26.11.21 紙 爆 弾 NO.610
第2次世界大戦の時、日本軍はアメリカ本土に1発の銃弾も浴びせる事はできませんでした。 ただ、優れた和紙製造の技術があったので、それを利用して
特別に考案された「糊」を固めて和紙で「気球」を作り、それに爆弾を載せて上昇気流を利用して数千発の紙風船爆弾をアメリカ本土に送り込みました。
本土に到着したのはそのうちの1~2発だけで、わずかに山林の火災を起こしたのみでした。 (しかし、細菌兵器ではないかという恐怖がパニックを引き起
こしました)。 実力が格段に違う相手と戦争するのは所詮このような「蟷螂の斧」でしかありません。
さて、日本共産党が衆議院で49名・主要地方自治体首長(東京の美濃部・大阪の黒田・京都の蜷川)と同党の支援首長が名を連ねたころの同党の勢力は
凄まじいものでした。その頃の「武器」は「紙爆弾」と言われるほどの大量のチラシでした。党員・党友・シンパが名乗り出てボランテイアでビラまきをしたので
した。 最近はそれらの人が高齢化したことと、若者のノンポリ化も影響してビラの数も減少し、たまに撒かれるビラも教条的で陳腐で魅力に欠け、紙離れの
時代的な背景もあって、低空飛行を続けています。
共産党のみならず、弱小政党はもっと選挙民の注目を浴びるメデイアの利用について考えないと後がない。