弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

レキサルティ続投の是非ー肝機能と肥満と効果と・・

2020-02-25 18:00:01 | 闘病(精神疾患)
冬なので運動不足、一人暮らしで食事もいい加減で、また太ってきた。
そして、肝機能も悪いまんま。

そのせいか、身体が重くて疲労感が抜けない。抑うつ気味。
今メインで飲んでるのはセロクエル・レキサルティ・アナフラニール。いずれも用量が多い。
ただ、向精神病薬は元から太る薬が多いし、眠前のセロクエルははずせない。

ということで、いまいち、効果が分からず一年半飲み続けているレキサルティ(2mg)に白羽の矢が立って一度抜いてみてるのだが・・・心身ともに調子が悪いまんま。

ただ・・・毎年、2月は不活性なことが多い気もする。

何が効いてて、何が効いていないか。眠前のセロクエル以外ほとんど効いていないと自分では思うけど、効果を判断する場合、

他は全く同じ条件で、その薬の有無(または増減)のみで判断しなくてはいけない。(こういうのを単一事例実験という)

だけど、そんなことは原理上出来ない。
何故なら、他が同じ、というのは人間はあり得ないから。僅かにでも季節や社会的状況は時間の推移とともに微妙に変わってくる。それに伴い、心身の状況だって変化する。

まあ、これはある意味極論だが、原理上はそうなる。

ご託を並べたが、結局、レキサルティが効いてるのか効いてないのか判断出来ない。
去年の今頃もレキサルティを飲んでいても不活性だったし。

ただ、今、こういう休みの時期でしか、こういう「実験」は出来ない。
しかし、いつまで抜いた状態で自分の心身の状況を評価するか。

もし微弱にでも効いている場合、薬を抜いて鬱っぽさが増している期間のぶんだけ活動量がロスされる。

そして、薬が効いているなら効いているで肥満と肝機能の対策を考えねばならない。

今は無理に動く必要はないが、春からまた本格的に研究生活を始めなければならない。
難しい判断を迫られている。

(レキサルティの肥満の副作用はおそらくそれほどでもない。かのジプレキサとかに比べれば。やはり、肝機能だな・・・)


カウンセリング抜きでそろそろ1年間⇒学生相談室へ

2020-02-16 17:53:24 | 闘病(精神疾患)
天気の関係もあるが、また、鬱々としてきて色々捗らない。
また、どん底期か。と思ったが気づいたことがある。

28歳の頃から都心の病院で5年間カウンセリングを診察と並行にして受けてきた。デイケアにも行っていた期間がある。
まあ、最初と次の臨床心理士は全く役に立たなかったわけだが、30歳から(同じ病院で変えた)カウンセラーはまあまあで、それなりに役立ってきた。

情動に焦点を当てるというのではでなく、問題に焦点を当て、それを解決してこうとするアプローチだった。
認知療法があまり合わない自分にとっては良かったわけだが、それ以上に二週間に一回、気持ちを吐き出せたことは大きかった。
(問題焦点型コーピングと言ってもカウンセリング中に感情を吐き出さないわけではない)

鬼門の秋も乗り越え、不調だとしても、多分4月までやっていけるだろう。
だが、やはり辛い。

問題解決に当たっては、大学院の先輩、これまでの友人にもアドバイスをもらったり一緒に飲んだりで何とかなってきた。
だが、やはり、頻度が少ないのと、病的なものについては相談してもあまり意味ないということだ。

自助グループにも思い切って行ってみたが、何か違う感がすごかった。(精神疾患の人と直接かかわりを持たないというのは、友人を自殺でなくした自分の中での戒めだったのだ)
中途半端なのだ。休職・求職中でもなく、この歳で大学院生というのは。勿論、自分の中でも友人や親にも大学院はキャリア形成の一環として捉えている。大学院行かないことには研究者にはなれないのだから。

だけど、やはり、問題解決というアプローチだけでは、このモヤモヤ感は取れず不調が続くことがある。
前述した人には話せないこともある。
少し、感情面を疎かにしすぎてたな。ゲームやアニメ、映画、音楽、お酒とかでは解消できないこともある。

ということで、話を聞いてもらうだけでいいから、学生相談室に行くことにした。専門家だし、守秘義務はあるし、問題ないだろう。
定期的に通うことが出来たらいいが、学部と違う大学なので、勝手も違うかもしれない。
年齢とか気にしている場合ではないし、役立つようなら活用しよう・・・

振り返る間もなく。

2020-02-15 22:12:22 | 学習(全般
M1の後期は終わった。はずなのに、一つ課題をクリアすると次の課題がすぐ出てきて振り返る精神的余裕がない。
小刻みには休んでいるので休む間もない訳ではないのだが、いかんせん、連続的に休めない。
本当は3~4日くらい全く研究関連のことをしないということをしたいのだが、一日それをしただけですぐに焦りが出てくる。

休みより大切なのは、本来的に何をどこを目指してて、今何について研究すればいいのか、今の位置を常に確認することだ。
確認して、進んでる実感があれば、それが一日の終わりに充実感という形で清涼剤となる。
そのためには今は切り捨てるものも必要なはずが、それが出来ずに、あれもこれもでうやむやに一日が終わることも多い。

まあ、右往左往や色々な「勉強」、それも含めて博士前期なのだろうが、少し余裕がなさすぎる気がする。
バイトしながらやっている人って本当、切り替えがうまいと思う。自分は体力気力がない以上に切り替えが本当に下手だからな・・・。

病状的には2月中旬から3月にかけて、不安定になる。天気や温度が安定しないこともあるが、何かそわそわして手がつかなくなってしまう。
もう一生そういうものなのだ、と割り切っていても、この時期は色々4月からの生活に向けてやらなきゃいけないことも多いので、辛いと言えば辛い。
活動量も増減するので、余計な決断や行動はしない。これに尽きるのだが、今年は守れるかどうか。

ともかく、常に立ち位置を確認すること。
それは単純に年齢や立場、研究の進展具合だけでなく、思考的に何を考えていて何を行動に移したのか、ということも含む。
近頃、ブログの更新も滞っている。

新年度が始まる前に、前に何を考えて「此処」を選んだのか、何処まで行っているのかだけは再確認して見失わないようにしたい。

異常の中の正常から、自分の中での正常へ

2020-02-04 00:12:26 | 思考
発表が近づくなか、どうにも頑張れない自分に嫌気が差して、薬とかエナジードリンクとかで誤魔化して、必死でやろうとしていた。

が、どうにも頑張れない。

危機感はあるし、焦りも不安もある。

だが、これは異常なのか。
いや、もはや、正常だろう。

去年は何とか息切れしそうにながらも、直前でエネルギー切れを起こすことだけは防げてた。
だが、それは去年の話。

病を患ってから、直前まで一定期間ずっと頑張り続けられたことがあっただろうか。
それは、ほとんどない。
せいぜい部活の演奏会前くらいだ。

大学院入試も公務員試験も、長期間頑張れたことなどほとんどない。
スタートダッシュして、途中へばって、直前の直前になっても出来ないか、直前に頑張れたか、くらいだ。

そして、これはそもそも、病後に限ったことだろうかと言えば、全然そうではない。
むしろ、病前の方が怠惰でそれでも楽天的で、直前でもやらないことの方が多かった。

なるほど。研究者目指すのなら、ずっと努力しなくてはいけない。それはそうだし、努力しようと試みることすら放棄するのは間違いだろう。

だが・・・病前性格と病後の自分、どっちを取ってみてもバランスが悪い。
でも、気分の波はそもそもあるし、常に努力するように自分を追い詰めれば余計に出来なくなる。かといって、今後の人生はともかく研究者を目指すことにした。

でも、他人はもっと努力しているだとか、自分でもこれじゃ足りないとかでペースを頑張れる時の自分に合わせると実にしんどい。むしろ、かえって、研究者の道にとってはマイナスなのではないか。

頑張れる時は頑張る。頑張れない時は頑張らない。
あとは、大学院生活とその後でも、ペース配分の問題だ。

疲れたら休んで直前のエネルギーを取っておくこと。
勿論、いつ調子が狂うかなんて分からないのが、自分の病状ではある。

それでも、やっていける、という確信を養う必要がある。
そのためにも、常に自己モニタリングすること。
無駄に自己否定ばかりしないこと。他人と比べないこと。

それで研究者の道は無理だというなら、元から無理だった。それだけ。
かといって、そこで年月を無駄にしたとは思えない。

病前と病後を比較してどうの、ということもあまり意味がない。

今、そういう現状にあること。それでも、手持ちの手札でやっていくこと。
出来れば、手持ちの手札を増やすこと。
それはもはや、正常か異常かなんてどうでも良くなること。

ニーチェの箴言にこんなことが書いてある。うろ覚えだけど。

私は病気だったのか?いやはや、そもそもどこが悪かったのかを忘れてしまったよ

治らない中で治ること。それは忘れること。
過去に頑張れたから、とか、ダメだったかなんか参考にならない。

研究生活の中でひたすら積み上げていこう。
そうしたら、それが自分の中での正常になっていく。

昨日今日と休んだので、明日から発表までは頑張れる気がする。
この「気がする感」が実は大事で、それをペースメーカーにしよう。