(今日の写真は、ラン科キンラン属の多年草である「ササバギンラン(笹葉銀蘭)」だ。6月15日の事前調査の時に、岳温泉に間もなく着くというミズナラ林の縁で撮ったものだ。
「ササバギンラン」は、北海道、本州、四国、九州に分布し、山地の林内や林縁に生える。茎の高さは30~50cmほどだ。茎頂の花序に、長さ約1cmの白色の花をまばらにつける。唇弁の基部は筒状で、距は短い。先は三つに裂け、中裂片は舌状であり、淡黄褐色の隆起線がある。花期は5~6月である。
葉は長楕円状披針形か線状披針形で、はっきりした脈がある。茎上部の葉は花序より長い。「ササバ」という名称はこの葉の形に由来する。
「ササバギンラン」は「ギンラン」に似ているが、花の下にある苞が花序よりも高くなること、葉の裏面や縁、茎の稜上に毛があること、花は「ギンラン」より大きめで、花被片がいくらか開きぎみになることなどから「ギンラン」と区別する。目視による簡便な見分け方は「下部の苞葉が花序と同長以上となる」ことである。名前の由来は「ギンランに似て葉が長く笹の葉を思わせること」による。
岩木山では、この「ササバギンラン」の他に仲間として「ギンラン」や「ユウシュンラン」 が見られるが、数は少ない。)
◇◇「ササバギンラン(笹葉銀蘭)」からランを想う ◇◇
…27日の野外観察の時に、是非参加者に鑑賞して貰いたいと考え、登山道から外れて、別の道に入り、咲いていた「ミズナラ林の縁」を歩いた。
かなり注意しながら「探した」のだが、すでに、花期は終わっていたのだろう、ただの1本にも出会うことが出来なかった。
つくづく思う。花はすべて自分の流儀で咲く。咲いている時季も、そこには人間の思惑など這い入る余地はないのである。いついつまで散らないで待っていてほしいというのは人の都合である。植物はすべて自然任せの流儀なのである。「自然」にそって「自然」に任せて健気に生きる。それが植物である。
だが、最近の「ラン」ブームを見ていると私は悲しくなる。人間たちは「自分たちの好み」に合わせて、どんどん「改変」しているのである。「ラン」本来の生きざまを奪い、自分好みに変えているのである。「生物多様性」から大きく逸脱した行為であろう。「生物多様性」を考えると、人間には「植物の生きざまをコントロールする」権限はないはずなのだ。
この「ササバギンラン」は本来の自分を生ききったのだ。だから、心から「おめでとう」と言おうではないか。
これは「ラン科」の花だ。人間はとりわけ、この花が好きらしいと見えて、自然に咲く「ラン」は受難の歴史を辿っている。人に見つかるや最後、「掘り採られ」てしまうのである。
岩木山では、「クマガイソウ」やこのギンランの仲間である「キンラン」は完全に姿を消してしまった。「サルメンエビネ」なども絶滅するのは時間の問題だろう。
この「ラン科」の花の「掘り採り」は別に最近のことではない。日本人には自然を自宅の庭に持ち込むという「箱庭文化」がある。その「文化」に取り憑かれた人たちが盛んに掘り採っては自分の庭に運ぶのである。
そのような文化を示す次のような俳句がある。…「ひたひたときてすれちがふえびね掘」(飴山實)…
「エビネ」も「ラン科」の花である。そのエビネを足音を忍ばせながら掘り採っている人とすれ違ったという句意だろう。
個人的なその行為だけならばまだいいが、最近の山野草ブームは、これを商売という「流通経済」にまで押し上げてしまった。「個人の庭」に運ぶのではなく、それらを「売るために」、「山野草店」に卸すために掘り採る人がやたらに増えたのである。希少種ほど値が張る。だから、「クマガイソウ」や「キンラン」などは真っ先に消滅してしまったのだ。
◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(8) ◇◇
(承前)…2. 林道、里道(自治体管理の登山道)、遊歩道、ダム等の工事用道路、観光道路も、深い、浅い、広い、狭い、長い、短い、コンクリートやアスファルトなどの異物がある、異物がないの違いこそあれ、それらは「地表」につけた爪痕である。これも、「自然破壊」の一形態である。
「自然破壊」を最小に食い止めようという配慮があれば、これらは、「最小」で「最少」の数での「敷設」を考えるべきだろう。
「小森山」の北側に、昨年から「堰堤工事用」の道路敷設が始まった。この道路は、県道30号線(環状線)から毒蛇沢に入るところからの600mほどを整備修復し、そこから、右折(東側)して姥人沢右岸にいたる約560mはミズナラ林を開鑿して、まったく「新しい」ものを「砕石」を敷いて敷設したものである。
全長は約1.16kmになり、道路幅員は路肩部分を入れると4mとなり、「普通車」の走行が可能である。途中には4ヶ所の「待避所」も設けられている。この「道路」は21年度の予算で敷設されたものだから今冬も継続され、今年の3月の段階で工事は完了している。
ところが、この「石切沢4号砂防ダム」敷設の工事現場までは、既存の道路が2本あるのだ。「そのまま」では使えないかも知れないが「整備補修」すれば、「自然を破壊する開鑿」は必要なかったのではないかと考えるのだ。
その「既存道路」の1つは「小森山」からの道である。一部コンクリート舗装の立派な道だ。工事現場の直ぐ傍まで通っているのだ。
もう1つはスキー場駐車場または、国民宿舎岩木荘近くの林道を辿って、昨年完成した「石切沢5号砂防ダム」の傍を通って石切沢を渡って姥人沢に向かう林道である。
この「石切沢5号砂防ダム」を敷設した時に使った工事用の道路も姥人沢までの林道とつなげば、使用が可能なのではとも考えるのである。
「自然に優しい」という言い方は、私は嫌悪する。「自然に優しい」という時ほど、実際は「優しくない」からだ。「優しくないことを隠蔽する」ために使っているとしか言えない。使える既存の道があるにも拘わらず「新しく道」を敷設するということの自然破壊、これはもはや、優しいとか優しくないという次元を越えた問題だろう。
それかかる費用も莫大だ。個人的に資金を出して敷設するのであれば出来るだけ「金」をかけないということが普通ではないか。どうして、「普通に考えられること」を青森県はしないのだろう。(明日に続く)
「巨木の森」から岳登山道までの道を歩く、「キソチドリ」が咲き始めていていた…(5)は明日掲載する。
「ササバギンラン」は、北海道、本州、四国、九州に分布し、山地の林内や林縁に生える。茎の高さは30~50cmほどだ。茎頂の花序に、長さ約1cmの白色の花をまばらにつける。唇弁の基部は筒状で、距は短い。先は三つに裂け、中裂片は舌状であり、淡黄褐色の隆起線がある。花期は5~6月である。
葉は長楕円状披針形か線状披針形で、はっきりした脈がある。茎上部の葉は花序より長い。「ササバ」という名称はこの葉の形に由来する。
「ササバギンラン」は「ギンラン」に似ているが、花の下にある苞が花序よりも高くなること、葉の裏面や縁、茎の稜上に毛があること、花は「ギンラン」より大きめで、花被片がいくらか開きぎみになることなどから「ギンラン」と区別する。目視による簡便な見分け方は「下部の苞葉が花序と同長以上となる」ことである。名前の由来は「ギンランに似て葉が長く笹の葉を思わせること」による。
岩木山では、この「ササバギンラン」の他に仲間として「ギンラン」や「ユウシュンラン」 が見られるが、数は少ない。)
◇◇「ササバギンラン(笹葉銀蘭)」からランを想う ◇◇
…27日の野外観察の時に、是非参加者に鑑賞して貰いたいと考え、登山道から外れて、別の道に入り、咲いていた「ミズナラ林の縁」を歩いた。
かなり注意しながら「探した」のだが、すでに、花期は終わっていたのだろう、ただの1本にも出会うことが出来なかった。
つくづく思う。花はすべて自分の流儀で咲く。咲いている時季も、そこには人間の思惑など這い入る余地はないのである。いついつまで散らないで待っていてほしいというのは人の都合である。植物はすべて自然任せの流儀なのである。「自然」にそって「自然」に任せて健気に生きる。それが植物である。
だが、最近の「ラン」ブームを見ていると私は悲しくなる。人間たちは「自分たちの好み」に合わせて、どんどん「改変」しているのである。「ラン」本来の生きざまを奪い、自分好みに変えているのである。「生物多様性」から大きく逸脱した行為であろう。「生物多様性」を考えると、人間には「植物の生きざまをコントロールする」権限はないはずなのだ。
この「ササバギンラン」は本来の自分を生ききったのだ。だから、心から「おめでとう」と言おうではないか。
これは「ラン科」の花だ。人間はとりわけ、この花が好きらしいと見えて、自然に咲く「ラン」は受難の歴史を辿っている。人に見つかるや最後、「掘り採られ」てしまうのである。
岩木山では、「クマガイソウ」やこのギンランの仲間である「キンラン」は完全に姿を消してしまった。「サルメンエビネ」なども絶滅するのは時間の問題だろう。
この「ラン科」の花の「掘り採り」は別に最近のことではない。日本人には自然を自宅の庭に持ち込むという「箱庭文化」がある。その「文化」に取り憑かれた人たちが盛んに掘り採っては自分の庭に運ぶのである。
そのような文化を示す次のような俳句がある。…「ひたひたときてすれちがふえびね掘」(飴山實)…
「エビネ」も「ラン科」の花である。そのエビネを足音を忍ばせながら掘り採っている人とすれ違ったという句意だろう。
個人的なその行為だけならばまだいいが、最近の山野草ブームは、これを商売という「流通経済」にまで押し上げてしまった。「個人の庭」に運ぶのではなく、それらを「売るために」、「山野草店」に卸すために掘り採る人がやたらに増えたのである。希少種ほど値が張る。だから、「クマガイソウ」や「キンラン」などは真っ先に消滅してしまったのだ。
◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(8) ◇◇
(承前)…2. 林道、里道(自治体管理の登山道)、遊歩道、ダム等の工事用道路、観光道路も、深い、浅い、広い、狭い、長い、短い、コンクリートやアスファルトなどの異物がある、異物がないの違いこそあれ、それらは「地表」につけた爪痕である。これも、「自然破壊」の一形態である。
「自然破壊」を最小に食い止めようという配慮があれば、これらは、「最小」で「最少」の数での「敷設」を考えるべきだろう。
「小森山」の北側に、昨年から「堰堤工事用」の道路敷設が始まった。この道路は、県道30号線(環状線)から毒蛇沢に入るところからの600mほどを整備修復し、そこから、右折(東側)して姥人沢右岸にいたる約560mはミズナラ林を開鑿して、まったく「新しい」ものを「砕石」を敷いて敷設したものである。
全長は約1.16kmになり、道路幅員は路肩部分を入れると4mとなり、「普通車」の走行が可能である。途中には4ヶ所の「待避所」も設けられている。この「道路」は21年度の予算で敷設されたものだから今冬も継続され、今年の3月の段階で工事は完了している。
ところが、この「石切沢4号砂防ダム」敷設の工事現場までは、既存の道路が2本あるのだ。「そのまま」では使えないかも知れないが「整備補修」すれば、「自然を破壊する開鑿」は必要なかったのではないかと考えるのだ。
その「既存道路」の1つは「小森山」からの道である。一部コンクリート舗装の立派な道だ。工事現場の直ぐ傍まで通っているのだ。
もう1つはスキー場駐車場または、国民宿舎岩木荘近くの林道を辿って、昨年完成した「石切沢5号砂防ダム」の傍を通って石切沢を渡って姥人沢に向かう林道である。
この「石切沢5号砂防ダム」を敷設した時に使った工事用の道路も姥人沢までの林道とつなげば、使用が可能なのではとも考えるのである。
「自然に優しい」という言い方は、私は嫌悪する。「自然に優しい」という時ほど、実際は「優しくない」からだ。「優しくないことを隠蔽する」ために使っているとしか言えない。使える既存の道があるにも拘わらず「新しく道」を敷設するということの自然破壊、これはもはや、優しいとか優しくないという次元を越えた問題だろう。
それかかる費用も莫大だ。個人的に資金を出して敷設するのであれば出来るだけ「金」をかけないということが普通ではないか。どうして、「普通に考えられること」を青森県はしないのだろう。(明日に続く)
「巨木の森」から岳登山道までの道を歩く、「キソチドリ」が咲き始めていていた…(5)は明日掲載する。