千曲川の流れのように

年金生活者の徒然

漱石論の続き

2014-10-24 | Weblog

漱石論の続きです。「坊ちゃん」の舞台は松山とされているが、固有名詞は出てこないらしい。氏は東京帝国大学ではないかと言う。大胆な仮説だが、氏は熊本生まれなので、多分松山に特定したくなかったのかもしれない。今も、昔も若者は「なんとなく」がキーワードらしい。何となく生きている。ぼんやりしていて、生きている実感がないのだ言う。ところで漱石の写真はほぼ右側からのショットである。左側には痘痕があった。人は鏡を見ることで自我を認識している。漱石もそうだった。人生は、愛情とフレンドシップと金だ。漱石は、兄弟や親戚との金の関わりを描いている。どんなに’すれっからし’になってもピュアなものがあるのが漱石だ。講演会では、いくつかのヒントをもらった。じっくり読み込んで自分の漱石を見つけるのが楽しみだ。
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