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アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

いい先生(ピアノ)の探し方について思うこと【前編】

2016年02月07日 | ピアノ
某所で、「よい先生かそうでないかを見分けるには」というような話が出ていたのですが…

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ここでいう「よい先生」というのは、別に音大に合格させるとか、コンクールで入賞させるとか、そういう外的な評価の話ではなくて、大人再開ピアノをやってる自分にとって主観的に「よい先生」ということね。

それでいえば、どうやったらよい先生を探せるかということは悩ましいにしても、よい先生かどうかというのは自明ではないのか?? と思わなくもないのですが。

よい先生に巡り合うのはそりゃ難しい。私も昔はずいぶん…(ごにょごにょ)…

昔といっても、大昔の、子ども時代(小三まで)のことは覚えていません。だいたい母の元教え子に習っていて、その先生がお嫁に行くと(引っ越しちゃうから)次、みたいな感じで数人いたはずだけど、いいとか悪いとか思いませんでした。子どもだからね。特に嫌な思いをしたことはないと思う(したらきっと覚えてる)。

ちょっと、ピアノを弾いてみて、またやろうかな、ってとき(高二くらい?)、それをぶち壊した某先生。
外国留学中にコンクール受けまくったけど実績上げられず、日本に戻って音大生をやってた人。

私がチャイコフスキーの四季の一月を弾くと、それを黙って一回聞いて、ようやく口を開いて
「それ、ピアノを弾いてるつもり?」と言い放ち、
あとは延々とチャイコフスキーの時代背景について語った人ね。

帰り際には、ずっとピアノを弾いていなくてブランクがあるのだから、人より頑張らなければいけないとかなんとかお説教
…いやそれ、人と競争する場合の話でしょ?? 何考えてんの??

そのレッスンは「二回」見てもらうのが最初の約束だったから、約束どおり二度目も行ったさ。そしたら次はもう少し具体的なレッスンで、
今、楽譜の書き込みを見てもまともな感じ。教え方がわからないわけではないらしい

もっと大人になって(結婚して)、ピアノ再開をチラと考えたとき、新しい先生を二人試して二人ともすぐ終わっています。

そのとき、すぐやめた理由は「それ、ピアノ弾いてるつもり?」と言われたからではなくて(笑)
二人とも別に失礼な人じゃなかった、というか人としてごくまともな先生だったけれど、
ダメ出しするだけで、よりよくする具体的なヒントはくれないと思ったから、かな?

今考えてみると、ピアノもたいしてうまくなかった(爆) 本気の演奏は聞いたことないんだけど、部分的なお手本演奏からすると。

またしばらく経って、今度はこじろう年長のとき、ヤマハでグループから個人レッスンに変更したタイミング。
二枠続きでお願いして、いっしょに通い始めたら、親だけハマって、子どもはすぐ飽きた(よくあるパターン)

この先生は、練習をしないでいって映画音楽とかちょこっと弾くだけだった私を、ブルクミュラー18番きっかけにクラシックのおもしろさに引きずり込み、ちゃんと習っていたときは「エリーゼのために」までしかやってない私が、次々ややこしい曲を勝手に持ってくるのを、なんとか音を並べる方法を教えて(曲りなりに)フォーレノク4まで持ってきたんだもの。

すごい実力者ですよね?(先生として)

演奏のほうの実力も、私にはもったいないくらいで、玉石混交のヤマハ教師の中では群を抜いていました。マイナーとはいえ国際コンクールで1位を取ったこともあるし、先生の英ポロとかカプースチンとかめっちゃかっこよかったです。ただ、私の好きなタイプのピアニストではないんですけど。

結局、この先生には8年間習ったのですが、「ただ音を並べるのではないその先」を先生が私に教えたくなったときに、何かどうしてもうまく噛み合わなくて、お互いつらくなってきたのでやめました。今思うと、感覚でバーッといけちゃう天才タイプの人なんで、私(理屈好き…)とは相性が悪かったのかも。

と、ここまで、ピアノの先生選びってのが「偶然」頼みで、事前情報なしにやってみて、合わなければすぐやめるという探し方だったわけですが、これじゃなかなか「打率」上がりませんね。

ところが、近年はけっこういろんな先生に習っていますが、レッスン受けてみて「ハズレ」と思ったことがほぼないです。

この差は何かというと…(後半へ続く)

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(今回もイラストはまたろう)

だんだんとお化けらしくなる連弾

2016年02月06日 | ピアノ
今年のイロモノは十周年記念これまでのテーマなんでもアリ、という、縛ってるんだか縛ってないんだか微妙な設定なのですが、

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その中から私は「怪奇幻想」で出ます!!

シューマン/「12の連弾曲」より 11.「おばけの話」 ←怪奇
ラヴェル/「マ・メール・ロア」より 5.「妖精の園」 ←幻想

とテーマばっちり真正面です。連弾の相方は鳥目さん♪こりゃもぅ大船に乗った気で…

…いるわけにもいかないのは、シューマンです。この選曲、私から提案のラヴェルと、鳥目さんから提案のシューマンと一曲ずつ入った形なのですが、だから、ラヴェルのほうは何度かやってて様子がわかってますけど、シューマンは「音数多く」「速い!!」ってことで自分で選ぶんなら腰が引けてスルーしそうな曲。

ご提案いただいたときは、曲を聞いた感じは気に入ったので虚勢を張って「快諾」しちゃったけど、実際、フォーレノク4が終わって練習してみると、こりゃやばい…

和音の連続がつかめず、これをある程度おかしくない速さで弾けるようになるのか??

初練習(今日)が近くなってくるとだんだん焦って…

で、どのくらい焦ってたかというと、今日、台所のガスレンジを掃除しようとしてフト手を止めて
「いやいや、ガスレンジなんかぴかぴかじゃなくていいからさっきのところ和音つかめたほうがいいと思うぞ。」
ってピアノに向かったくらい(^^;;

指運びを慎重に検討して、「なんとかなったかな??」というあたりでtime up

鳥目さん登場、artomr氏のレッスン…の前に
まずは初合わせなんだから合わせるでしょうよ。

ってことで、先生に踏めくりさせてとりあえず合わせる私たち。

一回弾いて、まぁ合うことは合う。危険がいっぱいだ(私のことね)。さっきのところはやっぱりハズした(笑)

「じゃ、始める?」とartomr氏
「いやいや、もう一回弾いてから」

二回目弾いたら、格段によくなったよ。さっきのところも弾けたし

で、レッスンになりました。
確かに、音ハズすという意味では危険がいっぱいな曲だけど、強弱とか音色とかメリハリつけていって、それに何度か合わせてるうちにコツもつかんで音も並びやすくなり、そうするとどんどんちゃんとお化けが怖い感じになって、サマになる曲ですね。

それにしても、てんぱって弾いてる本人二人のほかに、ちゃんと横から音のバランスをチェックして的確に修正かける人がいるのってものすごく効きます。何度か修正しながら弾いてると、ずいぶんなスピードで改善していきます。

さて、二曲目のマメールロア、これはこないだ弾いたばっかりだし楽勝ね♪と思いきやそれがそんなことなくて、

レッスン前のとりあえず合わせ「むずいーーー」

「とりあえず」並べるのも案外難しくて、ハズすと修復不可能なほどわけわかんないところもあるし、それにただ並べても素敵じゃないしで、

強弱のバランスを検討するのはもちろん、
受け渡しとか、
場面転換とか、
和声とか(もっとハモるように弾いて、って、そりゃピアノだから音痴に弾いてるわけはないんだが)
「お互い空気読まないで、でもぴたっと合わせて出て」とか

なんじゃそりゃーーー

って感じなんだけど。でも、artomr氏が1st弾いてみたり、2nd弾いてみたり、あるいは一人で全部弾いてみたり(ソロ版ちぅのがあるんです)するうちに、なるほどーと少しずつつかめてきて、すごくおもしろかった!!(^-^)

あと二回練習して本番です。これはすばらしい怪奇幻想になりそう~

一番大事なことは…風邪を引かないことだ!!(お互い忙しいので代わる練習日はナイよ)

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迷子の達人

2016年02月03日 | 生活
今朝の通勤電車では、「それからはスープのことばかり考えて暮らした」(吉田 篤弘)という小説を読んでいた。来る途中だけで読み終わってしまったくらいさらっと読める本。

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内容はとても地味で、悪の犯罪組織も燃えるような恋もなんにもなくて、ただ失職中の主人公と、大家さんと、サンドイッチとかスープとか昭和の映画とか、なんかそんな感じでたんたんと続いていくんだけど妙に気になる本。現にいま、猛烈においしいスープが飲みたい。かぼちゃの入ったやつ。

この中にこんな一節がある。主人公の姉が迷子体質であることを説明しているところで
「それはつまり宿命的なもので、「短気」で「あわて者」でありながら「自信家」であった父の血を姉がそっくり引いてしまったのだった。」

「迷子もたび重なれば、それなりの自己表現になった」…本人はいたってけろりとしていて「迷子になったぶん、余計にいろんなものが見れたし」といったりしているので、ある程度確信犯なのかもしれない。

ところで私も筋金入りの方向音痴なので、「「短気」で「あわて者」でありながら「自信家」」というところはものすごくよくわかる。「短気」だからもう考え込んだり立ち止まったり確かめたりしないですぐ行きたいし、「あわて者」だからそもそも確認するのは苦手だし、それでもって方向感覚はまったくなく、でも「自信家」で確信を持ってまったく違う方向へ歩き出す。

ほんとうは自信家というのとは違って、「こちらで正しいのだろうか」と考えもしていないという感じに近いと思うけれど。

それで私も昔はよく道に迷っていたけれど、最近は迷わない。時間を無駄にするのが嫌いなわけだから(せっかちだから)それを一歩進めれば、そもそも道に迷いたくはないわけで、「しぶしぶ(?)」事前によく確認して、地図を打ち出したり、スマホでグーグルマップを見たり(これはほんの最近のことだけど)、するようになったから、ほぼストレートに目的地に着く。

つまり、主人公の姉というのと私とは、こと「方向音痴」体質に関しては似ているかもしれないけれど、気質に関しては正反対で、片や「遠回りを楽しむ派」、片や「時間を無駄にせずやること片づけてほかのことをする派」ということになる。

主人公は、姉の薫陶を受け(といっていいのか)失職中でも慌てず騒がず同じ映画を何度も見に行ったり、気に入ったサンドイッチ屋に通いつめたりしていて、間違いなく「遠回りを楽しむ派」。

周囲に出てくる登場人物も、なんだかどこか一本抜けてて浮世離れしているというか、月次週次に追われて何かしている人種はいない。

そんな人々が集まって、地味で素敵な人間模様と、おいしいスープができる(というストーリーである。乱暴にまとめると)。それと、悪の犯罪組織や世界征服の陰謀とかは出てこないけれど、ほんの少し謎解きの部分はある。サンドイッチ屋の店主は何がいいたいのかとか、なぜ腕時計が動き続けているのかとか、緑の帽子の女性は誰なのかとか。ただ、ミステリー本ではないし、登場人物も謎を解こうとして動いているわけではない。ただ、ちょっとした幸せを求めてなんとなく生活(回り道含む)しているうちに、実は場面(人物関係図)が転換していくような感じ。

私は体質的には「方向音痴」でありながら、もう遠回り気質を捨てて遠くまで来てしまったので今さらこういうテイストの生活には戻れない。そのおかげであれやこれや楽しいこともたくさん出会えるので(仕事も子育てもブログもピアノもバイオリンもできるのはそのおかげに違いない)、別にこっちはこっちで悪いわけじゃないけれど、

この本を読んでいるとちょっと…

うらやましいというか、ちょっと胸に「ちくっ」として自分の失われた部分を悼むような気持ちになった。

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顔芸モーツァルト

2016年02月02日 | ピアノ
小さいころ、なんであぁモーツァルト(のピアノ曲)の印象が悪かったかなと思うと、やっぱり聞いててつまらなかったから、かなぁ…

大人になってピアノを再開してから、モーツァルトなんか決して人前で弾かない(弾けない)と思っていたのって、やっぱりあぁいうのはミスしないで完璧に弾かなきゃいけないでしょって思ったから、かなぁ…

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やっぱりモーツァルトっていうと、
すごい丁寧に練習して、
ミスなくきれいに弾いてなんぼで、
変なトコにアクセントとか、派手すぎる強弱とかつけちゃいけなくて、
テンポ揺らしたりしないでかっちり弾く。

要するに、真面目にカタく弾く感じで、
聞く方も、
「あっ、今ミスった」
なーんてね。よく知ってるしミスが目立つから厳しいの。減点方式で聞く感じ。

モーツァルトをきれいに弾くなんてめちゃくちゃ大変なことなのに、
その挙句に地味でたいして聞き映えしないし、
なんかコスパ悪い
(うまいと思ってもらえない)
とか。

でも今、50歳を目前にして、
今更別に人からうまいと思われたくて弾くわけじゃないし、
どの曲弾こうが聞く人にわかるミスをするんだからどうでもいいし(爆)

なにより、いろんな人の弾くモーツァルトを聞くうちに、
「これってもしかしてすんごい楽しい曲!?」とも思うようになり、
めるちゃんでちょっと弾いてみたらやっぱり楽しかった。

別に「完璧に」弾けないからって弾かないほうがいいなんてことはないと思うよ。(でしょ?)

というわけで、次のレッスン曲はモツソナにしたんです。
特に人前で弾く予定はないけど。
(三月のイロモノは連弾だから)

と、思っているところへ、マイミクさんに紹介された動画:
ランランの公開レッスン動画。モーツァルトのソナタ

顔芸すごい!!(^^;;

でも、こうやって弾かれると、実際楽しそうだし、
モーツァルトのソナタって、くるくると表情を変えて、
ところどころいたずらっぽかったり、
ドラマチックだったり、
天に昇りそうなほどきれいだったり、
変化に富んだ曲だなって気がしてきます。

昭和のピアノ教室でモーツァルトが弾かれるとき、
なんでみんなあんな修行みたいに真面目に一本調子に弾いてたのかしら…

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名画のネコはなんでも知っているのか?

2016年02月01日 | 生活
滅多に行かない美術館でふと見つけて「いらないものは買わなくちゃ」買いした
名画のネコはなんでも知っている」(井出洋一郎)

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まぁともかく私はてんで絵というものに造詣が深くない、ぶっちゃけ皆無なのでどうかと思いましたが、これ非常におもしろい本でした。猫が含まれている名画を次々76点、時代背景やら絵のモチーフの意味するところなど、猫中心で読み解こうという対談ものなんですけど。

ルネッサンスからロココに至る西洋近世、たとえばですが「最後の晩餐」のように神話ドリブンで描かれた壁画などでは、絵全体をさっと見ると猫の存在には気が付かないようなものが多いのです。猫はひっそりと足元にいて、そのはるか頭上で人間対人間のドラマが展開されているような。

でも、そんな、絵の構図としてはあってもなくても成立するはずの「猫」をわざわざ描きいれたからにはそこに明確な意図があるのですよね。

小さく描かれた猫は、あるときは愛らしく、あるときは凛として、またあるときは何か狙ってたり、不気味だったりと絵によっていろいろですが、考えてみればそのように多彩な表情を見せるのが猫でしょう。犬は猫ほど存在感小さくなりませんし、猫ほど意味(?)が多様でもないような気がします。

この本で紹介されている一点目、「聖ヒエロニムス」では素敵な書斎で読書しているその聖ナントカさんが描かれていますが、その書斎ってのがね。小さくて、机と椅子と書棚が並んでいる程度のシンプルなものなのですが、これがそっくりゆったり広々の聖堂建築の中におさまっているんです。猫は、聖堂から一段上がった書斎の床のすみっこに「ちょん」とうずくまっているのですが、この本の解説によれば「犬では吠えるし、室内犬は構われたいしでうるさいものね。その点猫は仕事の邪魔にならないけれど気分転換にはなる。」とあります。

そうなの? けっこう仕事の邪魔になる話も聞くけど…

「最後の晩餐」バッサーノという人が描いた絵だと、人間たちがずいぶん賑やかでくつろいだ晩餐を繰り広げている中で、すみっこに半身だけ見える猫は耳をピンと立てて警戒の体勢です。ここでの猫は、ユダの裏切りという悪いニュースが来ることを象徴しているのでしょう。一方、いつも人間に忠実な犬は、画面中央下、人々の足元で丸くなって寝ており、危機感のカケラもありません。

タイトルは同じ「最後の晩餐」、ギルランダイオという人が描いた絵だと、長い机の片側に11人の使徒とイエス・キリストが座っていて、ユダだけがキリストと差向いでテーブルのこちら側にいる構図です。つまりすでに被告席というか、のっぴきならない孤独のうちにあると思われるのですが、猫はユダの傍らに、ユダと同じく「しゃきっとして」座っているのです。このときの猫は、ユダの心境を表すものなのでしょう。

もちろん、絵の読み方に正解はなく、この本に書かれている「解釈」以外の捉え方は考えられると思います。でも、こうやって、猫をキーにしていろんな想像をする例を見せてもらうと、絵の楽しみ方も豊かになりそうじゃありませんか。

第二章の、西洋でも20世紀に至る絵となると、猫が描かれるときにはもっと大きな存在で出てくることが多いようです。テーブルの上やソファーの上にいたり、人とじゃれてたりとか、人に抱かれていたり、なんとなく猫の地位に変化があったのかもしれません。

ミレーの「牛乳をかき混ぜる女」では、猫はそのかきまぜる人にごろごろすりすりしています。たぶん、あとで撹拌棒についた濃いぃやつとか舐めさせてもらいたいんですね。

ルノワールの「猫を抱く女性」では、ふくよかな女性に猫が抱き上げられ頬ずりされているのですが、絵をみると明らかに、猫が嫌がっているらしく、目がつりあがって耳も立っています。なんでわざわざこの状態を描いたのか??

そんな具合で、想像してるときりがなく、明確に「読み始める、読み終わる」というのがない本です。また手にとってはパッと開いたページをまじまじと見てしまう…そんな本です。リビングに一冊いかが(^^)
#あ、やっぱり猫は仕事の邪魔になるという気が

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