☆「コマクサ」の語る身の上話し(その5)☆
私は今年(2007年)も花をつけた岩木山の「コマクサ」です。
偉い学者先生方が『岩木山には歴史上これまで生育していなかった。また、自生はありえない。』という私たちの数奇なこれまでの運命を、皆さんに語ります。
(承前)
私たちの種子は非常に小さいのです。ケシ科コマクサ属の植物で、小さい粒々を「芥子粒(けしつぶ)」と喩えるように、ケシ科の種子は「ゴマ粒」よりも小さいものです。
この小さな種子には、「エライオソーム」という物質ががくっついています。この物質を蟻(あり)が好みます。盛んに巣に運ぶのです。その時に種子も一緒に運ぶのです。これが私たちの「子孫を残す」ための戦略です。種をあちこちに運んでもらって生育地域を拡大していくための戦略です。
ところが、残念ながら、あの場所に、蟻はほとんど生息していませんでした。もしも、蟻がたくさん生息していたならば、私たちは一株ではなく、あの砂礫地を埋め尽くすようになっていたかも知れません。
私たちは高山植物の中でも、何も生育していない厳しい環境の土地に最初に根づく先駆植物といわれています。だから、私たちの「親」である「コマクサ」はこの場所で発芽し根を張ったのです。
乾燥した軽い火山弾のような礫が敷き詰められているこの場所も、私たちが根づいて根を張るようになりますと、それに支えられて、長い年月を経て養分が豊かになります。すると私たちよりも大型の草が生えてきます。
そして、その大型の草の「大きな葉陰」のために、私たちは生きられなくなるのです。そのような過酷な運命を背負っているものが「先駆植物」なのです。
この場所は、まさに「先駆植物」である私たちにぴったりの、痩せて貧栄養の「土地」だったのです。
このような私たちは他にも、こうした厳しい環境の中で生きていくために、幾つかの戦略的な「仕掛け」を持っています。
7月の末に花が終わり、実が熟すと私たちの「花茎」は枯れます。やがて秋、そして冬の到来、強くて冷たい風が吹き始めると花茎は根元から折れて、風によって砂礫地を転がって行きます。転がりながら「種子」を蒔くのです。
あの場所では北西の季節風が吹きます。ですから、私たちは、いきおい低い方に運ばれていきます。私が、私の祖父や曾祖父の「コマクサ」が蒔かれた場所よりも下方10mの場所で根づいて花を咲かせたのも、この所為(せい)です。
また、私たちの葉柄や花茎のかなりの部分は砂礫に埋まっています。地上の花からは想像も出来ないほど長くて丈夫な根が地中深くにもぐっていて、地下部は地上部の5倍以上の長さに達しているものもあります。この根も細くてしなやかです。
しかも、その根を横方向に束ねるように張り、そこに溜まる水分や養分を吸収しているんです。このようにして乏しい水分や養分を確保しながら、一方では、凍結と融解を繰り返し「動く構造土」(砂礫は崩れやすいということ)といわれる場所での生育に耐えているのです。だから、私たちは、砂礫が崩れ、流されても生きていけるのです。
本来、弱い植物である私たち「コマクサ」は、いろいろな方法・仕組みを身につけて、他種の植物が生きられない場所で「生きる強さ」を獲得してきたのです。これを「弱さゆえの強靭」と呼ぶ人さえいるのです。
私たち「コマクサ」は貧しく、荒れ果てた砂礫の地面にへばりつくように、しかも可憐な花姿で咲いています。それは一見すると、本当に弱々しく見えます。
ところで、明治時代の文士で放浪の作家と言われた大月桂月が、大雪山で初めてこの花に会って「高山植物の女王」言ったと伝えられています。
なぜなのでしょうか。厳しい生育条件の中で、小さな草丈に比べると花は大きいのです。これは典型的な高山植物の花姿ですが、おそらく、特異な「馬の顔」を思わせる形の美しい花とともに、他の植物が生きることのできない乾いた砂礫地に「私たち」だけが群落を成している様子に、多くの人々が「孤高と気品」を見たからだと思います。
いまある私だって、濃いガスが漂い流れ、そのガスが晴れた瞬間ふっと姿を見せる時には、おそらく「孤高に輝く気品」を放っていると思いますよ。さらに、「女王」には「強さ」も必要ですね。女王には女王の強靱で孤高な生き方があるということでしょうか。
どうも、申し訳ありません。気持ちの高ぶりに乗じて「手前みそ」の物言いになってしまいました。お許し下さい…。
(この稿は明日に続く。)
☆東奥日報「岩木山・花の山旅」掲載はじまる☆
今日から東奥日報で「岩木山・花の山旅」シリーズが始まる。体裁は今年の2月に掲載した「厳冬の岩木山」と同じである。期間もだいたい同じ15日間、1週に5回、3週間続くことになる。初回の今日は「蝦夷葵菫(エゾアオイスミレ)」である。
私は今年(2007年)も花をつけた岩木山の「コマクサ」です。
偉い学者先生方が『岩木山には歴史上これまで生育していなかった。また、自生はありえない。』という私たちの数奇なこれまでの運命を、皆さんに語ります。
(承前)
私たちの種子は非常に小さいのです。ケシ科コマクサ属の植物で、小さい粒々を「芥子粒(けしつぶ)」と喩えるように、ケシ科の種子は「ゴマ粒」よりも小さいものです。
この小さな種子には、「エライオソーム」という物質ががくっついています。この物質を蟻(あり)が好みます。盛んに巣に運ぶのです。その時に種子も一緒に運ぶのです。これが私たちの「子孫を残す」ための戦略です。種をあちこちに運んでもらって生育地域を拡大していくための戦略です。
ところが、残念ながら、あの場所に、蟻はほとんど生息していませんでした。もしも、蟻がたくさん生息していたならば、私たちは一株ではなく、あの砂礫地を埋め尽くすようになっていたかも知れません。
私たちは高山植物の中でも、何も生育していない厳しい環境の土地に最初に根づく先駆植物といわれています。だから、私たちの「親」である「コマクサ」はこの場所で発芽し根を張ったのです。
乾燥した軽い火山弾のような礫が敷き詰められているこの場所も、私たちが根づいて根を張るようになりますと、それに支えられて、長い年月を経て養分が豊かになります。すると私たちよりも大型の草が生えてきます。
そして、その大型の草の「大きな葉陰」のために、私たちは生きられなくなるのです。そのような過酷な運命を背負っているものが「先駆植物」なのです。
この場所は、まさに「先駆植物」である私たちにぴったりの、痩せて貧栄養の「土地」だったのです。
このような私たちは他にも、こうした厳しい環境の中で生きていくために、幾つかの戦略的な「仕掛け」を持っています。
7月の末に花が終わり、実が熟すと私たちの「花茎」は枯れます。やがて秋、そして冬の到来、強くて冷たい風が吹き始めると花茎は根元から折れて、風によって砂礫地を転がって行きます。転がりながら「種子」を蒔くのです。
あの場所では北西の季節風が吹きます。ですから、私たちは、いきおい低い方に運ばれていきます。私が、私の祖父や曾祖父の「コマクサ」が蒔かれた場所よりも下方10mの場所で根づいて花を咲かせたのも、この所為(せい)です。
また、私たちの葉柄や花茎のかなりの部分は砂礫に埋まっています。地上の花からは想像も出来ないほど長くて丈夫な根が地中深くにもぐっていて、地下部は地上部の5倍以上の長さに達しているものもあります。この根も細くてしなやかです。
しかも、その根を横方向に束ねるように張り、そこに溜まる水分や養分を吸収しているんです。このようにして乏しい水分や養分を確保しながら、一方では、凍結と融解を繰り返し「動く構造土」(砂礫は崩れやすいということ)といわれる場所での生育に耐えているのです。だから、私たちは、砂礫が崩れ、流されても生きていけるのです。
本来、弱い植物である私たち「コマクサ」は、いろいろな方法・仕組みを身につけて、他種の植物が生きられない場所で「生きる強さ」を獲得してきたのです。これを「弱さゆえの強靭」と呼ぶ人さえいるのです。
私たち「コマクサ」は貧しく、荒れ果てた砂礫の地面にへばりつくように、しかも可憐な花姿で咲いています。それは一見すると、本当に弱々しく見えます。
ところで、明治時代の文士で放浪の作家と言われた大月桂月が、大雪山で初めてこの花に会って「高山植物の女王」言ったと伝えられています。
なぜなのでしょうか。厳しい生育条件の中で、小さな草丈に比べると花は大きいのです。これは典型的な高山植物の花姿ですが、おそらく、特異な「馬の顔」を思わせる形の美しい花とともに、他の植物が生きることのできない乾いた砂礫地に「私たち」だけが群落を成している様子に、多くの人々が「孤高と気品」を見たからだと思います。
いまある私だって、濃いガスが漂い流れ、そのガスが晴れた瞬間ふっと姿を見せる時には、おそらく「孤高に輝く気品」を放っていると思いますよ。さらに、「女王」には「強さ」も必要ですね。女王には女王の強靱で孤高な生き方があるということでしょうか。
どうも、申し訳ありません。気持ちの高ぶりに乗じて「手前みそ」の物言いになってしまいました。お許し下さい…。
(この稿は明日に続く。)
☆東奥日報「岩木山・花の山旅」掲載はじまる☆
今日から東奥日報で「岩木山・花の山旅」シリーズが始まる。体裁は今年の2月に掲載した「厳冬の岩木山」と同じである。期間もだいたい同じ15日間、1週に5回、3週間続くことになる。初回の今日は「蝦夷葵菫(エゾアオイスミレ)」である。