特待生制度が揺れている.高校野球の特待生が窮地に立っている.野球憲章に触れるらしい.いくつかの疑問がある.なぜ、野球だけがだめなのか.成績が優秀な学生は特待制度が認められ、野球は不可.どうも理屈が良く分からない.発端は、プロ野球からのアマチュアへの金銭供与があったという事実から発している.それが、特待制度に転換している.その責は大人にあるのに学生がターゲットになっている.本質のすり替えと言えないだろうか.納得がいかない処置である.学力であれ、スポーツの能力であれ評価して、優遇することは決して不思議なことではない.かつて新庄がこんなことを言っていた.「グローブの下のはめる皮手袋を父親に買ってもらった.帰省したとき、父親は工事現場で使う軍手を買わずに、彼の皮手袋を買ってくれたことを知った」と.新庄が特待生かどうかは知らないが、拙者は新庄が特待生であっても、何の違和感もないし、むしろ、そうであって欲しいと願うのである.高野連が優等生ぶるのではなく、自らを深く見つめなおして欲しいと思うのである.