弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

哲学のお話1ー独我論について

2018-06-29 22:51:19 | 思考
自分に一番影響を与えた書物はシーシュポスの神話。これを読んでいなかったらとっくに自殺しているだろう。
自分が最も尊敬する哲学者はニーチェ。だが、それは梯子であった。
そして、自分が読んだ著作が一番多いのは永井均。

本格的に哲学の勉強を再開するにあたって、今、ヴィトゲンシュタインの論文集を読んでいる。そして、そこにたまたま永井均の論文があった。
以下、伝わらないことが伝わるといいと思いつつ、そんなことはどうでもいい。


私の世界=私(の意識)
という簡潔な独我論のテーゼは克服したように見えた。
その根拠は、
他者及び言語が発生的に意識に先立ち、意識を規定している。
というものであった。つまり、因果が逆なのだ。
意識があって、他者を認識し言語を使用するものでないと。

だが・・・
その事は他我の存在は保証しないのではないか。
たまたま、私に意識が芽生え、今から発生を振り返り、そこに他者及び言語を再発見しただけかもしれない。そして、今というものしかない以上、その客観的事実の存在の蓋然性は高くても、それはただの経験的事実であって、今の私には本来的には影響を与えない。

ごくごく、簡単に言ってしまえば、
他者がロボット(または哲学的ゾンビ)で言語を使用していて、この私の意識をたまたま生み出すことになったかもしれない。

これはどう覆せるのか。

※私にとって独我論というのは離人的な感覚を基盤に持つものから理論的に反駁出来ないものなだけであって、多分、真正の主張ではない。

All by myself2~哲学者のイメージのご多分に漏れず

2018-06-26 21:21:13 | 思考
こんなこと書いてもしょうもないのだが、世間の一般的な哲学研究科のイメージとしては、
・世離れしており、
・堅苦しく
・難解な言葉で煙に巻く
そういったものだろう。

更に自分の感覚で言えば、
・哲学しているのではなく、哲学史の勉強をしていて、
・借り物の言葉でしか自分の考えを表現できない

人が多い。
勿論、良い哲学者になるためには、哲学の歴史と著名な哲学者の考えは学ばねばならない。
ただ、良い哲学者は哲学史の良い研究をするが、逆は必ずしも真ならず、である。



昨日の、講師もご多分に漏れずまさにそんな感じ(哲学史の研究をしている、しかも優秀でない)で、もうこの人に頼ってもしょうがないという感じはした。
私の考えでは、哲学こそ、他の諸学問に通じてねばならないのに、今問題が多い、
科学哲学や科学技術倫理(※)や心の哲学
に疎い感じがしたのだ。(心理学や心の哲学に疎いということは自分で言っていた)

哲学上の諸問題は、プラトンの焼き回しとも言われることもあるらしい。

それを踏まえて、世間に、
自分のやろうとしていることは古典的な哲学のイメージとは違うんだよ
とも声高にも言えないが、それでも、内心ではそう思っており、哲学史家になるつもりもない。
そこだけは多少、世間からどう思われようが、矜持として持っていたい。


大概の研究科では哲学と倫理学は専攻が分かれているが、両者が密接に関係しているのは言うまでもない。

All by myself1-予備校頼りからの脱却

2018-06-26 21:10:21 | 思考
昨日、とある大学院入試の予備校(今までで何回か使ってきた)の哲学の講師に話を伺ってきた。

大体、今の大学院の入試の予備校は、
・法科大学院
・臨床心理
・MBA系
であるが、そこの予備校には色々な分野の先生がいる。

だが、、、掲示板とかで揶揄されている通り、
結局、そういう所にいる人は、研究者になり損ねている人々なのだ。
勿論、若い講師なんかはポスドクまもない人とかもいるだろう。
だが、高齢の人はお察し・・・

自分がそうならないとも限らないのでバカにできはしないのであるが、結局、そういう人たちにどう見てもらおうが結局自分。
無論、時間がない場合に提出書類の体裁を整えるなどの利用なら問題ない。
特に、他学部からの出願の場合。

ただ、哲学とかは上記三つの人気の大学院ではない。
その上に、自分は学歴ロンダリングしようとしている訳でもない。(目指すのは出身大学と同じレベルの旧帝国大)
更に哲学をするならば、ここで楽をしようとしても、それは自分のためにならないとも思う。

時間はかかっても、自分でやらねばならないだろう。

反・断捨離

2018-06-24 02:16:45 | 思考
断捨離という言葉の下に、何冊の本が古本屋に売られてきたのだろうか。

自分はその古本屋にお世話になっている立場だが。

読んだ本は小銭稼ぎという卑小な精神のためには売らないということを固く決意した。
ましてや、売ることを前提に綺麗に読んでいくなんて論外だ。

どのような本であれ、読まれた本は自分を形作る。
私の死後のことはどうでもいいが、晩年に自分が読みメモをした本に囲まれていたい。
それが一つの誇りになるだろう。

コントロールのコントロール

2018-06-23 21:28:38 | メンタル
昨日、かなりうつが酷かったのだが、今日は調子がいい。
かなり逆説的で言葉遊びのようになるが、何か少し掴めた気もする。

確かに気分に波があって社会生活を送れないのは困る。

だが、それをコントロールしようとし過ぎるとーつまり、コントロールまでコントロールしようとすると、逆に悪化する。
むしろ、病気、いや病的でない時ほど、コントロールなどしていなかったのだと思う。

内的な感覚に敏感になりすぎるほど、逆に、それに呑まれる。

森田療法のようなものでもない。

ただ、一度、コントロールー監視しようと思うと、それは無限に続いていく。
コントロールのコントロール、更にはそのコントロールまで。

敢えて、コントロールを手放すことにも一理あるのだということを言いたいのだ。

深淵を見つめる時、深淵もまたお前を見つめているのだ(byニーチェ