自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

マレー半島/シンガポール寄港/湯麺と華僑大虐殺

2012-03-02 | 体験>知識

シンガポールに到って日本人は上陸厳禁となった。
日本人と知られると不測の事態が避けられないと船長が認識していたということ
だろう。
1942年2月シンガポールを陥落させた帝国陸軍は多民族の中から華僑だけを
選んで大粛清を行った。
その数6千(東京裁判)から5万以上までまちまち幅があるが南京大虐殺と違って
事件を否定する論調は見られない。
わたしはWEB上で調べたが原資料は当の軍人たちの証言である。
明石陽至氏の研究に負う所が多かった。
立案者の辻政信参謀は華人の半分を処分せよと誇張して督励したそうだ。
半分とは成年男子全員ということである。
将来にわたって反抗しそうなものは全員殺せ、というのが粛清のコンセプトだった。
銃を取りうる男の市民(18歳から50歳)のほかに、サーヴィス、資金を提供しうる
公務員、銀行員、資産家およびインテリが粛清対象に入れられている点が際立っ
ている。
大人たちに緊張が走る中、わたしは一人旅客部長(香港人?)に連れられて市内
に入った。
もうもうたる湯気の中から引き上げられる湯麺が印象的だった。
味は淡白でトッピングはなかったように思う。
街灯の少ない夜道、かれのアイロンの効いた真白い制服のシルエットを踏んで
無言で歩いた。
彼の心は穏やかでなかったと思うが少年の私にはそれを斟酌することなど思いも
よらなかった。