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限界のないリスクが現実化した原発事故が進行中、でも、長寿国日本

2011-05-19 06:22:16 | 暮らし・街・環境
5月13日(金)朝日新聞に、原発事故の正体を、「限界のないリスク・近代社会が生んだ不確実性の象徴」と社会学者ウルリッヒ・ベックのオピニオンがあった。不確実性は原子力だけでなく、気候変動・グローバル化した金融市場・テロリズムなども上げられている。そして、「産業界や専門家に判断独占させず市民の関与進めよ」とのこと。
想定できないことがおきることを不確実性としか呼べないのは、科学の本性だ。
別のいい方をすれば、複雑性。
管理できないことからいえば、自己組織化。

原子力は、究極の武器、攻撃手段として、人の欲望と不安を集結して開発された。
金融市場は、実体経済を越えて、人の欲望と不安を反映する’金融工学’により肥大化をすすめている。
ベック氏のいうように、保険制度=受益者による分散負担モデルでは、金融危機も原発事故も解決はできない。結局、国家がでてき、国際協調が必要になる。しかし、国それぞれが、共通の受益者・責任者ではない。太陽・海・陸地など、様々な資源は地勢的に偏在していて、国という単位も又、国民戦争を2度起こしているし、死者の数で言えば、今でもアフリカでは数十万人単位の死者が出ている話は聞こえてくる。

原子力・情報工学、そして遺伝子工学・・・それらは人の欲望を実現する手段として開発され、大きな社会変化を予測不能にもたらすものだ。その欲望は市民のものだ。市民の判断とは、人間である本能、つまり肥大化させてきた二次情報の器である脳が身体を通じて発揮されてきたものだ。
そして、その脳の刺激がネットワークに繋がって、欲望の融合もまた、核融合の早さ。

この自己発展可能で移動可能な生命の本能の本質は、自己発展を実現した、予測不能性なのだ。
差異や新規が大好きで、心情で動く、好奇心の塊が、人間なのだ。

だから、この変化を、災害を、変動のチャンスを、常に期待してきたのか?
いや、その不安定さが増すほどの、ストレスもまた肥大化してきた。
私たち自身が、自己の欲望を制御できないとすれば、「市民」の欲望も制御できない。

求められる社会的な制御棒は、日本では自然、西欧では神だった。
最早、だれも、自然や神を代理したり仲介したりすることが出来ないことを、実感してする。

その原因を探ることは、前向きだが。責任を問い続けることは、蓋をかぶせてゆくことにならないのか?そんなことで消耗をするぐらいなら、身のまわりでできることを、手の届く相手とともに、こなしてゆくことで過ごしたい。
政治家やメディア人の救援・支援を訴える仕草もまた、それぞれの欲望が垣間見えて、見苦しいのだ。
そして、被災も老いも遠ざけたい、この死への恐怖を、汗をながし、歌い・踊ることで紛らわしたい。
振り返れば、長寿国であることって、なんなのだろう。

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