弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

このブログどうしようかなあ

2021-03-16 12:34:50 | 思考
心理学系の大学院には合格して、4月から実家から大学院に通うことになった。
年齢、学歴、病状、色々な部分で苦戦すると思うけど、何とかやって今度こそ博士号までこぎ着けたいと思う。(博士号取得はゴールではないが区切りとして)

さて、5年近く続けてきたこのブログどうしようかなあ、と思う。

基本的に独り言で他の人に分かってもらうつもりはない。ただ、誰が見ているか分からずまたフィードバックもコメントもない(独り言だから当たり前だが)ことに、とても空しさを感じているので、メンタル・投薬・カウンセリング面での記事も書く必要性を感じない。

研究のこと書くなら、noteの方が流行ってるし、ここで匿名で書いてもしょうがない。

つまり、基本的にこのブログの使用意義がない。

筆記(というかタイピング)による否定的感情の減少もあまり見込めないし、見込めたとしてもLINEのタイムラインに書いた方がまだ匿名でない知人のコメントが見込める。
最悪、自分で日記を用意して書いた方がいい。

広告貼ってないので、アクセス数に一喜一憂する必要もない。

こう考えていくと、ブログを続けるメリットがない。

自分は自分で辛いけど、他の人も辛い。それでいい。
需要もなければ発信力もない。

消しはしないが、このまま放置かなあ。

大学院中退。それでも良かったこと

2021-02-16 17:53:24 | 思考
電気痙攣療法の話題が出たので、ついでに。

前回の電気痙攣療法、うつには効果があっても不安には効果がありません。そう言われた。
そして、病院勤務の臨床心理士からは、認知療法でも収まらないならもはや、行動療法ーそれも暴露しかない、と言われた。

暴露療法とは、不安の低い順から高いものへ階層表を作り、低い順から現実場面で不安を喚起する場面に身を置くこと。
何だか根性論のようにも思えるが、サポートとして、リラクゼーションのテクニックが教えられることもある。

んで、取り組んでいたけど、うつが再発してダメに。
結局、うつが落ち着いて大学院に入るまでが大変だった。

大学院は中退したが、否応なしに、しかも時には連続で、予期不安を感じている暇がないほど不安場面に曝された。(暴の暴は本当はこの曝すという漢字)
しかも、明らかに叩かれるアウトプットでも逃げることは許されなかった。

それはもう白髪が生えるくらいストレスフルだったが、結局、この「逃げられない」というのは重要で。勿論、うつと併発してたら、そっちの心配もあるが、それでも本当に大事。
やはり、自分だけだと甘えてしまうから。

不安障害も治しに大学院に行った訳ではないが、回避や逃避癖はかなり軽減したち思う。

今日の勝ち目のない院試も行けた訳だし。
中退だったけど、それが一番の収穫だろう。今後もどういう道を歩もうとも。

結局、抗不安薬飲もうが、社会不安の薬飲もうが、逃げられない環境に身を置いた自分を誉めてあげたい。
(※逃げられないことでうつが悪化するなら、やめておいた方がいいです)

気分障害・不安障害者の研究者への道ー本当に正しいのか

2021-02-12 19:06:58 | 思考
関西で大学院の中退手続きを終えて、実家に戻って新しい分野の研究をするための大学院受験の勉強をしているが、あと数日にして限界ぽい。受けに行けたらそれで御の字だろう。

勿論、研究したいテーマがあることは前提で、何故、この道を選ぼうとしているのか改めて考えて見よう。

・コンスタントに頑張らなくて良い
これは嘘だと前の大学院で実感した。確かに、研究自体は忙しい時期と忙しくない時期はある。
だが、正規採用になったら学内業務も加わるため、そして、非常勤の状態でも掛け持ちのため、ゆっくりしていられる時期などあまりない。更には、実験への不安とかで精神的に厳しい。
そういう意味では、哲学とか文献研究系は実験などの実拘束はないので、それでも少しは時期によっては楽な時期があるのかもしれない。(それでも、哲学は嫌になったのだが)

・能力と適正
確かに、言語系のIQは高めだし、ちゃんとした適正検査で、人文系の研究者が一番目に出た。
だが、不安障害はともかく、うつ状態が長く続くとパフォーマンスが落ちるので、結局、病状次第ということにはなる。
(ただ、実験系は文献系と違って、人との交流多いぶん、それが励みにもな
る。共同研究も多い)

・30を超えて職歴なしだとそもそも他の所への就職が厳しい
まあ、これは障害を隠してたら完全にそうだろう。ただ、アカデミックも年齢が関係ないかというとそうでもない。

・プライド
で、障害者採用だが、これはちゃんと働かせてくれてアイデンティティーを持てる所とそうでない所は分かれるだろう。そして、その識別はなかなか難しい。
少なくとも、入院中の医師からは、自分が単調作業に向いていない、ということは言われたし、やっぱり下に見られると思うので、これは重要だろう。
あと、自分の新しい研究テーマは社会への還元性も高いと思ってる。そういう自負の部分で障害者採用より自分に誇りが持てる。

・生涯の職業として
他人より一回り以上も遅れたせいで、障害者採用だと、老後が年収的に厳しいだろう。
そのぶん、アカデミックなら(大成出来れば)普通の人より長く働けるし、本などの出版など収入が他にも一応期待出来る。つまり、生涯を通してのライフワークに出来る。

まとめ
結局、うつ状態になったら色々厳しいとはいえ、熱意、あとは運でそれだけだろう。
自分が何に反抗したいのか、何を明らかにしたいのか。
それで故人にどう向き合えるのか。

今回落ちても、はいやめます、というのは絶対に違う。
秋から自殺念慮とかでボロボロになって、それでも鞭打って、ここまで来れたことはむしろ誉めるべきだろう。
そして少し休んだら、また再開しよう。

全ては否定的な感情で苦しむ人、そして、それ故に自殺という悲惨な道を歩んだ人のために。。


自分の命と釣り合うのは・・

2021-02-04 03:04:36 | 思考
まあ、色々哲学的な何かをかじって前回書いた独我論的な思考は生まれて。
確かに、私というのが特権的(死んだら世界を認識出来ないという意味合いで)である。

だが、それでも、いやそれとは無関係に、自分が何かに命を賭けるなら
特定の誰かの命
でしかあり得ないのではないか。

生物学的な意味合いだと、それは、自分の子であるべきだが、どうやら子孫を残せそうにはない。
それならどうだろう。

自分の何かを託せる誰か、というのを見つけなければならない。
もし大学教員になれれば教え子かもしれないし、臨床領域では幼いクライアントかもしれない。

決して博愛主義ではなく、空しさに抗いながら何かを創造出来る人。私を超えていってくれる一人、その人だろう。
分からない。教育の現場に限らないのかもしれないが、やはり、心理教育含めた教育が一番近いだろう。

そしてそれは、有償である必然性もない。むしろ、その人から何かを貰うのだから。
ボランティアの方がいいのかもな。有償であれば上限が見えてしまう。

少なくとも、この試験で命を賭けるなどバカらしい、ということだ。

まあ、やっぱり、自分の食べる分くらいは自分で稼がなきゃいけないのだが。
そこが一番のネック。

愛情の条件ー本質ー付かず離れず

2021-01-07 17:51:17 | 思考
先日、縁切り間際までいった母親との喧嘩は母親が一方的に謝ることで終息した。

でも、あれから考えることもあって、

そもそも(家族でなくても)条件つきでない愛情などあり得るのか。

それは親子関係に限らない。ステータスに基づくマッチングでの恋愛など条件つきの最たるものであり、自分が神聖視している友情だって、自分が引きこもったりすればどうなるか分からない。

要はこんな病状にありながらも、それなりの頑張りは誰からも期待されている。

無条件の愛情などない。

それは悲しいけど、おそらく自分にとってもそう。友人がホームレスになろうがニートになろうが、友人だ、と言ったところで、それも何らかの形で自分を利している。
自分を利している、というのは精神的に、だ。

何を今更という感じ。そういう意味では全ての人間は利己的だ。
だが、良い利己的と悪い利己的も存在する。

結局、その人を愛し続けられるのは、その人の本質が変わらない「限り」だ。
本質さえ変わってしまっても、愛し愛されるというのを望むのは違う。

翻って、自分やその人の本質って何だろうと考え始めた次第。

理想的には親子は親子である限り、その事が本質であるべきだ。
これはただの理想論で子どもが成人してからは変わってくるし変わるべきだ。
子どもが病気や障害であっても。

今回の件では、諦めが悪い、という自分の本質を認めて欲しかったのだと思う。
本質を否定されたから、激怒した。本質を否定されるなら、それは親だって許せなかったのだろう。

翻って、母親のことを思うと、やっぱり同情してしまうし、出来れば幸福な老後を送って欲しいと思う。配偶者(自分にとっての父)に恵まれず、また、配偶者は夭逝し、残されたのがこの二人の子どもなら、ね。
弱っていく母親を見ると、やっぱり、そういう感情は起こる。
それもまた自分の本質なら、そこを否定してもしょうがない。

でも、実家に帰るとちょっと(精神的に)ベタベタしすぎなんだよな。

今いる大学院は中退するが、実家に戻ってもそこまでウェットになったらお互いの自律を損ねる。
(自分が大阪行ってからやたら優しくなったし)
そこら辺が難しい。