弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

罪と罰2ーanything that promotes my・・

2019-12-29 23:18:49 | 思考
ただ、死ぬということはどういう事象なのか。
彼岸なんてものはないが、本当に意識の永続的喪失。それが死なのか。その後はないのか。

その問いは全て意識と因果に収斂される。

それを、自分が勝手に死ぬまで、追及すること。

そう、今の立ち位置もこれからも、ただそれだけがある。
意識も因果理論の研究もそのためにある。

そこからだけは逃げてはいけない。目先の楽さをとってはいけない。

ーーーーーー回帰ーーーーーーーー

休みことが長期的には研究の促進になるなら、そうするべきで。
それ以下でも以上でもない。
笑うことも泣くこともそうなるなら、そうするべきで。
それ以下でも以上でもない。

そして、まだまだ、結論に至りそうはない。
現時点はそこ。

look back and look forward-into the hell 罪と罰1

2019-12-29 22:59:42 | 思考
実家に帰ってきて、浮かれていた。
少し休んでいいと。休むべきだと。

休むのが、よりよく苦しむために効率的ならば、それでいいだろう。
だが違うな、今の休みかたは。

あるアニメで思い出した。自分が彼の自殺の引き金を引いてしまったこと。
許されるのか否かということ。許されたか否かということ。

違う。許す主体が不在なのだから。許されるも許されないもないということを。

・・・結論がないということを。

主体がいなく、また代わりに裁くものがいないならば、裁く法律すらないのならば罪も罰あり得ない。勝手に苦しみ勝手に許されるも否もない。

だが、忘却は自分が自分に課した罪であり、時々こう

自分は生きていていいのか。

と自問自答すること自体が自分が自分に課した贖罪。その時々で考えること、そのことだけが
唯一の手段。だが、それすら忘れていては「救いようがない。」

救われるために生きているのではなくて、では今死ねばいいという訳でもない。
いずれ、その時が来たら、自殺じゃなくても勝手に死ぬだろう。その時がいつ来るかは分からないが。ろくな死にかたはしないだろうが、敢えて積極的にそれをすることもない。

父の記憶も彼との記憶も生理学的に薄れていく。ただ今思うことは。

それでも信じられないならば・・・~指導者たるもの

2019-12-23 21:11:59 | 学習(全般
指導者たるもの、道を示すか、道に導くか、憧れを抱かせないと駄目だと思う。

これは持論だが、先ほどの日記を見ても、何故自分の人格を偽ってまでこの大学院に残らなければいけないかがよく分からなくなってきた。

前期の最初の方も先生のことがわからず、博士後期課程から大学院を変えたいと弱音を吐いていた。
友人には、せめて一年様子を見てみてはどうかと言われ、我慢してきた。

まだ、一年は経ってないが、1月はほとんど授業がないし、2~3月は大学院の授業はない。
となると、もう様子見の期間はほとんどないことになる。

別にパワハラ・アカハラの類をするのじゃなく、生徒にほとんど関心がいかない。自分には特に冷たいように感じる(これは被害念慮かもだが。
そして、冒頭のどれにも当てはまらない。専門分野の違いがあったとしても、それなら、最初から受け入れを研究室訪問で拒否すべきであっただろう。
責任感があるとも感じない。塩対応を通り越して、放置だ。これは他の院生も言っている。


誰かと一緒に・誰かのために・尊敬する誰かの下で、でないと自分は頑張れない。
11~12月はエナジードリンクでごまかして一人でやっていたが、やはり、心身に負担をかけすぎる。
そして、出来たのは納得のいかない出来栄えの論文。若手向きだが、リジェクトも覚悟している。

何回も書いてるが、自分の素質の有無は別として、基本的に何をやればいいのかが分からない。先輩に少し教えてもらえるだけ。
これだったら、結局、何のための大学院か分からない。設備と環境だけで、指導教員でストレス貯めるなら、例え自分の専門の領域の先生じゃなくても他の先生、いや、他の大学院―特に実家に近く友人も多い環境のほうが絶対良いと思う。

といういことで、今年の締めくくりとして決意したことがある。
学伸DC1を取れず、かつ、よく話したり飲んだりしてくれるM2のI先輩が博士後期に進まず、かつ、この大学院に修士から受験すると噂で、自分と専門領域が似ている人が実際に入学しなかった場合、何が何でも博士後期から大学院を変える。学歴を下げてでも。
ちょっとお酒飲んでいるので、論理的に正しい文を書いたか分からない
要は、
・学振が取れた場合、自分の能力を信じてこの大学院でもやっていく。
・学振が取れなかった時、この大学院に残るのはI先輩とその受験予定の人がこの大学院に「双方とも」いない場合、絶対に変える。

ちょっと軟化した態度というか、気まぐれでこちらに関心を向けることがあってももうこれは変えない。

思い出してみろ。母校の文学研究科の人のほうが研究室訪問の時点で親切に指導してくれたではないか。
そこは遠いからそこに変えるかは分からないが、ともかくこの決定を覆すのやめだけはやめよう。

ただし、学振取れなくてもDC2で応募するときのことを考えて、自分なりには自分の仕方で足掻いては見る。


治らない関係念慮~People=Shit~筋トレ

2019-12-23 16:04:06 | メンタル
まだ他人が自分のことを分かってくれると思っていたのか・・・?

高2の頃から発症し、今もずっと治らない症状が関係念慮だ。

他人のちょっとしたしぐさや行動に反応し、自分と関係しているものだと思ってしまう。
今日も研究室で教授がこちらの挨拶に僅かにしか応答しなく、それで、やっぱり、嫌われている、と思ってしまった。

そこで終わればいいんだが、やはり、そうなると幾ら認知的に、

今日は忙しいんだ。
とか
眠くてはっきりした声で返せなかったのだろう。
とか
認知的修正をかけても、真実なんて本当に本人に聞いてみても分からず、実際に訊くことはできない。
しかも、それを意識的にやっていない場合、理由を聞いたところで無駄だ。
こんなことは、社会心理学や臨床心理学で学んだことも活きない。
(自分の行動は外部の影響に原因を求めやすく、他者のそれは内面的な要因に原因を求めやすいというバイアスとかね)

本当に、20歳の二浪の頃、神経衰弱と診断されたころには、皆が自分を避けているのではと思い、すれ違った人がやたら距離を空けてきたので本当に聞こうとしたことがある。まあ、その時は東大受験失敗と予備校不適応で本当に滅入ってた時期なので今とは違うが。


カウンセラーはその度ごとに認知的修正をかけていけばいい、と言ってたが一向に良くならない。
これはもう、感覚レベルで生じるから思考で矯正はできない。
臨床的には多分、反芻すると症状が悪化する。つまり、その後、どうやって思考の方向を転換できるかにかかっている。
が、気分転換や気分の修正が苦手な自分はそれも困難だ。

どういった機序でこの症状が発生したかの個人的真実は醜形恐怖、生育環境だと思っているが、それはただの仮説だ。
家庭内不和が多く、自分は末子だったので周りの顔色を窺う傾向にある。

これも治りはしないだろう。

なら、いっそのこと、自分以外は全員敵だと思うしかないのかもしれない。
自分に優しくはなくても、「自分の思う普通」で接してくれることを期待しているからそうなる。
なら、その期待はもはや叶わないと前提したらどうか。

嫌われる勇気とかではない。そういう行動面で大胆にいくとかでもなく、自分の態度を変えることもない。

むしろ、友人や家族と実際に会っていない時・話していない時はデフォルトで全員が敵だと思うこと。


そんななかでも、自分を保つためには根拠はなくても、ただ自信を持つことだ。
研究はうまくいっていないけど、自分に才能なんてないけど、年齢的にハンデを抱えているが、それでも・・・他人なんて(諸々の意味で)大したことないと思うこと。

まあ、そんなことを思えるくらいなら、病気になっていないよね。結局、ひ弱だもの。

それでは、ドーピングをしよう。自分にとっては音楽が一番のドーピング。
もはや、バンプオブチキンとかで励ましてもどうにかならない時もある。
なら、もうSlipKnotくらいしかない。表題曲が題名の通り一番だが、それ以外でもいい曲はある。

あとは、とにかく筋トレ最強理論を信じるしかない。(筋肉がつくとなぜか自信がが湧いてくるという)
ガタイもいいし、顔も怖め。髪型もオールバック。なら、後はひたすら筋肉。
武力と見た目による威圧をかける。

こうして、二つの精神的ドーピングで、他人から好かれたいと思う心を偽る。
自分は自分でやっていけるし、味方なんて必要ないと偽る。

もうこれしかないだろう。
ただ問題なのは、喧嘩早くなった時が実際あること。実際に喧嘩には至らなかったが、ちょっと自分で振り返ってみて危うかったな思うことがあった。
犯罪とか喧嘩がしたいわけではないのだから、ちょっと心が弱りかけたらイヤホンに頼ること。研究室に入る前に、大学の敷地に入る前にルーティン化すること。

問題は常にイヤホンをかけているわけにもいかないし、メタル系は聴いていると疲れる。

偽り続ければ、それが本当になるのかもしれないのだから。

でも、とりあえず、医者には伝えてないので今度の診察で行ってみよう。もう少し精神的に安定出来たら上のような強硬策を取る必要もない。

リーマスさようならとセニランと筋トレ

2019-12-21 16:00:40 | メンタル
論文は何とか受け付けてもらった。
これでほっとして、年内はゆっくり過ごそうかと思ったが、意欲に波があり、研究が捗るときと全くやる気が出ない時とがあって困惑している。
次の試練は決まっていて、それに対する準備とかを考えると、落ち着かない。

やっぱり、抑うつと不安を何とかするのにセニランに頼っている。

効果を感じている時の実感として3~4時間くらいなので、研究室の先輩との飲みの日でも午前中なら大丈夫だろうと思い服用したが、トイレでひそかに戻してしまった。よくよく調べてみると半減期が20時間なので、一日に3回飲んでると、むしろ即効性というか血中にとどまっているものと思われる。
だから、年末は友人と飲む機会が多くなるが、気を付けないといけない。

それはそうと、先週、医師の問診時に久しぶりに血液検査をやることになった。ので、正直にリーマスはずっと飲んでるが、効いてる気がしない・今も飲んでないと伝えると、別に怒るわけでもなく、じゃあ、一度抜いてみましょうということになった。

ただ、躁状態には注意しろとのこと。
いや、そもそも、リーマス飲んでても微躁も鬱も抑えてくれないから飲んでなかったのだが。

だいぶ神経質そうな先生だけど、割とこっちの意見を聞いてくれる。あと、予約制なので全然待たないところがいい。

これで、
レキサルティ2mg
アナフラニール100mg
セロクエル400mg
を寝る前に一度に服用で済むことになった。(デパスとセニラン、内科の薬は別)

内科の薬と書いたが、やっぱり、血液検査の中性脂肪と肝機能が心配で。飲んでるのはウルソとEPA製剤。
ちゃんと飲んでいるのだが、多分、次回、悪い結果が待ち受けているだろう。
今現在、太っているというかかなりがっしりとした体型になっている。筋トレのおかげもあるだろうけど、昔のやせ細った面影はない。

筋トレはしているが、やっぱり有酸素運動をしないと内臓脂肪が落ちないので、ランニングしないと駄目だというのは分かっているが、寒くて意欲がそがれる。
体力は相変わらず絶望的にないし、朝のうつが酷くて動き出すまでに時間がかかるので、夕方運動してお風呂入って熟眠できたらいいのだが。
勉強もしなくちゃと思うとやっぱり定期的な有酸素運動はできていない。

来年の課題か。

どうでもいいんだが、通院歴14年だが、なぜかクリスマスの日に通院する日が多いように感じている。
昔はとても惨めな気分だったが、今はそうでもない。他にすることがあるからだ(できるかどうかは置いておいて)

そう考えると、年増の大学院生であっても、ちゃんとした身分があることが大崩れしないことに繋がっている。

まあ、今日は何か無理感が漂っているが・・・。

このブログの年内の更新もあと一回くらいか。次は今年の総括をしたいと思う。

(因みに、友人と飲む、とかで元気そうに見えるけど、全然元気ではないのです。次の日は大体何もできないし。それでも他の娯楽にはあまり目が向かず、他人と話す、というか愚痴ることでストレス発散してんだなあ・・・