利用者が1億人を突破したLINEだが、いじめや詐欺に使われているらしい。拙者はガラ携なので、LINEが、そもそもどう言った機能を持つのかについては不案内だ。新しいコミュニケーションの一つだと思うが、使い方を間違えると、人を傷つけたり、貶める道具に変身する。面と向かって言葉を交わさいツールになっている。古い昭和の人間としては、良い事例が思い浮かばないが、車は移動するには重宝するが、無理をすれば「走る凶器」になる。利用のほどは、本人にゆだねられるが、心無い使用方法には、嫌悪するばかりだ。
組織の強みと弱みは何かをテーマに小一時間論議した。組織そのもが持つ性格からの強みが出され、運営上の弱みが出された。どれも頷ける。集まったメンバーは、2025年には誰もいない。若い人たちの意見を生かすことが重要ではないか。
1点リードの7回ツーアウト2・3塁。バッター坂本の場面で、昨日に続き浅尾が登板した。タイミングを外し三振。8回はドミニカ出身のマドリガルが、3者凡退の好投。9回には、お約束の岩瀬が締めた。やっと中日らしい展開で勝利した。これからが楽しみだが、無理な登板は避けてほしいものだ。
写真は、ハナズオウ
写真は、ハナズオウ
久しぶりの圧勝。苦労人の大野雄大が5勝目をあげた。なんと、9回の表にはあの浅尾が帰ってきた。万全とはいえないまでも、安心が漂うのはさすがだ。
話は変わるが、故人を偲ぶとき、「天国」でと言うが、仏教の世界では、「極楽浄土」ではないだろうか。でもね、話の流れからは、「天国」のほうが似合ってしまうのはなぜだろうか。
話は変わるが、故人を偲ぶとき、「天国」でと言うが、仏教の世界では、「極楽浄土」ではないだろうか。でもね、話の流れからは、「天国」のほうが似合ってしまうのはなぜだろうか。
「本殿の建築様式は、三間社流造で桁行二、九mこれに一、六m余の向拝が設けられている。祭神は建御名方命である。正面、背面、側面を中国の物語や花、兎、鳥、亀、波などのなどの彫刻で飾り建物の重厚さに装飾美を加えている。棟札には文化八年(1811)六月二十六日の竣工が認められ、大工棟梁は村岡直四郎とある」。
所有者 渋田見諏訪神社
所在地 池田町会染渋田見
池田センターの監査の昼休みに訪れる。2013.07.09
所有者 渋田見諏訪神社
所在地 池田町会染渋田見
池田センターの監査の昼休みに訪れる。2013.07.09
何回目の内視鏡だろうか。ほとんど苦痛を感じなかった、生検もなく、無事終了した。胃潰瘍の跡があるが、問題はないとのこと。終了後、ピロリ菌の有無を調べることとを勧められた。最近、ピロリ菌の治療は、保険の適用ができるようになったらしい。嘗ては、胃潰瘍などの場合にしか適用がなかった。拙者の年代は7割の確率で感染?しているようだ。治療をすれば、胃がんなどの確率が低くなるらしい。あくまでも可能性の問題だ。ところで、可能性と蓋然性の違いは?蓋然性は、監査関連の書物によく出てくる。簡単に言えば、確からしさのことだ。可能性が低いとか高いというが、可能性はあるのかないのかと言う場合に使うらしい。蓋然性はもともと哲学用語であり、その意味では科学的な裏付けが薄かった。この概念を科学的にしたのが「確率」らしい。
30日の日経によれば、長年の難問に解決の糸口が見つかったとの記事があった。素数とは、2・3・5などその数字自身と1以外の約数を持たない整数のことだ。双子素数は11と13.41と43のようにその差が2で並ぶペアのことを言うらしい。今回その差(2だが)が7千万以内の素数のペアは無限に存在するというものだ。いつかはその差が2になるまで精査していくという。問題が解決していくことは素晴らしいが、凡人には、はるかに遠い。