なにしろ屋外の過酷な労働ではなくて絵を描く仕事なので消耗が少ないし、たまに絵のお礼としてパンや、稀にはサラミとかももらえることがあったためか、砂時計の砂が落ちる勢いで餓死に向かうというほどではなかったようだ。

というか収容所に来てすぐは採石場で働いていたのだが、たったの一週間で立ち上がれないほど具合が悪くなり、医務室にかつぎこまれて外科手術(!)を受け、奇跡の回復をしたのち引き続きポーランド人医師にかくまわれて(つまり解剖記録係という体裁で)医務室勤務になったらしい。

夜な夜な(病理研究室にほかの人がいなくなってから、8時にその部屋を閉めるまで)、妻への手紙の形で書き綴られたその日記は、けっこう分厚い本になるほどの分量でびっくりだ。内容は、家族のことや神のこと(この二つが彼を支えていた)、精神的哲学的な内容が多くて、収容所内の出来事の記録のほうが少ない。そして出来事の描写があるときもかなりぼかして書いている。もし見つかった場合にほかの人に迷惑がおよばないように(といってもやっぱりやばそうな気はするが)。

ただ、ぼかして書いた日記をもとに、後に本人が思い出したことを補足しているのでかなりの様子はわかる。記録がまったくないのとは再現度がまったく違う。そしてその記録のための紙などを入手しやすかったのも画家ならではであって…

まさに芸は身を助けるといったところだけれども、自分の人生をかけて打ち込んでいるもの(絵)の能力をSS隊員の気に入るように発揮するというのもこれはこれでつらいことなので、日記ではその苦悩も綴られている。

また、絵は肖像画ばかりでなくそれ以外の題材で、絵画作品として優れたものを作り続ける必要があったようだが、なにしろ絵のモチーフがたいへん乏しい環境であるのでだんだん作品が作りにくくなってきたらしい。製作のテンポが落ちてきたことについてポーランド人医師が「どうにかしないとまずい」と忠告しているシーンがある。

モチーフ…もちろん、死にゆく人々など鮮烈なシーンがあるのでそれを描いたら題材がないどころではないけれども、当然だが禁じられているしそんなものを描いてしまったらちょっとした日記よりよっぽど隠しにくい。

この本に載っている収容所内の絵の多くはのちに記憶を辿って描かれたものだが、稀に中で描かれたものがある。

施設内の眺望のスケッチには、SS隊員のための「女性」が居住する宿舎、射殺用の黒い壁などが描かれている(こんなの見つかったら即死だ…)。

アメリカ軍到着後は隠れなくても絵が描けたらしく、焼却場の前に放置された死体やら、解放後に(まだあれこれ混乱しているので)死亡したミラノの青年、抑留者たちにより殺された班長など、いくつもの絵が生々しく残っている。

絵は生々しいけれど大部な日記のほうはかなり冷静で理性的というか高度に精神的なもので、生々しい恨み言などは一切見当たらない。彼を支え続けた大きなものが宗教であったことは間違いないが、神様(大虐殺を止めるほどの力はないらしい)が何かしたとしたら、彼を生還させて日記と絵を後の世に伝えたことなのかな…



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