モノと心の独り言

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概念の身体化 3レヴェル

2004-10-31 08:56:57 | 基本的なコト
身体のこと、考えること、感じること
などを横断的に扱おうとしてきた私には、
「肉中の哲学」:
ジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソン 著
計見一雄訳 哲学書房での、
概念の身体化を、3レベルに捉え、
それぞれの関係を解きほぐしてゆく方法に
とても馴染んでゆける。

・ニューラル・レベル
・現象学的な意識体験
・認知的無意識レベル

類としての人間が共有する身体構造が、
その身体の動きと情報の動きを性格づけている。
周りの環境と運動し対応しながら
ニューラルな情報流通を支える身体の反応の流れを、
認知的無意識レベルに整理/重層させながら、
現象学的な意識体験を生きている人間。

意識に遡上する外部的な記号や概念で説明される普遍の外部はなく、
そのときの感性技術の限度の中で、ニューラルな身体を賦活させる情報の流れが、
その3レベルで確認できるに止まる。
この生命のエネルギーは、他の存在・対象とともに、
この3層を伴に貫ける行動をすることにより高まる。
その行動をさらに共有化するために、コトバを生み、
言葉によりそのエネルギーを高め、他の生物に対して優位に展開した。
簡単に言えば、単に生存するだけでなく共感すること、
その手がかりとしてのコトバが、
この生命の優位性を支えてきた。

このコトバは、もう声だけではなく、
書き留める文字・図象だけではなく、
音・画像・映像すらも、個体化してしまい、
さらなるセンサーとメモリーをも取り込んで、
あらたなドキドキ・ユッタリへと
使いこなしてゆく。

具体的には、
コマーシャルが切り開いている感性世界を、
個人中心に再構築してゆくことでしょうか?

? 飛びすぎて、ぜんせん具体的でない?

そう、私においては、ながいプロセスがある。
近代小住宅史で、わけが分からなくなり、
近代建築史・近代美術史比較が、ダダ・シュールレアリズム研究へとはまり込み、
様々な仕事に就いて身体で感じてきたことの集大成ですから、
いろいろな仕事の現場の実感を積み重ねてきた結果なのです。

 レンタカー事務所洗車員
 住宅地図測量補助
 撞球場店員
 建築設計事務所アルバイト
 トラック運転手(関東圏の食料品輸送)
 海外プロモーター社長運転手兼国際部(アダモ、S.バルタン、M.デートリッヒ・・・)
 海外プロモーター ラ・テ局担当(FM東京、FMNHK、朝日新聞)
 海外旅行代理店業(業務出張手配、観光・視察企画・添乗・コーデイネート・・・)
 国内商社(建築設備・電子部品・医薬部外品・・・)
 特殊木材製造業国際部
 国内商社・通信事業代理店業
 通信・情報を活用するプロジェクト・コーディネーター
 地域総合ケアのコミュニケーション・アドバイザー
 コミュニケーション系のプランニングとプロデューサー

思えばいろいろやってきたもんだ。1年、3年、7年とそれぞれ楽しく、
現場に嵌ってきた。
20歳ごろから、概念を放棄して、身体を放り込んできた結果、
概念による一元化ではなく、
この概念の身体化へたどり着いた。

この3レベルは、無理に一緒にしようとしないで、
その関係作りに専念すればいいのだと、やっとわかった。
この関係作りは、まさに情報還流のマーケッティング・ルート

若さも老いも、情報還流の筋道づくりこそ必要な時代。
その装置やクリエーターは、どんどん出てくるのだから、
これまでの物流通社会の再構築、
情報還流の仕組みづくりが、私には残っている舞台かと
思うのです。

ここは、いつもの「モノと心の独り言」
わけの分からないブログもまた、
拾い出したコトバ・画像など、
ちょっと外に出してみる庭ぐらいなとこでしょう。

そー、パソコン通信時代は、Niftyのパセオにお世話になりました。

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1 コメント

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生命のエネルギーという仮説? (バカボンの叔父)
2006-09-02 08:11:22
<そのときの感性技術の限度の中で、ニューラルな身<体を賦活させる情報の流れが、

<その3レベルで確認できるに止まる。

<この生命のエネルギーは、他の存在・対象とともに、

<この3層を伴に貫ける行動をすることにより高まる。



’情報の流れ’を’生命のエネルギー’と言い換えているのは、飛躍

近代での”生命エネルギー”説は、熱力学からきているようだ。

ヒューリスティックに喩えるには、

力:ニュートン力学

エネルギー:熱力学

E=MC2 :相対性理論



3つのレベル=層 と捉えないで、

3つの位相 と捉えれば、

”3つの位相空間がカップリング(ルーマン)されている。”と表現できる。

カップリングは’二重作動’(河本英夫)と言い換えられている。この方が微視的だが、’複合連動’など、必ず連動するニュアンスがある。

カップリングは、もっと任意ではないか?

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