(今日の写真は、赤倉登山道石仏27番付近に咲いていたの花だ。標高は1400mに近い場所である。これは、ツツジ科イワナシ属の常緑小低木「イワナシ(岩梨)」だ。
名前の由来は「岩場に生え、梨のような味のする実をつけること」による。しかし、岩木山に限ってみると、岩場に生えていることは先ずない。
実際に自生している場所は、林の中の斜面や切れ込んだ登山道の低い法面のような場所であり、「岩場」という地形的なところではない。
もっと、狭めてみると土が削がれて、低い傾斜になっているような、陽当たりのいいところを選んで自生していると言える。しかも、標高を選ばない。
茎(幹)は低く地に伏して、高さ10~20cm位だろうか。葉は互生し、縁に褐色の刺毛があり、葉の表面には濃緑色で光沢がある。この写真からは裏面は見えないが、淡黄色で中筋に褐色の毛が生えている。
茎(幹)の部分は地べたを這うがそこから伸びる枝葉は、垂れ下がることが多い。その葉の間に、淡紅色の鐘状花を3個ほどつける。
枯れたノガリヤス(イネ科の草)に覆われてよく見えないが、この場所はイワナシの群生地である。花の上部に見える淡い緑の葉は「ショウジョウバカマ」だ。
この花も大急ぎで受粉して果実になるだろう。花後の結実は早い。果実は確かに「梨」の味がする。しかも、梨が持つ「しゃりしゃりじゃりじゃり」という食感まで与えてくれるのだから、やはり、「イワナシ」なのである。広く見た場合の自生地は、主に日本海側の多雪地である。)
◇◇ 咲くべき季節を追って登るイワナシ(岩梨)赤倉登山道 ◇◇
「イワナシ」の開花は5月から6月にかけてだと、大抵の「図鑑」には書かれている。
だが、私が岩木山でこれまで一番早く「イワナシ」に出会ったのは4月の中旬だった。その年はすべての草本や木本の開花が早かったのかも知れない。タムシバもすでに咲き出していた。場所は、水無沢の右岸尾根、それからさらに右に分かれる小さな尾根の南に面した陽当たりのいいところだった。標高も、500から600m位だっただろう。
赤倉登山道石仏1番は如意輪観音である。標高は501mだ。ここからブナ林までの道は細い稜線の道で、石仏も6番まで続く。そして、その道の両側には、ほぼ石仏の6番まで「イワナシ」が生えているのだ。
咲き出す時季は積雪の消え方に左右される。早く雪が消えると早くなり、遅くなると遅れる。それでも、4月の下旬から5月の上旬には例年咲き出している。
だから、5月30日には、石仏1番、如意輪観音付近のものはすでに、花柱の先端をまだ果実に残して、若い果実をつけていた。もちろん、熟していないから食べることは出来ない。
「そうか、花は終わったのだ。残念だ」と思いながらの登山が始まったのである。だが、私の目は「イワナシ」の「葉」を追っていた。
さすがに新緑のブナ林内には「イワナシ」の影はなかった。石仏9番を過ぎて稜線に出て明るい日射しを浴びながら、また「目」は「イワナシ」を追い始めた。目につくものは「ミヤマスミレ」だけである。伯母石に着いた。そこからは岩稜の左岸を辿る。もしも、「イワナシ」が名に負うとおり「岩場に生える」ものならば、この「岩稜左岸」でも出会えるかも知れないが、それは無理というものである。岩稜左岸では、木本のミネザクラ、タムシバ、ムシカリ、ハウチワカエデの花がまだ見られた。
薄暗い「岩稜左岸」を過ぎて出た登山道は明るかった。そこからはほぼ真っ直ぐな、しかも急峻な道が「鬼の土俵」まで続く。
標高は1000m近い。ブナも次第に低木になってきた。そのブナの樹下に「シラネアオイ」がたおやかに花を揺らせている。そして、その脇に私は「イワナシ」の葉を見つけた。 そこには、数株の「イワナシ」の花が、薄いピンク色で咲いていたのだ。「イワナシ」は標高にして500mを登って来たのだ。
「鬼の土俵」を過ぎ、標高1200mほどの「大開」を過ぎた。ますます道は急峻になり、「ダケカンバ」が中心樹木に変わる。
標高1300m付近からショウジョウバカマが目立ってきた。ダケカンバの樹高が低くなり、周囲が見渡せるようになると、27番石仏である。
そして、出会ったのが「今日の花」に紹介した「イワナシ」である。赤倉登山道沿いに咲くイワナシはとうとう標高1400mの高さまで「登って」来たのである。
標高を選ばない花々は「山麓」ですでに終わっていたからといってがっかりすることはない。登って行くと、必ず高みのどこかであなたを歓迎してくれるはずである。花は優しいものだ。
◇◇「事務局長退任」は承認ならず(3)◇◇
(承前)…本会の会員は、「岩木山の自然を護る」という「同一目的でまとまっている」との考えは今でも変わっていない。そうだと信じているから、「あえて、まとめ役は必要でない」と思い、「まとめ役」に不向きな私でも「事務局長」は務まるのではないかと考えて8年間もやって来たのである。だが、やはり、「組織」には優秀な「まとめ役」や「女房役」は必要なのである。
これが、私の甘さであり弱さである。しかし、間違っているとは思ってはいない。だからこそ「遅きに過ぎた」というきらいは免れないが「退任の潮時」だと考えたのだ。
ここに述べたことが、「事務局長」を引き受けた時の1つの、いまだに払拭出来ない懸念であった。
もう1つの懸念は「機動力」ということであった。私には「機動力」がないのだ。私は自動車の運転免許を持っていないという今時にして「珍しい」人間である。同居している娘は自家用車を持っているが、それは私にとっては縁もゆかりもないものである。
前事務局長の三上さんは自家用車を普通車とオフロードでも走れるタイプのものと2台も持っていた。
彼はそれらを駆使して、突発的に起こる岩木山の、主に人工的な破壊現場や自然観察会の事前調査、それに、観察会そのものに出かけていた。そして、時には参加者の輸送までしていた。
私は、大体いつもそれに同行していたのだ。だから、自動車を使用する場合の「機動力」に慣れていた。つまり、「自動車を持つ」ことと同じ感覚で事に当たっていたのである。(明日に続く)
名前の由来は「岩場に生え、梨のような味のする実をつけること」による。しかし、岩木山に限ってみると、岩場に生えていることは先ずない。
実際に自生している場所は、林の中の斜面や切れ込んだ登山道の低い法面のような場所であり、「岩場」という地形的なところではない。
もっと、狭めてみると土が削がれて、低い傾斜になっているような、陽当たりのいいところを選んで自生していると言える。しかも、標高を選ばない。
茎(幹)は低く地に伏して、高さ10~20cm位だろうか。葉は互生し、縁に褐色の刺毛があり、葉の表面には濃緑色で光沢がある。この写真からは裏面は見えないが、淡黄色で中筋に褐色の毛が生えている。
茎(幹)の部分は地べたを這うがそこから伸びる枝葉は、垂れ下がることが多い。その葉の間に、淡紅色の鐘状花を3個ほどつける。
枯れたノガリヤス(イネ科の草)に覆われてよく見えないが、この場所はイワナシの群生地である。花の上部に見える淡い緑の葉は「ショウジョウバカマ」だ。
この花も大急ぎで受粉して果実になるだろう。花後の結実は早い。果実は確かに「梨」の味がする。しかも、梨が持つ「しゃりしゃりじゃりじゃり」という食感まで与えてくれるのだから、やはり、「イワナシ」なのである。広く見た場合の自生地は、主に日本海側の多雪地である。)
◇◇ 咲くべき季節を追って登るイワナシ(岩梨)赤倉登山道 ◇◇
「イワナシ」の開花は5月から6月にかけてだと、大抵の「図鑑」には書かれている。
だが、私が岩木山でこれまで一番早く「イワナシ」に出会ったのは4月の中旬だった。その年はすべての草本や木本の開花が早かったのかも知れない。タムシバもすでに咲き出していた。場所は、水無沢の右岸尾根、それからさらに右に分かれる小さな尾根の南に面した陽当たりのいいところだった。標高も、500から600m位だっただろう。
赤倉登山道石仏1番は如意輪観音である。標高は501mだ。ここからブナ林までの道は細い稜線の道で、石仏も6番まで続く。そして、その道の両側には、ほぼ石仏の6番まで「イワナシ」が生えているのだ。
咲き出す時季は積雪の消え方に左右される。早く雪が消えると早くなり、遅くなると遅れる。それでも、4月の下旬から5月の上旬には例年咲き出している。
だから、5月30日には、石仏1番、如意輪観音付近のものはすでに、花柱の先端をまだ果実に残して、若い果実をつけていた。もちろん、熟していないから食べることは出来ない。
「そうか、花は終わったのだ。残念だ」と思いながらの登山が始まったのである。だが、私の目は「イワナシ」の「葉」を追っていた。
さすがに新緑のブナ林内には「イワナシ」の影はなかった。石仏9番を過ぎて稜線に出て明るい日射しを浴びながら、また「目」は「イワナシ」を追い始めた。目につくものは「ミヤマスミレ」だけである。伯母石に着いた。そこからは岩稜の左岸を辿る。もしも、「イワナシ」が名に負うとおり「岩場に生える」ものならば、この「岩稜左岸」でも出会えるかも知れないが、それは無理というものである。岩稜左岸では、木本のミネザクラ、タムシバ、ムシカリ、ハウチワカエデの花がまだ見られた。
薄暗い「岩稜左岸」を過ぎて出た登山道は明るかった。そこからはほぼ真っ直ぐな、しかも急峻な道が「鬼の土俵」まで続く。
標高は1000m近い。ブナも次第に低木になってきた。そのブナの樹下に「シラネアオイ」がたおやかに花を揺らせている。そして、その脇に私は「イワナシ」の葉を見つけた。 そこには、数株の「イワナシ」の花が、薄いピンク色で咲いていたのだ。「イワナシ」は標高にして500mを登って来たのだ。
「鬼の土俵」を過ぎ、標高1200mほどの「大開」を過ぎた。ますます道は急峻になり、「ダケカンバ」が中心樹木に変わる。
標高1300m付近からショウジョウバカマが目立ってきた。ダケカンバの樹高が低くなり、周囲が見渡せるようになると、27番石仏である。
そして、出会ったのが「今日の花」に紹介した「イワナシ」である。赤倉登山道沿いに咲くイワナシはとうとう標高1400mの高さまで「登って」来たのである。
標高を選ばない花々は「山麓」ですでに終わっていたからといってがっかりすることはない。登って行くと、必ず高みのどこかであなたを歓迎してくれるはずである。花は優しいものだ。
◇◇「事務局長退任」は承認ならず(3)◇◇
(承前)…本会の会員は、「岩木山の自然を護る」という「同一目的でまとまっている」との考えは今でも変わっていない。そうだと信じているから、「あえて、まとめ役は必要でない」と思い、「まとめ役」に不向きな私でも「事務局長」は務まるのではないかと考えて8年間もやって来たのである。だが、やはり、「組織」には優秀な「まとめ役」や「女房役」は必要なのである。
これが、私の甘さであり弱さである。しかし、間違っているとは思ってはいない。だからこそ「遅きに過ぎた」というきらいは免れないが「退任の潮時」だと考えたのだ。
ここに述べたことが、「事務局長」を引き受けた時の1つの、いまだに払拭出来ない懸念であった。
もう1つの懸念は「機動力」ということであった。私には「機動力」がないのだ。私は自動車の運転免許を持っていないという今時にして「珍しい」人間である。同居している娘は自家用車を持っているが、それは私にとっては縁もゆかりもないものである。
前事務局長の三上さんは自家用車を普通車とオフロードでも走れるタイプのものと2台も持っていた。
彼はそれらを駆使して、突発的に起こる岩木山の、主に人工的な破壊現場や自然観察会の事前調査、それに、観察会そのものに出かけていた。そして、時には参加者の輸送までしていた。
私は、大体いつもそれに同行していたのだ。だから、自動車を使用する場合の「機動力」に慣れていた。つまり、「自動車を持つ」ことと同じ感覚で事に当たっていたのである。(明日に続く)