福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

ヤンソンス&バイエルン放送響のブルックナー8番

2017-11-28 09:52:03 | コンサート


ウィーン最初の夜は、ムジークフェラインザールにて、マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送響によるブルックナー交響曲第8番(ノヴァーク版第2稿 )を聴く。

同じ時間には、コンツェルトハウスでヘレヴェッヘ指揮によるベートーヴェン:ハ長調ミサの公演もあって大いに迷ったのだが、やはり、最愛のブルックナーの魅力には抗えず、こちらを選択。

座席はバルコン・ミッテの左端。日本のホールでいうと2階席正面。ここで聴くのははじめてだったが、ホールが楽器である、即ち、スピーカーでいうとエンクロージャー(箱)の極上さを実感させてくれる座席で、大いに気に入った。



結論から言うと、素晴らしい名演。もしかすると、上に述べたホールの良さと一体化した感動だったかも知れない。

ヤンソンスのアプローチは、予想していた通り極めてオーソドックスなもので、テンポやバランスに於いて奇をてらう場面は皆無。それは良いのだけれど、転調してゆくときのワクワク感がなかったり、全休止の意味が薄かったり、たとえば、第1楽章終わり近くのトランペット(とティンパニ)に厳しさに不足していたり、とわたしの期待するブルックナーからの距離は相当にあった。
しかし、そこに鳴るサウンドがどうにも良いのだ。すべての弦楽器奏者のフル・ボーイングから鳴る豊かなサウンド、蕩けるような金管のハーモニー。奥行きの深さと重層性、もうその響きに身を浸すだけで幸せな瞬間が多かった。あの豊穣な響きのまま、わたしのテンポや解釈を実践できれば最高なのだけれど、それは無い物ねだり(笑)。あの響きを引き出したのはヤンソンスの人徳や実力であることも確かなのだから。



終演後の聴衆の熱狂は凄まじいものがあったが、わたしの周囲には、明らかに作品に退屈している人々も多く(第1楽章では遠くで携帯の着信音あり)、その影響で演奏に集中しづらい場面のあったことも事実。
この夜、たまたまウィーン滞在だった観光客も混ざっていたのだろう。その点、ブルオタのみの集まる日本のブルックナー・コンサートのような宗教的雰囲気とは違っていた。



もうひとつの驚きは、「携帯電話の電源を切れ、演奏中の写真撮影は禁ずる」というアナウンスのタイミング。オーケストラが入場し、チューニングが終わり、いざ固唾を呑んで指揮者の登場を待つ、というときに場違いなブザーが鳴ってアナウンスが入る、というもの。これには拍子抜けしたが、それだけマナー違反をする客が多いということなのだろう。



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