弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

愛情の条件ー本質ー付かず離れず

2021-01-07 17:51:17 | 思考
先日、縁切り間際までいった母親との喧嘩は母親が一方的に謝ることで終息した。

でも、あれから考えることもあって、

そもそも(家族でなくても)条件つきでない愛情などあり得るのか。

それは親子関係に限らない。ステータスに基づくマッチングでの恋愛など条件つきの最たるものであり、自分が神聖視している友情だって、自分が引きこもったりすればどうなるか分からない。

要はこんな病状にありながらも、それなりの頑張りは誰からも期待されている。

無条件の愛情などない。

それは悲しいけど、おそらく自分にとってもそう。友人がホームレスになろうがニートになろうが、友人だ、と言ったところで、それも何らかの形で自分を利している。
自分を利している、というのは精神的に、だ。

何を今更という感じ。そういう意味では全ての人間は利己的だ。
だが、良い利己的と悪い利己的も存在する。

結局、その人を愛し続けられるのは、その人の本質が変わらない「限り」だ。
本質さえ変わってしまっても、愛し愛されるというのを望むのは違う。

翻って、自分やその人の本質って何だろうと考え始めた次第。

理想的には親子は親子である限り、その事が本質であるべきだ。
これはただの理想論で子どもが成人してからは変わってくるし変わるべきだ。
子どもが病気や障害であっても。

今回の件では、諦めが悪い、という自分の本質を認めて欲しかったのだと思う。
本質を否定されたから、激怒した。本質を否定されるなら、それは親だって許せなかったのだろう。

翻って、母親のことを思うと、やっぱり同情してしまうし、出来れば幸福な老後を送って欲しいと思う。配偶者(自分にとっての父)に恵まれず、また、配偶者は夭逝し、残されたのがこの二人の子どもなら、ね。
弱っていく母親を見ると、やっぱり、そういう感情は起こる。
それもまた自分の本質なら、そこを否定してもしょうがない。

でも、実家に帰るとちょっと(精神的に)ベタベタしすぎなんだよな。

今いる大学院は中退するが、実家に戻ってもそこまでウェットになったらお互いの自律を損ねる。
(自分が大阪行ってからやたら優しくなったし)
そこら辺が難しい。