
今日図書館で借りた本の一冊です。
いつもですと土曜日に図書館に行くのですが、昨日身支度をして出かけようとしたところ妻から「待った!」がかかりました。
イエ、行っては行けないということではなくて、『祝日だから図書館は休みかも知れませんよ・・・(それでもよければ行ってみれば)』
成る程、無駄足になりそうなので今日日曜日に順延したのです
さて話を本に戻して
昭和62年と言うと20年前ということですから、後ろの裏表紙にはカードでの貸し出し用の」ポケットなどついていて、そこのところからも時代を感じます。
さて前書きに・・・これは比較的重要なところだと考えます。
小説とか物語ではないのですから、何のためにどういう姿勢で書いたのかを最初に明確にして置いて戴くわけです。
前書きに曰く
「昔の定石と今の定石では厳しさが違う」
「昔は中盤の戦いの準備だった定石や布石が今では序盤の戦いの本番になった」
まさにその通りだと思います
それはプロ棋士の実感とは次元が違いますが、アマでも「いつも通りの」とか「毎度」みたいな序盤は減ってきているし、斬新な試みをする人もいる
そして加藤さん曰く
「互い先でも小目と並んで多用される星は、かつての堅実をむねとした『置碁定石』から面目を一新した・・・」
加藤さんの書いた前書きを読んで感心しています
20年前の話を何を今更と思われるでしょうね、、、自分でも思うのですから
でもイメージで判ったつもりでいることでも、言葉にしてすっきりさせておくことも、頭に刻み付けると言うことでは大切な作業だと考えるのです。
囲碁ではありませんが、仕事で何かのデータ整理をしている人がなにやら「ブツブツ」言いながら仕事をします・・・実は私の隣の人
彼はベテランで、専門職ですからある方面では相当仕事が出来る
だから「老化現象」ではないでしょうし
ましてや隣の席の私に相談しているのでもない(馴れないうちは驚きます)
自分で自分に話しかけて、なにやら確認作業をしているか
脳の記憶欄に言葉で書き込みをしているのでしょうね
囲碁の場合、形で憶えるという面もある・・・
それと状況・対処法を言葉で整理しておくことも出来そう・・・
「ツケにはハネ」「ハネにはノビ」「切り違い一方ノビ」「二立三折」などの格言的な言葉もそういう働きがあるでしょう。
但し忘れてはいけない、というか要注意事項もあるようです
言葉にして憶えるということは、大切なことのエッセンスを取り出して強調するわけです・・・そうでなくてはインパクトもないし記憶すべきことが煩雑になってしまいます
そういうことで効率化しているのですが、一方でディテイルと言うか、肝心なことなどが切り捨てられてしまうことがあるようです。
話が逸れ気味
ともあれ故加藤先生の指摘(前書き)に接して嬉しかったです
その当時には右の耳から左の耳に通過していたものが、感じ方が変わると言うこともあるようです。
もう一つ「両がかり」は序盤での切実な問題ですよね
置き碁のときなどもそうだと思います。
ともあれ、相手に星にかかられた時に受けなければいけないのか、手抜きすればソコは更に攻撃にさらされるとしてどのような展開が予想されるのか?
それよりも、手抜きしてでも急ぎたいところはないのか?
相手が手抜きした時に両かかりするとどうなるのか?
こういうことが序盤では常に問題になるはずです。
序盤で主導権を握ることが大事ですから「両かかり」の結果を見通すことは重要な要素になり得る。
だから、この本で確認しておくことは大事
① 星に小ケイマ、小ケイマの両がかり
② 星に小ケイマ、1間高の両がかり
③ 星に小ケイマ、2間高の両がかり他などで72型の変化が説明されています
72の基本型に幾つもの変化図があります
かなり昔に基本的な考え方として教わったものもありますが、その再確認もいいでしょう
もしかしたら(私としては)新発見もあるかも知れません。
20年前の説明とはいえ、当時正しいことが今は間違いと言うことはないでしょうから・・・両がかりにツケる方向が絶対みたいに”相手の強い石”から”どちらもある”みたいに緩和されているかも知れませんが。
アレは何時だったか趙治勲先生が常識破りをやって以来ですね
”趙先生だから許される?”から”どちらもあり得る”になったのですね
マアともかく当方はザルの身ですから、取り敢えずは基本のおさらい
