「産業の真の目的は、この世をよくできた、しかも安価な生産物で満たして、人間の精神と肉体を、生存のための苦役から解放することにある」
1926年、労働価値説に立ち、かつ労働者を重労働から解放したいという動機で歴史に残る大事業を始めた彼は、こう宣言した。彼とはだれか? 産業を共産主義に置き換えると、彼に該当する人物は、5ヵ年計画のスターリンや改革開放の鄧小平に置換可能である。
著者の名はヘンリー・フォードである。労働合理化の「科学的管理法」を駆使して商品の大量生産と大量消費社会に道を拓いた第二次産業革命の巨星である。
生産性を飛躍させて「高賃金低コスト」を達成して従業員がフォード車を買える産業社会を実現した。彼は、先駆者として、労働者の熟練を機械に体現させてロボットを、分業を統合してラインを、現場による改良改善からシステム工学を開発、発展させた。離職者を少なくするためフォードは政府に先駆けて週5日制、8時間労働を採用した。が、LINE労働者は、ある朝目が覚めると自分がロボット人間に変身していることに愕然とした。
1913年 The first Ford Assembly Line 出典:Wikipedia
わたしが、研究中多くの労働者の声をアンケートを通して聴いて、今なお記憶しているのは、耳をふさぎたくなるようなフォード社労働者のうめき声である・・・。
「アセンブリー・ラインは労働をする場所ではない。・・・。1万個のボルトの一つ一つをつまみあげ、さきの1万個とまったく同じ個所にはめねばならないということがわかっている」--「[工場に]着いたとき、私は、しようとしていることがいつもわかっている。まえの仕事にあったような、楽しんで待つことは何もない」
フォードは労働者を牛馬同様の重労働から解放したが労働を内容のない単純繰り返し作業に変えた。精神も肉体も一部しか活用されなくなった。精神と肉体の全面的解放という理想に背馳することおびただしい。 マルクスの「それ[機械の自動体系]は筋肉の多面的運動を抑圧し、また一切の自由な肉体的および精神的活動を不可能ならしめる」という推論は妥当だった。
人間は共同体、社会をつくる動物である。社会を形作る絆kizunaは、時代が進むにつれて、血縁から地縁と太くなり、いつしか貨幣という商品引換券に変貌した。貨幣、商品とは何か、これは哲学者、思想家が格闘し続けてきた超難問である。マルクスの労働価値説が一番有名である。
商品が貨幣の媒介で交換可能なのは使用価値のほかに目には見えないが交換価値があるからだ。マルクスはそれを抽象的人間労働と名付けた。それは社会的に有用な労働時間のことだと割り切れないところに商品価値論の不可思議が残る。抽象的人間労働はいわば幾何の証明問題を解くために引く補助線みたいなものだ。ところが、フォーディズムは、それ(抽象)を実体として可視化してそれが現存していることを世に知らしめた。現場を見たことがないひともチャップリンの喜劇映画『モダンタイムズ』でそれを想像できる。
内容のない、自由のない労働に、期待も喜びもあるはずがない。思考を要しない労働に協業があるわけがない。協業こそ一つ前の重労働中心の産業社会にあって労働者の唯一の喜楽であり団結の源泉ではなかったか? わたしは貨幣の代わりに協業が繋ぎtsunagiとなった新社会をつくるのを夢見て労働の探求に努めたが、現実はますます理想(労働が心身全体をつかった自由で創造的な活動に向かう社会)から遠ざかっていくのを知って、労働を軸とする社会とそれを目標とする運動に幻滅した。それは会社という疑似共同体から距離を置くことにつながっていく。
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