父の母校大城小学校に行った。
父が小さなワニの剥製を贈った。
小さくとも父にとっては「故郷に錦を飾る」しるしだったにちがいない。
校長はわたしを眺めて事も無げに5年に編入しましょうと言った。
今なら口頭試問と煩雑な手続きに泣かされることだろう。
当時は生気のない規則ではなく血の通った人間が事案を処理していた。
5年の3学期編入ということは2年遅れを意味する。
年下の従弟より下の学年になる。
ブラジルでは年齢や未就学にコンプレックスを感じたことはなかったが、まもなく年齢を意識し2年遅れにコンプレックスを抱くようになる。
それはさておき、初めての通学に不安はなかった。
怖いもの知らずに育ったためか「住めば都」と感じてしまう極楽トンボな性格のためか不安もわくわくする興奮もなかった。