某SNSのコミュニティでも話題になり、おそらく専門的な領域でも議論がされ尽くしているものとして、
価値相対主義の自己論駁性
というものがある。
およそ、あらゆる価値や主義(イズム)に普遍的かつ共通の(善悪・上下等の)判断基準はないとする、その価値相対主義自体には価値があるか否かというものである。
つまり、全ての主義主張を対象にすると、もはやその主義主張にまで射程が及ぶ。そうすると、どうなるか。
あまり深入りする気はないのだが、ニヒリズムの場合はどうなるのか。
全てが無価値だとするその言説自体はどうなるのか。
考えられるのが、
この主張を除いて
とする方略だが、それではその主義主張を特権的な地位に置いてしまう。
何か、嘘つきパラドックス(私は嘘つきである、と言うと自己矛盾になる)と同様の怪しい感じがする。
どうでもいいが、全てに価値を見出せない理由が、
どうせ全て終わるから
であるのならば、時間、そのことについても考えねばならない。
・・毎晩毎晩、死を思うのは苦しいが、明日目を覚ますことは出来るだろうか。
価値相対主義の自己論駁性
というものがある。
およそ、あらゆる価値や主義(イズム)に普遍的かつ共通の(善悪・上下等の)判断基準はないとする、その価値相対主義自体には価値があるか否かというものである。
つまり、全ての主義主張を対象にすると、もはやその主義主張にまで射程が及ぶ。そうすると、どうなるか。
あまり深入りする気はないのだが、ニヒリズムの場合はどうなるのか。
全てが無価値だとするその言説自体はどうなるのか。
考えられるのが、
この主張を除いて
とする方略だが、それではその主義主張を特権的な地位に置いてしまう。
何か、嘘つきパラドックス(私は嘘つきである、と言うと自己矛盾になる)と同様の怪しい感じがする。
どうでもいいが、全てに価値を見出せない理由が、
どうせ全て終わるから
であるのならば、時間、そのことについても考えねばならない。
・・毎晩毎晩、死を思うのは苦しいが、明日目を覚ますことは出来るだろうか。