自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

病気とケガ/病院が遠い

2010-07-11 | 体験>知識

名ばかりのロンドリーナ市に医者は一人しかいなかった。
病気や怪我には家族で対応するのが一般的だった。
わたしが森に入ろうとして笹竹のカミソリのような切り株で足のスネを長さ5cm幅1cm削ぎ取られたとき父は買い置きの破傷風注射を射って予防してくれた。
わたしも親に注射を射ったことがある。
記憶にないがわたしが何かを食べて引きつけを起こしたとき父は息子が死んだとあわてたが母がとっさに五右衛門風呂であたためて事なきを得たそうだ。
素人療法だが大量の下痢が出て助かった。
母が子宮外妊娠したときは大変だった。500km超離れたサンパウロ市まで移送していなければ助からなかった。
救急車などないので家族で移送するほかなかった。
5歳のわたしにとっては印象に残る汽車の長旅だった。
座席の間に板をわたしてベッドを作り母を寝かした。
臨機応変が生き延びる術だった。
サンパウロは近代都市だった。
道路が広場ほどに広く10車線ぐらい有り一気に渡り切ることは難しく何回も車や電車をやり過ごさねばならなかった。
電車は入口出口と周壁がなく乗客は周りにめぐらした踏み台にも乗っていた。
巨大な市場はメルカードといい、喧騒をきわめていた。
なかでも熱帯の多種多様の小鳥の色彩とさえずりに目と耳を奪われた。
大病院の看護婦の白衣が珍しくまた牛骨スープが美味しかったことが忘れられない。
馬車の走る田舎と車の洪水の大都会の対照、落差は今とは比べようもなく大きかったが、生来鈍感なのか、所与のものとして普通に受け入れていたように思う。