入館するとたくさんの展示がありました。20年以上前のことでよく覚えていません。掲示だけになりまずが、お許しください。
(館内展示品)
(写真撮影:2002.06)
入館するとたくさんの展示がありました。20年以上前のことでよく覚えていません。掲示だけになりまずが、お許しください。
(館内展示品)
(写真撮影:2002.06)
天売島・焼尻島の島影が見られました。
(天売島・焼尻島の島影)
2つの島が遠ざかっていきました。
(2つの島が)
船上にありました。何でしょうか。
(船上に)
操縦席です。
(操縦席)
羽幌の港に接岸しました。
(羽幌の港に接岸)
行く時には、通過した「重要文化財 旧花田家番屋」に立ち寄ました。ここのことをFPから検索して、記入します。番屋の歴史は「創立は一説に明治29年といわれていましたが、今時の解体調査の結果仏間大引下の束に書かれた墨書やヤン衆寝台羽目板の落書から親方生活部分 の内部造作は明治38年(壁紙下張の新聞紙の日付が明治37、38年)頃と考えられ、ヤン衆生活部分はこれより2~3年早くできたものと推定されます。
故花田作三氏の生前の話によれば、明治29年頃山林を入手伐採、この頃から製材等に着手したものと思われます。
この番屋は、すべて地元「大椴」の山から切りだし三半船で海上を運び、木挽の手によって製材されたものです。
小平町では、昭和46年重要文化財の指定とともにこれを買収し、3年の年月と約1億9千万円の費用を投じて解体修復したもので、すでに稀有となった古民家建築物鰊番屋の代表的遺構であります。」と書かれていました。
(旧花田家番屋)
旧花田家番屋に入館しました。
(旧花田家番屋に入館)
(写真撮影:2002.06)
島でよくみられる岸壁に絵が描かれていました。
(岸壁に絵)
港を出ていきました。
(港を)
焼尻島が遠ざかっていきました。
(焼尻島が)
灯台のようなものが見られました。
(灯台のようなもの)
焼尻島が遠くになりました。
(焼尻島が遠くに)
(写真撮影:2002.06)
港へ行くと高速艇が入港してきました。
(高速艇)
高速艇に乗船しました。
(乗船)
高速艇は、出航しました。
(出航)
(写真撮影:2002.06)
島内散策を続けましたら、花が咲いていました。
(花が)
海辺にやってきました。
(海辺に)
ウニ屋があり、ウニを食べました。
(ウニ)
外に出るとウニを獲る道具ありました。
(ウニを獲る道具)
羽幌が大きく見られました。
(羽幌)
(写真撮影:2002.06)