滝さん日記

東京三軒茶屋の銘酒居酒屋「赤鬼」と信州木島平でこだわりの手打ち十割そばを出す「健生庵 山愚」のオーナーがお届けすします!

もう10万円の払込票です。

2011-04-06 13:27:13 | ・『滝さん日記』
遅くなりましたが、先ほど残りの10万円を栄村災害義援金口座に振り込んで来ました。郵便局の人も、この様な口座開設の際は厳重な身分チェックをするので、マネーロンダリングやテロ組織への送金になる事は有り得ないので、上限10万なんて規制する事は無意味です、何度もお手数お掛けして本当に申し訳ないです、と頭を下げっぱなしでした。
昨日の払込票と2枚一緒に載せておきますね。

栄村の現状ですが、線路が宙吊りになりましたJR飯山線の復旧工事がやっと始りましたが、工事も大変なのと雪が解けてきて土石流になる危険とで、電車の運行再開は何時になるか全く不明だそうで、慶太郎の友人も代替バスは本数も少なく、学校から遠い所の駅にしか行かないのでとても不便だとこぼしているそうです。
きょうの信濃毎日新聞の写真載せます。(著作権うるさく言わないでね)

最後に寄付をして下さいました花見参加者の皆様に重ねてお礼申し上げます。

お花見でこんなに義援金が!

2011-04-05 17:18:32 | ・『滝さん日記』
4月3日(日)とても寒い中恒例の「赤鬼お花見」が行われました。
災害で日本中暗くなっている中、予想しました以上の方々に御参加して頂き有難うございました。
何しろ寒く参加者の方々とどちらの手の方がより冷たいかなんて触りあってた位でしたので、ビールはあまり売れませんでしたが、逆に酒の方は今まででの最高本数が出たそうです。(途中で足りなくなり店に取りに行きました)
と言う事で楽しそうな写真何枚か載せますが写っていない方々ごめんなさい。





さてこのブログで書きました通り今回の花見はチャリティーでもありますので募金箱を設置し、お花見開始時には、震災でお亡くなりになられました方々、及び3月29日に亡くなりました仲川氏に弔意を表すため黙祷を全員で行いました。有難う御座いました。
そして最後に皆様の善意の御寄附を数えました所、何と!9万6231円も有りました。
一杯飲むたびに千円入れたと言う剛毅な方や、バンドメンバー全員一万円づつ、とか本当に皆様有難うございました。(ただ一人、俺が義援金もらいたいよと言っていた男が居ましたが、もう死んでいるんじゃ無い?と思われていたムッシュの事です)

そこに私が同額足しまして20万円を「長野北部地震」で甚大な被害に見舞われました「栄村」に寄付する事にしました。
あれ?前は日本赤十字社を経由してと言っていたじゃんと思われるでしょうが、花見参加者の中に義援金に関しての「事情通」がいらしていて、赤十字社だと何に使われるか、どこに配分とかも分からないし、時間も掛かるので、どこかピンポイントで使われる所にした方が良いと言う、助言を頂きましたので、栄村は東北のようには、義援金が集まっていないようですし、役場のHPにも、「義援金は栄村の被災者の皆様に見舞金、生活支援金として、被害状況により公平に分配されます」と書いて有りますのでここにした次第です。

しかし、本日手数料無料の郵便局に持参した所、20万円だと身元を証明する何かが必要との事、勿論皆様のお金ですから私の名前ではなく「銘酒居酒屋 赤鬼」で送ろうとすると、10万までしか送れません。そこで郵便局員が言うには、今日10万送り、お手数ですが又明日10万送れば良いのでは? 
と言う事でこの下の写真の金額が10万円しか書いて有りませんが、そういう事情なので、明日また送金して、2枚揃えて20万の写真載せますので宜しく御理解下さい。
でもこんなに義援金が集まるとは、自分で言うのも変ですが、さすが赤鬼のお客様!
と言う事で、私は心から皆様を誇りに感じております。
本当にありがとうございました。
それでは又明日もう1枚払込証載せますね。

仲川氏の御葬式

2011-04-05 12:51:27 | ・『滝さん日記』
故仲川氏のお通夜(4月1日)、告別式(4月2日)が行われました。
私の想像していましたより、はるかに大勢の方々が参列し、故人がいかに慕われ、
かつ地域に密着、溶け込んでいたかを強く感じられる御葬式でした。
特に女性に慕われていたようで、本当に多くの女性の方々が目を真っ赤にし、嗚咽していました。
55歳という死ぬにはあまりにも早すぎた年齢も有りまして、列席者の皆さん、他の御葬式の時よりもかなり悲しみに沈んでおりました。



この頃は個人情報保護がうるさいので、御焼香とか顔かたちが分かるものは、
写真に撮らない方が良いと感じましたので、遺影だけですみません。
この遺影は2月に「亀泉酒造」さんに行った時の写真ですが、笑顔がとても
愛らしく素敵ですね。
あと急いで良く見ないで撮りましたので、一番左に赤鬼友人一同よりのお花が
有ったのですが、それが写真に入っていず申し訳御座いませんでした。

今回の葬儀では大変残念な事もありました。
無宗教で行われましたので、お経とかは読みません。ですから時間は有ったはずなのに
、弔電をたった3通のみ、それも「読売新聞社本社のお偉方」「読売新聞社の誰か」次はまさかの「報知新聞社の役員」の弔電でした。特に最後の弔電は”残されたご家族の方々が気を強く持つ事をなんたらかんたら”と言うものでした。確かにお母様は御存命ですが、独身だった故人の事を少しもしらべず、例文を適当に選んだだけと言う思いがしました。そして弔電も地方の蔵元さんや今回の災害の為、列席出来ない方とか、数多くが届いていましたのに、ほんの一部の読売新聞社関係の為だけにこんな読み方をするなんて、読売新聞社に対する見方が悪くなる事は避けられないと感じました。
今回は読売新聞の社葬では無いぞー。

あと告別式の後の火葬の際も最後のお別れをしたい方はこうして下さいも
無かったので、多くの方々はどうして良いか分からず、火葬場に行けたのは
ほんの僅かの方だけでした。
せめてバスを出すとか、タクシーで行く方はこちらに何分後までとか
連絡が有ったら良かったのにと思います。
幸い私は火葬寸前、タッチの差で間に合いましたが、火葬を見送る人数が
参列者数と比べて異常に少なく、やるせない気持ちでした。
あまりにギリギリでしたので、写真も撮れず皆さんに見て頂けず大変申し訳なく思っています。


帰りの世田谷線に桃子と乗り三茶に向かっていると、桃が”お父さん、こんな時いつもはもう一人隣にいたよねー”なんて言うので又泣けてきてしまいました。