弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

喪失の年

2016-12-31 23:36:01 | 思考
今年をまとめれば、「喪失」、その一言に尽きる。
連続性の喪失。連なる日々を生きている気がしない。毎晩、死の恐怖に苛まされ、起きた時には忘れている。。
人間性の喪失。人為極まりない手術を精神的な症状に対して受け、もはや、真人間とはいえないだろう。薬も増えた。
関心の喪失。何事にも熱をもって取り組むことが出来ない。「どうでもいい」「関係ない」そればかり。
距離感の喪失。他人に対しての心的距離を測り損ねる。そして、自分から必要以上に近づかなくなった。
能力の喪失。手術のせいかは分からないが、記憶(力)と集中力が低下した。
理想の喪失。死、その必然的な事象の前では全ての価値が失墜し、何事にも価値を見出せない。現実的な職業に対しても何の理想も抱いていない。
希望の喪失。mECTの効果は微弱であった。定職、結婚、減薬と快復。それらが遠すぎて、不可能に感じる。

…そして、肝心の症状だけ喪失していない・・・

喪失したものは、改めて獲得できるのだろうか・・?
35を一応のリミットにしているが、それまでにでも何かしら再獲得しないと生きるのは困難だろう。

引っかかるのが、
ここで終わらせてしまった方が、無為な苦しみや労力など味わわなくてもいいのではないか。
そのことだ。自殺した友人に向けて別の友人が言っていたことだ。
楽になる、それは死というものの概念からして不明だが、生き続けている限り、苦しみは続く。

対価が欲しい。刹那的ではない何か。死ぬまで穏やかに持ち続けられる何かを。

教育費用回収不可能

2016-12-28 23:05:08 | 思考
大学院入試の勉強をしているが、今までで一番つまらないかもしれない。
そして、今回失敗した場合、また将来につながらない費用ばかりをかけたのだと思うと、愕然とする。

今までに、
こどもチャレンジ
市進学院(中学受験
Z会(大学受験。通信・東大マスターコース
代々木ゼミナール(1浪。通常授業は全額スカラシップ
駿台予備校(2浪
生協主催の公務員講座
中央ゼミナール(大学院
某K塾(公務員
伊藤塾(公務員
TAC(公務員・社労士
Z会キャリアアップコース←現在

全部、親に出してもらった訳ではなく、父親の相続分から出したのもある。
だが、2浪以降の予備校は途中で調子崩して完遂出来たものなどない。
それでも、不安解消のために外部機関に頼ってきたが、、もう疲れた。色々と早く終わりにしたい。

何か違う感

2016-12-26 22:13:54 | 思考
若者サポートステーションという若年無業者の就業を支援する施設でセミナーを受けてきた。

・・のだが、いつも通りの不適合感。

何というか、目立った精神疾患もないのに、無気力に引きこもってたりニートだったりする人が多いみたいで対象年齢層は39までだが、やはり、20代半ばが多い。
(年齢は分からないが、話を聞いた感じ)
となると、やはり、精神疾患持ちの30代前後ということは話しづらい。
無論、見えないところでメンタルにどうこうはあるのだろうけれど、少しコミュニケーションを取りづらい人ばかりで。

幾つかセミナーがあって、前に行ったパソコン講座は30代っぽい人がいたので、今日のコミュニケーション系の講座がそうだっただけかもしれないけど、今後そこを利用するのは進路とかアルバイト探しのためではなく、家族や友人以外の他人とコミュニケーションを取る場を設けるつもりのためだったので、今日のような人達だと何か違う感が激しい。

でも、デイケアだと病気前提で話せるけど、逆に復職・再就職の人ばかりでこれまた何か違う感がしたのだ。
今通っている病院のデイケアはキャリアプランニング中心なので、別の病院にすればいいかと思うと・・今度は重症・慢性化した人達への場所作りが中心なので、レクリエーション中心のメニューで今後に役立たない。おそらく、何か違う感はまた出るだろう・・

やはり、色々なサポート施設で支援受けるよりも、強引にどこかにねじ込んだ方がいいのかもしれない。

外発的動機づけー友人

2016-12-22 12:46:42 | 思考
大学院に行くにもパートを含めた職に就くにも、社会的なプレッシャーや、~がしてみたいという内発的な動機づけだけでは不十分で、お金や恋人などの外発的動機づけーいわばその行為に対する報酬がないと意欲は湧かないのではないか。

そういう話をカウンセラーと話したことがある。
その一環で、友人は欲しくないか、そう訊かれた。

SNSを見ても、友人関係があまり無くて孤独感故に友人を求める精神障害者は散見される。
確かに、同じような境遇から頑張りあえるような友人は欲しい。だが、その一方で、健常者の友人はおそらく他の精神障害者の人より自分は多い。
彼らとのコミュニケーションでギャップを感じることは多いが、健常者の友人をこれ以上増やしたいとも思えない。
そして何より、同じような精神疾患の友人は悪い時には足を引っ張りあう。
自殺してしまった親友もそうであった。
(精神疾患の友人というよりお互いに友人だったのが、精神疾患にかかったというべきだが。)
なので、同じような精神疾患の友人も作るべきではない。

回りくどくなったが、新しい友人というのは動機づけにならない。
無論、このまま何も決めきれずにいると、今までの友人関係も失っていくだろう。でも、それはそれでしょうがないと思う。彼らがどう結婚していくかを見られればいいのだから。

・・大学時代にクリスマスを4年連続で過ごした同性の友人と今年も一緒にクリスマスを過ごすかもしれない。
彼以上の友人は今後も現れないだろうし、自殺してしまった親友以上にメンタルを話せる友人こ今後は現れないだろう。

そう思うと、新しい友人関係、それ自体が魅力的に映らないのだった。

愚鈍故の安定か機微故の混乱か

2016-12-17 23:35:42 | 思考
夏からセレネースを最小用量で飲んでいる。
これは二浪の頃に関係念慮が酷いのに効果があった薬だ。(当時の診断名は神経衰弱)
統合失調症圏だけでなく、躁や不安・緊張にも使い、基本的には頭が重くなり、そういう症状の対象を「考えなくなる」。抑えているだけなので根治させるものでもないと思うが、受験生なのに頭の回転が遅くなるのはデメリットであった。
だが、あの頃は旧帝大の模試で5番を取ったし、実際、自分に合っていたのだろう。

ところが、月日が経ち、関係念慮が無くなった訳ではない現在、不安と緊張、精神的混乱を防ぐために飲んでいるのだが、二浪の服用時より抑えつけられている感が酷い。
文字の処理も計算も遅くなっている。
そのため、刺激への感受性や処理が鈍く、方向性はぶれないものの愚鈍である。

少しの刺激や些細な出来事に動揺して大学院受験という選択がぶれることは避けなければならない。
だが、こうも鈍いと何をしているか分からないまま時間は過ぎしかも勉強の効率は格段に下がる。

服用中止も含めてどこでどういうリスクを取るか考えなくてはいけない時期なうようだ。