自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

東日本大震災/原発大事故/SAVE FUKUSHIMA

2011-05-20 | 環境>教育

生き抜く力には自助、共助、公助がある。
このブログの主たる目的は、後の世代の個人が、外国に放り出されたとき、あるいは生命の危機に直面したときにオタオタせずに難局を切り抜けていくことを願って、世の若きパパ、ママに子育てのヒントを提供することである。
だからもっぱら自助力の体験と知識を記録してきた。
もともとわたしは共助力の体験と知識に弱い。
そのような環境で育たなかったからである。
生まれたとき見渡すかぎりまわりに人家はなかった。
点々と日本人コミューニティがあったがわが家は3回移住している。
さらに戦後勝ち組負け組の対立でコミューニティが分裂した。
もうひとつの原因は、ジャングルの焼け跡から始まった人生では、在り合わせの物を利用し創意工夫して、つくる、たべる、あそぶほかなく、文明の利器とは縁が薄く、流行の利器の導入に消極的習慣が身に付いてしまったことである。
それだけに何も無い焼け跡や新天地でサヴァイヴァルする力は優れているが、東日本大震災の被災者支援に最先端のツールを利用して救援する点ではほとんど無力である。
ステイタスシンボルは何も持ってない。流行に遅れて買うから象徴の価値は失われている。
運転免許は取っていない。
TVはアポロの月面着陸時に買った。
PCとWindows95は仕事の必要上97年製を買った。
携帯も遅れて持ったが写メールは使わない。
何が言いたいかといえば、最先端のツールかコミュニケーションの手段を選べばさらに有効な共助ができるのに、ということだ。
今回支援の的をFUKUSHIMAに絞ってWEBサイトで南相馬市の受け入れ先を
検索し、嚥下力の落ちた高齢者にお茶が不足していることを知って、やはりサイトで卸業者、製造業者を検索して緊急の特別対応をしてもらって一定量を贈ることができた。
ただ高齢者は余命から考えて被爆を避ける避難所よりか在宅を選ぶことがある。
ピンポイントで支援のない在宅者をサイトでは探しにくい。
こういう時ツイッターまたはフェイスブックができれば、ピンポイントで支援できる
ことを、昨日TVで知った。
在フィンランドの日本人ママたちが母乳替わり液体ミルク(日本では申請して2年
経つのに販売規制が解かれていない!)を各地に点在するニーズ宛に贈った。
最新ツールを使えないわたしは、屋外でサッカーができない福島県内外のサッカ
ー少年を支援する用意をして支援先を今日もWEBサイトで空しく探している。
追記。DoFukushimaプロジェクトを通じて散り散りになった相双地区少年サッカーを支援できることになった。








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