弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

遊離-意識の形態-弛緩

2016-12-01 18:55:21 | 思考
文章にも映像にも、はては現実の身体動作、他人とのコミュニケーションにも没入できず、どこか意識が遊離している。
非現実感という程ではないが、どこか意識の焦点が定まらず、鮮明さに欠けている。弛緩している。

感情もどことなく薄れている。良いのも悪いのも。

・・・抗精神病薬のせいかと思う反面、やはり、mECTのせいなのかなとも思う。
去年だってジプレキサを20mg飲んでいたし、エビリファイをほぼマックスで飲んでいた時もあるが、今みたいな感覚ではない。
入院、というのも考えられるが、退院して半年たっているし、何より入院期間中も実家に2週間に一回は帰っていた。

性質が悪いのが、この感覚を他人に訴えたところで理解されないこと。そして、仮に理解されたとして、どう治すのか―治すべきなのかすら分からない。
元々が神経過敏だったため、鈍重になることで楽になる場合もあるからだ。
また、原因がmECTだったとして、治療には結びつかない。また、脳に電気刺激を与えても元に戻るとは限らないし、投薬その他で元に戻すのは無理だろう。

だが、この違和感、離人的感覚は集中力の欠如以外にも様々な弊害をもたらす。
他者や世界が「遠い」ということが、他我問題に発展した。
私の苦しみは私のもの、あなたの苦しみはあなたのもの。このスタンスが共感性を阻害して、広い意味での対人援助に意義を見出せなくなった。
(これには親友の自殺も絡んでいる)

そして、今、自分自身のために自分自身で(かつ社会適合的に)生きる。
それにも限界を感じる。
深い喜びが伴わない以上、ただの抽象的な理屈で自分を動かすことが出来ない。(病状としての倦怠感もある)
現状の生活からの悪化は確かに嫌だが、生活レベルの向上にも意欲が出ない。

有効な手立てを打てないまま、過去からも未来からも断絶した一日が次々と潰えていく。

現状に即効性のある処方箋など無い。活動していく中で見えてくるかもしれないこともあって、それでも、その確信はない。
だが、活動のベクトルくらいは決めてよさそうだ。
他者や世界の復権を意図するなら、大学院をはじめ、選べる手段は限られている。
もはやそれが叶わないなら、内的世界を言葉にしていく作業か、もはや作品の中で世界を創造するしかない。(商売にはならないだろう)
それとも、他者や内的なものにも意図的に目を向けず割り切って生きていくなら、資格関連しかないのだろう。(それが出来るのなら)

復権に向けての(社会的)進化か。
現状の尊重ゆえの深化か。
麻痺ゆえの現実志向か。

一体、何を望む・・・?



葛藤からの逃避

2016-12-01 01:09:18 | 思考
来年度に大学院に入学しないといつまでも社会的な身分がなく、不安定のまま。
(いきなり働くなんてもってのほか。)
だが、
今の症状で大学院の生活をこなせない。
が、
休養して回復する段階でもない
し、
実家住まいのプレッシャーで回復期間ももう設けられない。
そして、
独り暮らしするお金もない。世帯収入的に障害年金も無理。

となると、どうしても自殺がよぎる。

こんなに、明日、目が覚めなければいいのに、と思った夜は退院以来初めてだ。
明けない夜はないけれど、夜が来ない日もない。