弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

自殺か維持mECTか

2017-09-27 12:55:14 | 思考
昨日、表題のことをずっと考えていた。ECTは顕著な効果はなかったが、自殺念慮は激減したし、行動は活性化した。一時的に。

去年の秋冬で調子を落としたが、それでもmECT前よりはよかった。
それでも、もう今の状態は施術前と大して変わらないだろう。

ならば、もう一度ーいや悪化する度にmECTを受ける維持療養というのを思い出した。
元々、relapse rateが高い施術で、定期的に受ける人もいるらしい。
胡散臭い病院では外来もやっている。(あの状態で帰宅しろというのは無理難題

だが・・・そこまでしてーあの恐怖体験と記憶障害、金銭を消費してまでこの命を存続させるべきなのだろうか。
社会的にお荷物ーまあ、これはどうでもいいが、そこまでしてやりたいこと・やるべきことがない。家族にも友人にも、死ねとは言われないものの、生きていた欲しいと頼まれたことなどない。
そんな命を極度に人為的で倫理性が問われる施術を繰り返して生きていって何になるのか。

どうせいつかは死ぬ。
どうせ生きていても充実感に満たされることなどなく。苦しみの方が大きい。
回復の可能性はー医療技術が2,30年後に発達して、今の自分の状態が解明・治癒されたところで遅すぎる。

何も生み出すことなく、誰のためにもならない生を苦しみを引き連れて送る。
羨望と劣等感に身を焼かれながら。
まあ、誰とか何とかも本当は関係ない。
自分が価値を見出せないだけ。誰に蔑まれようとも、孤立しようとも、自分はこれをやる。
というのさえ、見つかれば・・
(それでも、mECTをまた受けるかは別。ーそれを持っている自分の同一性の問題になるから)


どこにいても地獄

2017-09-26 12:34:03 | メンタル
家にいるときは、皆働いているのに何で自分だけ寝込んでいるのかという不条理に悶え、
外にいる時は関係念慮と劣等感に苛まれる。

一日でも外に出ない日があると、翌日は対人緊張と関係念慮が悪化することに改めて気づいた。

つまり、家での療養はー家族がいない時でも療養にならないし、外でももちろん、気が休まらない

ほとんど誰もいなく、タバコを吸いながゆっくり出来、かつ無料の場所ー公園はないものか。

英検準1級が迫るなか、どう過ごしていくか。
準1級などライティング対策すれば受かるから、問題は二次の面接。

追記
あまりにも苦しく、デパスとレキソタンを同時に飲んでもあまり効かず、デイケアさぼり。
基本的に睡眠薬の方がリラックスさせる作用は強いので、ユーロジンを最小用量で飲んだら少し楽になった。あまりよくないけど、免許自体ないし、ブロ○飲むよりはいいかな。
と思ったが、普段から睡眠不足なので、やっぱり起きて活動するにはしんどい。
血中半減期が長いから何とかなると思ったのが間違いだった。

シクレスト中止とリーマス増量ー今後

2017-09-22 20:36:13 | 思考
シクレストは中止。主な理由は、
・イライラ
・空腹感
・睡眠リズムの悪化(主に不眠
・気分は安定しない、意欲も出たとは言い難い

イライラが出ると自傷他害の恐れがあるからしょうがないだろう。
医師は納得していなかったが、リーマス増量(MAX)によってイライラが収まる可能性はある。

それでも、正直、10月まで乗り切れるしない。

ということで、個人輸入したバルドキサン(アゴラメチン)再開。
それでも無理そうだったら、冬にこれまた個人輸入したレクサプロ再開。
レクサプロは今後、医師に頼むことも出来るが・・

前から書いている通り、
夜しっかり眠れて、朝すっきり起きて、日中コンスタントに活動する。
しかも、不安症状にも立ち向かう。

そんな生活などもう出来ない。
定職も結婚も恋愛も諦めて、一体、何を求める・・?

この問いに答えていく作業をしなくてはいけない。
死ぬのはいつでもできる。

応募の予定もないし売れる見込みもないけれど

2017-09-19 01:28:26 | 思考
とりあえず、
書いてみなければ始まらない。
という友人の弁を受け、自分のドライブに保存する形で小説まがいのものを書き始めたのだが・・

まず、友人に自分から話した書く動機のうち、
自己浄化
というものは間違いだった。

自分の実体験に虚飾を混ぜて書き始めたが、浄化どころかどんどん蝕まれていく。
扱うテーマが、mECTによる世界からの疎外、親友の自殺への贖罪、という重いテーマだからだったかもしれない。
結末まで書ききれても、自分の罪の意識は逆に強まり、本当に書きたいことを書けないだろう。

ならば、そして、どこにも公開しないのであれば、
誰のため・何のために書いているのだろう。
その想いが書くのを邪魔する。

どこかに公開したところで、伝えたいことは伝わらない。
更に付け加えるならば、
書くの自体が楽しくない。

実体験を基にした純文学、というが間違いかもしれない。

むしろ、空想の世界で登場人物達を動かす方が楽しいのかもしれない。

だが、それだったら、今までのように批評者ー鑑賞者の立場でいい気もする。

では、自分が抱えたこの膿からは死ぬまで解放されないのか。
いや、そもそも解放されていいのか。

その葛藤が頭を悩ませている。

3X歳からの思春期

2017-09-14 15:16:45 | メンタル
春季の入試まで時間があるのだが、実家にいては居心地が悪い。さりとて、勉強はもう飽和状態なのですることもない。
そこで、ゲーセンで時間と気力とお金を無駄遣いして、余計にうつっぽくなる。
この悪循環をカウンセラーに話したら、夕方から夜の短時間のバイトを。という話になった。
もっとも、また9月初めのように自殺念慮まで出てくるとバイトどころではないし、そもそも、そんなバイトは限られてくる。

大学院→非常勤講師→助教又は講師
というステップを今後踏んでいくのなら、研究の他に正業も副業も教育関係になる。
そういう意味では塾講師だろう。ただし、未経験な上に社会不安があるので、集団は無理だ。

しかし・・・社会不安以上に問題なのは異性への恐怖心だ。
そもそものそもそもが、中高男子校、二浪中も全く異性と話さなかったということが病気の基礎にある。
大学以降に話した異性もかなり限られてくる。
今は発汗や震えはないが、身構えている。

なので、成人した異性も怖いが、一番怖いのが中高生の女子だ。話したことは、多分、人生で一度もない。
昔より薄まったとはいえ、常に被害的な観念はある。
キモイと言われたり避けられたりするのではないかと・・・

大の大人が情けない上に、こっちが怖いというよりむしろこっちががたいと顔つき的には怖がられるだろう。

お互い怖がっているが、打ち解けてみると意外に・・なんてのはないかなあ。。。
(勿論、性愛的な意味ではない)
甘い考えなのだろうか・・・

(因みに、昔から周りに言われていたことだが、猫背でやせ過ぎだったのはともあれ、顔つきでキモイと思われることなんてない。らしい。)