アサヒビール大山崎山荘美術館は開館20周年というから、いまモーツァルト「レクイエム」を稽古している長岡リリックホールと同い年だ。
その記念の年に”モネ展~うつくしいくらし、あたらしい響き”が開催されている(前期:9月17日~10月30日、後期:11月1日~12月11日)。
もともと5点の睡蓮をはじめモネ作品の所蔵で名を知られる美術館であるが、そこに神奈川(箱根)、姫路、山形、群馬、茨城、埼玉、三重、福島など各地からの名品が集った。点数こそ20点(うち1点は前期のみ、2点は後期のみ)だが、数がありすぎるよりも、この程度の方が、一作ごとへの対話がじっくりできて良いような気がする。
今回、わたしが惹かれたのは、円熟期に描かれた睡蓮よりも、30から40代の頃の作品たちである。
すなわち、「貨物列車」(1872年・32歳)、「ル・プティ・ジュヌヴィリエにて、日の入り」(1874年・34歳)、「モンソー公園」(1876年・36歳)、「菫の花束を持つカミーユ・モネ」(1876-77年頃)、少し置いて、「サンジェルマンの森の中で」(1882年・42歳)。
今回は、普段敬遠している図録を手にした。印刷された作品の印象が本物に遠く及ばないのは仕方ない。ことにモネが己が絵に定着させた目映いばかりの光彩の再現など望むべくもない。しかし、昨日ばかりは「いま心に感じた感動を記憶に定着させよう」という目的を持って手にすることにした。さらに、作品ごとに付された小さな解説が興味の糸を広げ、記憶の手助けとなることを願って。
要は、自分のイマジネーションにあり、この図録を手繰りつつ、脳内にこの目で見た本物の質感を再現させれば良い。不完全なライヴ音源から、実演の素晴らしさを脳内で再創造する作業にも似ていようか。
モネがキャンバスに封じ込めた黄金の構図、眺めれば気の遠くなるようなきらめく光の粒たちの舞踊、そして幾重にも織りなったり溶け合ったりする鮮やかな色彩。
このように艶やかに美しい音楽を奏でたい、といま心が囁いている。