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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

この世代の癖?

2009-04-23 18:08:25 | Weblog
 ネット囲碁クラブに入場すると、まず対局一覧表が掲示されます。
  その日はプロの棋士が二人囲碁を打っていて、その対局室に何十人も入場しているのが分かりました。
 但し対局は終了しているので、入場して棋譜進行は見ることができますが、残念ながらリアルの進行では無い。
 その掲示板には以下アマ同士の対局状況が載っていて、序盤・中盤・終盤・対局終了などの進行状況が表示されます。
 そして一覧表の一番下に入場者数と対局室の使用状況と対局中の局数が出ています。
 部屋の数と対局数が違うのは・・・対局終了後も残って検討している人とか、私みたいに碁盤の横で居眠りしている人がいる場合、対局は終わってもそこは閉じられないからなのです。
 因みに、この日私は夕方6時過ぎに対局をして・・・投了負けして・・・いるのに夜11時近くにその対局室が閉じられていないことに気が付きました。
 覗けばS氏が部屋にいます。
  何をやっているのでしょうね?
 私の碁を研究していることはありそうもないし、私の相手が鮮やかに勝った碁を鑑賞するんしても4時間以上も!・・・
 やはり眠っている確率が一番高そうですが・・・『もしもし、起きていますか?』と確認する手段が無い。
 それに私も人様の碁を見ながら眠る癖があるので文句を言う筋合いでもない!
  しかし無様な負け方をした碁をいつまでも供覧するのは恥ずかしい。
 「恥ずかしい」のは本心ですが、やはり「人さまには良い碁を見てもらいたい」という見栄があるのです。
 と、ここまでは昨日お話しました。

 ところで入場者数を見る時に思うのですが、現在入場者が点数順に並んでいると、「私は何番目かな?」とつい感じてしまいます。
  並んで何かを貰うような時は、「自分は何番目にいるのか」、「自分まで貰えるものか」・・・は切実な問題ですが、囲碁の場合はそういうものとは違います。
 これは本能的に「思う」のか、見え坊的に感じるのかは知りませんが考える。
  これは私の性格かも知れないけれど、それだけでは無くて私の世代は大勢の同世代の中で常に競争をさせられてきたために身についてしまった「習性」かも知れないとも思うのです。
 高校時代にはテストがあれば全員ではないけれど席次発表が掲示されたし、数学と英語は能力別クラス編成で、尚且つ学期ごとに入れ替えがあったり・・・
 ともかく順番で並べられることに慣れて来ました。
  マア、そう言うことに鈍感にはなっていますが、でも自分の現在の点数と言うものがあると・・・点数順に入場者が紹介されているわけで、ついつい「自分は今日の入場者の中で何番目?」とリストを数えたくなってしまう・・・悲しい性格です。
 だからって「血のにじむような努力で這い上がる」と言うわけでは無いから「見え坊の割にだらしがない」、いやそういう性格なんですね。
 
 「あなたは社会でどの階層に属すると思いますか?」という質問に「中流」の答が多いらしい。
 マア単純に平均的暮らし振りだから中流と答えているのでしょう。
  そのことの是非はともかくとして、平均的な暮らしならまずはひと安心みたいな心理もあるでしょうね・・・私も生活がそれなら十分に満足です・・・ただし囲碁の棋力を尋ねられて「普通」[中くらい」「平均的」みたいなことで満足感は感じませんね。
 さりとてアマでトップクラスとは程遠い・・・プロ棋士との距離ともさほどに変わらないくらいとおいような気がします。
 さてさてどこなら満足か?、困ったものです。

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