国鉄蒲田電車区で電車を止めるピケ隊 出典『60年安保闘争の時代』 毎日新聞社
戦後有数の政治ストの幕が揚がろうとしていた。
総評*の時限ゼネスト指令を受けて前日の3日から首都は騒然となった。
国労、動労に加えて私鉄、バス、電車等の公共交通機関が始発から早朝ストに入るわけだから、通勤通学のアシが麻痺し不測の事態も起こりかねない。
全学連は3日午後から首相官邸突入を数度敢行したが果たさず、夜になって翌日のスト支援のために主要駅に向かった。
労働者学生の地方代表も続々拠点駅に集結した。
たしか、というのは、6.4を上回る6.22ゼネスト時の行動と混同して記憶している可能性を排除できないからであるが、わたしたち京大同学会に結集する学生もまた同志社大食堂に泊り込んでスト支援を準備した。
仮眠をとるいと間もなく、京都駅梅小路機関区に押しかけた。
線路に座り込んで列車運行を妨害する方針だったらしいが警官隊と対峙しただけで引き揚げた。
東京では線路占拠が実行された所もあったようだ。
下っ端の想像だがブントにはこの日騒乱を起こす明確な方針も覚悟もなかったらしい。
扇動者がいた記憶はない。
何のための動員だったのか、いまだに釈然としない。
概して全学連、府学連の活動はそれまでと違って目立つほどに突出しなかった。
それほどに学生以外の職業人が職場から、地方から参加し、動員数と活動で学連を圧倒したのだった。
6月4日の総評、中立労連の時限スト、職場集会には全国で500万人超が参加した。
大学でも当然のことのように教職員、学生が授業を放棄した。
日教組、自治労、公労協・・・全逓、全電通、全専売、全印刷、アルコ-ル専売、全造幣、全林野が時間内職場大会。
6.22ゼネストはさらに盛り上がり空前絶後のストとなった。
だから次に述べる全国税のピケは6.4ではなく6.22のことかも知れない。
全国税京都支部が時間内職場大会を成功させた。
わたしは10人前後の学生ピケ隊を率いて下京税務署に支援に行った。
だれも、市民も職員も、出入りしないのだからスクラムを組む必要もなかったが、肩
を組んで気勢を揚げた。
税務署員までもが政治ストに加担した意義は大きい。
その時の指導者が井ノ山氏でわたしが師友と仰ぎ、家族同士の付き合いをすることになる井ノ山さんである。
この出会いがわたしの人生行路の羅針盤となった。
かれ、真正の労働者、と出会わなかったらわたしは別の人生を歩んだかもしれない。
ゆくゆく、かれの人となりと生き方に触れるつもりだ。
*総評:日本労働組合総評議会
Photo 新装版『60年安保闘争の時代』 毎日新聞社