昔の常識と言うか、相場らしきものでプロに7子で打てれば初段という・・・規則ではないのだけれど、そういう話でした。
しかしこれは少し胡散臭いすり替えがあるようなきがするのです。
1段差置石1子の7子なのか、江戸時代風の手合い割で[互い先][互先互][先互先][先先先][先二先][二先二][先二先][二二二]みたいに7ランク差を置石7つとすり返られたものだとしたらどうだろうか?
イエ、何の根拠も無い話で、ふと思いついただけのことなんですが、もしそうなら大変です。
これはプロならば一律互い先という時代ではなくて、プロもアマも無い時代の手合い割りで専業高段者・準名人クラスにに2子で初段ですから・・・殆どプロの初段と同じでしょう。
・・・江戸時代に秀策とたくさん打った有名な方とか、地方在住でかなりの力自慢の人など居たことは居たにせよ、現在ほどアマのトップクラスは充実していなかったと想像できます(出版物・ネットなど情報量が違いますから)
今でも新入段者の記念対局の企画では2子か先番コミ貰いだから似ている。
そしてアマでもタイトル争いの常連みたいな強豪で先とか先のコミ貰い・・・
この辺りの話は雲の上の話なのでよく分かりません。
ともかくプロに7子で打てればアマ初段なのか?
私の考えでは「当然」な気がします。
と言うのは「アマが7つで打てるのなら」と言う条件の問題でしょう
「打てる」のではなくて多くの場合「打たして戴いている」のでは無いだろうか?
明治か昭和か知りませんが、何処かの時代にプロの段位とは別にアマの段位というものが出来たと思われます。
趣味の世界で「初段」という響きは格別のものがあるのでしょう、何かその道で一人前みたいに認められたみたいな感じですね。
免状発行と言う世俗的な問題もあり、商売・教える側としてはなるべく免状を出したいし、欲しがる人=需要もあったでしょうが「段」としての権威も守らなくてはいけない・・・そういう微妙なところで、素人でもそれなりの努力で到達できる辺りにアマ「初段」が設定されたのだろうか?
プロの先生に7子で教わっていて初段と認定されたような人がアマの高段者に7つ以上置くことは珍しくない。
プロの先生の7子局では先生の対局はあくまでも指導目的、アマだとて7つも置かせるような人なら「勝負」意識は無いとは思うのだけれど・・・
例えば碁会所などで6段あるいは7段格みたいな人と、初段あるいは1級の人が打つとしたら点数制度で手合い割が決められ、おそらく6から8子局でしょう。
点数制度はたくさん石を置かなくてはいけない対局を可能にしたみたいなことは言えます。
1対1ハンデではなくて相対的な格付けです。
但し、こういった”功”の裏に”罪”みたいな面も存在すると思うのです。
それは点数制度の大前提で勝てば1点上がって、負ければ下がるということ。
制度の根幹部分ですから・・・どういう手合いであろうと負ければ下がるのですから、どういう対局であっても負けるわけにはいかないという意識がでてくるでしょう。
だから教えると言う意識ではなくて「勝負」優先になるでしょう
勝負となるとやはり上手が力を発揮する場面が多くなりそう
プロに5子で教わっている人が、アマの高段者に7つでも勝てないみたいなことが起きてくる
ではプロの先生とアマの強豪は同じくらい強いのかと言えば、結論は明白。
当然そんな事はありえない
アマの高段者に点数とは関係なく「指導」として打っていただければ良いわけだけれど、これは下手の側からは”上手の手を手を煩わせる”みたいで言いにくいのか、あるいは上手も下手も「点数」という賭けでなくては緊張感を感じないためだろうか・・・
下手潰しに執念を燃やしてガンガン打ってくるような上手に鍛えてもらうのも無いわけではないだろうけれど、さてそれで力がつくのは良いとして、オーソドックではないクセまで身に付けてしまうという副作用もありそうです。
さてさて鍛えてスクスク育つと言うのは実は大変なことであるのですね
*碁会所・コミュニティなどでの初段を設定する時に、プロに初段として認定されているような方(指導碁で7つ)などを基準にしたりすると別の問題も発生することもあります。
点数制度で、仮にコミ6目として(半は決着をつけるための方便でしょう)12点刻みで段を設定していくと、上の方は7,8段相当の点になってしまうことがあります。(実際に強い人はいますが点数制度のアヤみたいなことが多いでしょう)
逆に強い人を例えば6段と設定して、そこから下に物差しを当てると、プロに初段と言われている人が2,3級相当の点数になってしまうことは珍しく無い。
ともあれ初段と認められて、気持ちよく趣味の道に励むのは一概に邪道とも言えないと思うので、この辺りの調整は難しいですね。
しかしこれは少し胡散臭いすり替えがあるようなきがするのです。
1段差置石1子の7子なのか、江戸時代風の手合い割で[互い先][互先互][先互先][先先先][先二先][二先二][先二先][二二二]みたいに7ランク差を置石7つとすり返られたものだとしたらどうだろうか?
イエ、何の根拠も無い話で、ふと思いついただけのことなんですが、もしそうなら大変です。
これはプロならば一律互い先という時代ではなくて、プロもアマも無い時代の手合い割りで専業高段者・準名人クラスにに2子で初段ですから・・・殆どプロの初段と同じでしょう。
・・・江戸時代に秀策とたくさん打った有名な方とか、地方在住でかなりの力自慢の人など居たことは居たにせよ、現在ほどアマのトップクラスは充実していなかったと想像できます(出版物・ネットなど情報量が違いますから)
今でも新入段者の記念対局の企画では2子か先番コミ貰いだから似ている。
そしてアマでもタイトル争いの常連みたいな強豪で先とか先のコミ貰い・・・
この辺りの話は雲の上の話なのでよく分かりません。
ともかくプロに7子で打てればアマ初段なのか?
私の考えでは「当然」な気がします。
と言うのは「アマが7つで打てるのなら」と言う条件の問題でしょう
「打てる」のではなくて多くの場合「打たして戴いている」のでは無いだろうか?
明治か昭和か知りませんが、何処かの時代にプロの段位とは別にアマの段位というものが出来たと思われます。
趣味の世界で「初段」という響きは格別のものがあるのでしょう、何かその道で一人前みたいに認められたみたいな感じですね。
免状発行と言う世俗的な問題もあり、商売・教える側としてはなるべく免状を出したいし、欲しがる人=需要もあったでしょうが「段」としての権威も守らなくてはいけない・・・そういう微妙なところで、素人でもそれなりの努力で到達できる辺りにアマ「初段」が設定されたのだろうか?
プロの先生に7子で教わっていて初段と認定されたような人がアマの高段者に7つ以上置くことは珍しくない。
プロの先生の7子局では先生の対局はあくまでも指導目的、アマだとて7つも置かせるような人なら「勝負」意識は無いとは思うのだけれど・・・
例えば碁会所などで6段あるいは7段格みたいな人と、初段あるいは1級の人が打つとしたら点数制度で手合い割が決められ、おそらく6から8子局でしょう。
点数制度はたくさん石を置かなくてはいけない対局を可能にしたみたいなことは言えます。
1対1ハンデではなくて相対的な格付けです。
但し、こういった”功”の裏に”罪”みたいな面も存在すると思うのです。
それは点数制度の大前提で勝てば1点上がって、負ければ下がるということ。
制度の根幹部分ですから・・・どういう手合いであろうと負ければ下がるのですから、どういう対局であっても負けるわけにはいかないという意識がでてくるでしょう。
だから教えると言う意識ではなくて「勝負」優先になるでしょう
勝負となるとやはり上手が力を発揮する場面が多くなりそう
プロに5子で教わっている人が、アマの高段者に7つでも勝てないみたいなことが起きてくる
ではプロの先生とアマの強豪は同じくらい強いのかと言えば、結論は明白。
当然そんな事はありえない
アマの高段者に点数とは関係なく「指導」として打っていただければ良いわけだけれど、これは下手の側からは”上手の手を手を煩わせる”みたいで言いにくいのか、あるいは上手も下手も「点数」という賭けでなくては緊張感を感じないためだろうか・・・
下手潰しに執念を燃やしてガンガン打ってくるような上手に鍛えてもらうのも無いわけではないだろうけれど、さてそれで力がつくのは良いとして、オーソドックではないクセまで身に付けてしまうという副作用もありそうです。
さてさて鍛えてスクスク育つと言うのは実は大変なことであるのですね
*碁会所・コミュニティなどでの初段を設定する時に、プロに初段として認定されているような方(指導碁で7つ)などを基準にしたりすると別の問題も発生することもあります。
点数制度で、仮にコミ6目として(半は決着をつけるための方便でしょう)12点刻みで段を設定していくと、上の方は7,8段相当の点になってしまうことがあります。(実際に強い人はいますが点数制度のアヤみたいなことが多いでしょう)
逆に強い人を例えば6段と設定して、そこから下に物差しを当てると、プロに初段と言われている人が2,3級相当の点数になってしまうことは珍しく無い。
ともあれ初段と認められて、気持ちよく趣味の道に励むのは一概に邪道とも言えないと思うので、この辺りの調整は難しいですね。