突然ですが「ワレモコウ」という植物があります。
話をワレモコウから始めるところが私の暇人的な性格と言うことで、ともかく御用とお急ぎでない方は寄って来て下さい。
そのワレモコウに初めて出会ったのは学生時代の夏休みです。
当時は夏と言えば国定公園の中でパトロールをするアルバイトをやっていました・・・これが一夏に2,3か月。
天然記念物の保護と自然の国定公園・高原のパトロールでお弁当を持って一日中歩き回る仕事です・・・毎日ほぼ同じコースを回るのでどこでいつ頃どういう花が咲くのか覚えてしまうのです。
こういう色・形だから何と言うこと以上に、どこで咲いているのは何と言う花みたいな覚え方になったりします。
例えばフシグロセンノウが咲いている曲がり角みたいに地形と植物が一体化したり、7月ですとニッコウキスゲの季節、、高原の秋が深まるとマツムシソウが咲く季節、アキアカネの大群がやってくる頃みたいに季節と結びついて記憶される。
そういう植物のひとつにワレモコウがあります。
友人のY君に教えてもらうまでは知らなかったのですが、教えられてみると秋が深まる草原にはかなりあります。
花言葉が「こんな私でも恋しています」とか・・・なるほど気がつかなければ、見過ごしてしまいそう。
しかし気がつくと意外と好感を持てる。
つまり気がつくか気がつかないかが分かれ道みたいなところがあります。
前振りが長かったですが・・・
今朝の自転車通勤で水路の横の道を約1km走りまして、桜が散り、ツツジが咲き始めるこの時期に意外な発見をしました。
水路沿いに幅の広い歩道があるのですが、その歩道と水路の間は約5mくらいの幅で緑地帯になっています。
歩道の車道側はマテバシイの街路樹ですが、緑地の樹木は松の木が並んでいます。
その松の木が意外と綺麗なのです。
松の緑と枝先に雌花でしょうか松ぼっくりの元みたいなものがたくさんついています。
この季節ならではの色と形なんでしょうね。
今までは気がつかなかったけれど、気がついてみると意外と綺麗なものです。
そういうものって意外と多いかも知れません。
普段見過ごしていて・・・見えている筈なのに意識の中に入ってきてない・・・そういうものでも気がつくと意外と好感を持てるものってあるのですね。
今まで60年以上も生きてきて、今更こんなことを言っているのですから、これから先もまだまだ発見がありそうです。
そう思ってみると人生は意外と退屈はしないようです。
囲碁にしても新しい発見みたいなもの、日々反省みたいなものが必ずあるのですから。
話をワレモコウから始めるところが私の暇人的な性格と言うことで、ともかく御用とお急ぎでない方は寄って来て下さい。
そのワレモコウに初めて出会ったのは学生時代の夏休みです。
当時は夏と言えば国定公園の中でパトロールをするアルバイトをやっていました・・・これが一夏に2,3か月。
天然記念物の保護と自然の国定公園・高原のパトロールでお弁当を持って一日中歩き回る仕事です・・・毎日ほぼ同じコースを回るのでどこでいつ頃どういう花が咲くのか覚えてしまうのです。
こういう色・形だから何と言うこと以上に、どこで咲いているのは何と言う花みたいな覚え方になったりします。
例えばフシグロセンノウが咲いている曲がり角みたいに地形と植物が一体化したり、7月ですとニッコウキスゲの季節、、高原の秋が深まるとマツムシソウが咲く季節、アキアカネの大群がやってくる頃みたいに季節と結びついて記憶される。
そういう植物のひとつにワレモコウがあります。
友人のY君に教えてもらうまでは知らなかったのですが、教えられてみると秋が深まる草原にはかなりあります。
花言葉が「こんな私でも恋しています」とか・・・なるほど気がつかなければ、見過ごしてしまいそう。
しかし気がつくと意外と好感を持てる。
つまり気がつくか気がつかないかが分かれ道みたいなところがあります。
前振りが長かったですが・・・
今朝の自転車通勤で水路の横の道を約1km走りまして、桜が散り、ツツジが咲き始めるこの時期に意外な発見をしました。
水路沿いに幅の広い歩道があるのですが、その歩道と水路の間は約5mくらいの幅で緑地帯になっています。
歩道の車道側はマテバシイの街路樹ですが、緑地の樹木は松の木が並んでいます。
その松の木が意外と綺麗なのです。
松の緑と枝先に雌花でしょうか松ぼっくりの元みたいなものがたくさんついています。
この季節ならではの色と形なんでしょうね。
今までは気がつかなかったけれど、気がついてみると意外と綺麗なものです。
そういうものって意外と多いかも知れません。
普段見過ごしていて・・・見えている筈なのに意識の中に入ってきてない・・・そういうものでも気がつくと意外と好感を持てるものってあるのですね。
今まで60年以上も生きてきて、今更こんなことを言っているのですから、これから先もまだまだ発見がありそうです。
そう思ってみると人生は意外と退屈はしないようです。
囲碁にしても新しい発見みたいなもの、日々反省みたいなものが必ずあるのですから。